てっちゃんの
ウルグアイ紀行+α
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ウルグアイのマップ
先月(98年1月)半ば、ちょっとウルグアイ辺りまで行って来ましたです。
何しに行ったかって?
そりゃあ、あ〜た、色々訳ありってモンで、
聞くだけ野暮ってモンですよ。
タイトルがデカイ割に中身が大したことありませんが、
シロ〜トの初心作ということでご勘弁のほどを。
1.ウルグアイについてのウンチク
さて、ウルグアイとはいずこにあるや。日本人はほとんど馴染みがないのではないでせうか。「ウルグアイ・ラウンド」てえのが何年か前に聞かれましたが、はっきり言って何のことやらよくわかってない。
まあ、とにかく位置としてはほぼ日本の真裏にあたります(正確には韓国の真裏あたり)。ブラジルとアルゼンチンに挟まれたちっちゃな国。面積は小さいと言われる日本の半分にも満たない。しかしながら、南側の国境沿いを流れるラプラタ川は、おそろしく幅の広い川。首都モンテビデオの付近で100km、河口付近のプンタ・デル・エステでは225kmにも及ぶそうな。勿論向こう岸なんて見えません。
人口約320万人で、ほとんど全て(9割ぐらい)が白人(主にスペイン・イタリア系)。この辺(Washington, DC)でスパニッシュと言うと、アジア人に近い混血のちょっと肌の浅黒い人達(メスチゾやムラートって言う人種かな)を思い浮かべますが、彼らはほぼ中米の人達でしょう、一方ウルグアイ人は生粋の白人と言った感じ。
産業は工業らしい工業はなく、主に牧畜による牛や羊の肉や皮、毛類に関するものが主産業ではないかなあ。
国民一人あたりのGDPは南米では二番目に位置しますが、それでも第一位のアルゼンチンよりかなり低いし、何せ人がいないものだから国全体ではかなり下になります(世界で70位前後)。でも、社会保障が発達していて公立の病院はただ、教育も大学まで公立と、その辺はいいですね。でも、大学まで英語教育が徹底しているのでウルグアイ人はみんな英語を話す、とある解説書にあったけど、そこは日本と同様のようで、実際に話せる人は上部の人達だけで、普通の人はほとんど話せないようであった。で、日本語と英語しかはなせない私は、滞在期間中日光の三猿のうち2匹とお友達になったような。
2.何でウルグアイなんぞへ?
どうしてそんなマイナーなウルグアイ何ぞへ行ったのか。ブラジルに行く日本人は割といるようですが、たまにアルゼンチンやチリ、パラグアイなんかにも、しかしウルグアイなんかに・・・
答は・・・ そこに訪ねるべき人がいたからです。はて、その人とは?
うちのセニョーラ。何故にうちの奥方様はウルグアイに行ったのか? 話せば長い話ですが、簡単に言えばボランティア活動。全然長くないって?
ことの経緯はこうです。実はビザの関係などで当時私はアメリカ、セニョーラは日本にいたんだけど、そんな時WFWPというNGO団体が海外ボランティアを募集しました。で、彼女が日本にいようがいまいがなんら違いがない状況の自分たち、かえって日本とアメリカ以外にいた方が行けるところが増えていいんじゃなかろうかと(結構打算的?)、送り出した所がウルグアイだったという話。普通の日本人にしてみれば縁の薄い国ですが、視点をかえると結構色々あったりする国です。
で、およそ1年経って、そろそろ向こうもスペイン語も話せるようになったかなということで、遂にウルグアイ行きを敢行したのでした。チャンチャン。
3.ウルグアイにはどうやって?
一応南北アメリカは陸続きですから、陸路で行けないこともないかもしれませんが、実質的に不可能でしょうから、飛行機で行くことにしましたが、残念ながらアメリカからウルグアイへの直行便はありませんでした。大概、アメリカの主要都市からブラジルかアルゼンチン経由になるようです。
今回はマイアミからアルゼンチン・ブエノスアイレス経由にしました。ブエノスアイレスからウルグアイの首都モンテビデオは例のラプラタ川をまたいだだけですが、川幅が川幅ですからね。とは言え、ジェット機は上がったかと思ったら既に下降を始めるという正味45分足らずのフライトでした。しかし、これはホントに川なんでしょうか、というくらいのだだっ広い川だったです、ハイ。
因みにモンテビデオ〜ブエノスアイレス間は船でも陸路でも行き来できます。今回はその全部をやってみましたけど。
と、前置きはこれくらいにして、まずはモンテビデオへ Let's Go!!
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おうちへのお帰りはこちら。