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アルゼンチンのブエノスアイレス空港に一旦降りたB777は、乗客の入れ替え(と言ってもおそらく降りる人ばかりで新たに乗った人はいないのではないか?機内はガラガラでした)もすんで一路ウルグアイへ。例のラプラタ川を飛び越えるだけですが、ホントに広い川。ある程度高度が上がらないと川かどうかは言われないとわからないんじゃないかな。地元にいる日本人達が"Cafe con leche (カフェオレ、コーヒー牛乳)"のよう、なんて言っていたけど、海の青い水とは違う茶色い泥水のような色。でもたまに青くなることもあるそうな。
1時間足らず後にいよいよカラスコ国際空港に到着。自分でタラップを降りて(^^)シャトルバスに乗り、入国手続きへ。えっ、これが国際空港?と疑うほど簡素なイミグレーション・カウンターで審査官の女性にパスポートと帰りのチケットを提示すると、そのチケットには目もくれず質問も何もなしでバンバンと90日の入国許可のスタンプを押してくれました。う〜ん、帰りのチケットのチェックもしないなんて、なんておおらかな国だろう、アメリカでは絶対にあり得ないだろうな。それにしても、非常に小さな国際空港でした。
空港から車でしばらく行くと海岸線、じゃなくてラプラタ川に出まして、その川岸を西に向かって走り、途中メルコスールの本部や米大使館、ビーチや高級マンション街等を横目に見ながら、車でおよそ1時間弱でモンテビデオ市内へ。モンテビデオでも一番ぐらいに有名な "Plaza Independencia (独立広場)" 付近に出ました。そこの中央には建国の父・アルティガス将軍 "Jose Artigas" の銅像が立ち、その地下にはその霊廟が作られ、2人の衛兵さんが始終直立不動で立っておられました。広場の南向かいには迎賓館・旧大統領官邸があり、その反対側には南米でも有数のビクトリア・プラザ・ホテル "Hotel Victoria Plaza" がそびえ立っていました。なんでも一泊最低3万円以上するそうな。因みに学校の先生の1カ月の給料がそれくらいと聞きました。スペイン国王なども泊まられる五つ星の超高級ホテル。残念ながらそこには泊まりませんでした(2週間もそんなところに泊まってられまへん^^;;)。
この広場を境にして、西側を旧市街 "Ciudade Vieja"、東側を新市街 "Ciudade Nueva" と呼ぶそうです。新市街の「7月18日通り "18 de Julio"」沿いははいわゆる繁華街にあたり、4キロも続くそうな。その途中に市役所 "Intendencia Municipal" があり、その前にはイタリアから送られた世界に7体しかない「ダビデの像」の原寸大のレプリカが立ってました。(しかしあの裸の像が雨ざらしになってるのはなかなか奇妙。)そのすぐ斜め向かいに彼の有名なバンコ・デ・クレジット "Banco de Credito" があります。
独立広場と市役所の途中の公園(すんません、名前忘れた)から北北東に向かう通りの正面に国会議事堂 "Palacio Legislativo" がありました。白の大理石とピンクの御影石の建物はなかなか豪奢なもの。実は議事堂の中は1日に何度か見学時間が決められてあり、見学に行ったときは次のツアーまで2時間ほどあったんだけど、うちのセニョーラ、前に何度か来てしっているからとかなんとか無理矢理頼み込んで入れてもらった上に、勝手に回って見れるよう許可まで取りつけてしまいました。う〜ん、そんなに簡単に一般人、しかも外国人を入れて勝手に歩き回せていいのだろうか。でもうちの連合関係から時々日本人ツアー客が来るので、日本人に割と愛想がよろしい。それにしてもねえ、日本やアメリカではこうはいかんだろうな。やっぱりここの人はおおらかです。しかしながら、様々の大理石などで飾られた内部は実際一見の価値ありです。ホールの中央のガラスの箱には独立宣言文が納められ、その両脇を二人の衛兵、そしてホールに上がってくる階段の脇にも二人の衛兵さんが立ってました。そこの衛兵さん、アルティガス将軍のお墓の衛兵サン達と違って私ら二人を身を乗り出して眺め、こちらが手を降ったら手をあげて答えてきました(オイオイ仕事中でしょ^^)。で、中にあるの図書室のおじさんに写真を撮ってもらおうと思って頼んだのですが、おじさんいくら押してもシャッターが切れない。まあ、ピントが合うまで一呼吸あるのも事実ですが、おじさん曰く、何でも奥さんが買い物してくるので、自分でこんなもの買った(使った)ことないからなあ、ですって。しかし、議事堂の中に入れてくれたおじさんと言い、図書室のおじさんと言い、はたまた衛兵のお兄さんと言い、彼らは皆国家公務員だろうけど、大変純朴で親しみやすいのでした。どこぞの国のお役人とはえらい違い。
街を歩いていて、やたらと目に付くのが "Cambio" の看板。この単語、英語の "Change" にあたるそうで、「変化、変える、小銭、釣り、両替」とほとんど同じ使われ方をするそうな。で、この看板は「両替」屋さんのもの。で、ウルグアイに来て最初に覚えた言葉が "Cambio" でした。それにしてもどうしてこんなにあるのでしょう。大通りの1ブロックに少なくとも1軒か2軒はある。中には3軒ぐらい並んでいるところも。何でもこの国、給料は米ドル立ててで払われるところが多いそうな。で、お店でも日常生活品なんかはペソで売られていても、電化製品などのちょっと値のはるものは米ドルで売られていたりしてました。自ずと両替屋さんが増えるのでしょうね。もっと面白いのは、店によって換金レートが違うこと。レートのいいところへ行って換えたら少しは得かな。まあ、ちょっとの金額じゃ、そんなに違わんけど。
ではでは、モンテビデオの名前の由来を訪問。旧市街の近くのモンテビデオ港の反対側に小高い丘があるんです。彼のマゼランがこの地を訪れた時、その丘を見て"Monte Vide Eu" 「我、山を見たり」とポルトガル語で言ったそうな。海ばっかりみててきっとそれ以上高い陸地を見なかったのでしょうか(^^;;)、その丘の標高たったの118m。でも実際その上に登ってみると周りはずっと平地なので非常に見晴らしがよろしく、モンテビデオ市街が一望に見渡せます。頂上には元要塞・今記念館がありました。さて、モンテビデオの丘 "Cerro" の辺りは治安のいいウルグアイにしてはスラム街っぽく、行く場合には気をつけませう。(なんでも共産主義者も多くテロリストのアジトもあるそうな。)
しかしながら、この街、至る所に公園があり銅像やら記念碑が建っていて、平日の真っ昼間だと言うのに多くの人がその辺でたたずんでいました。皆バケーションなのか、はたまたシエステのお時間か。そんな暇そうな人には、東洋人がカップルで歩いていると結構珍しげに見られます。そういえばほとんど東洋人を見ませんでした。日本人女性は最近よく見かけるようになったようだけど、カップルは珍しいに違いない。いずれにせよ、全般的にのんびりしていて人はよさそうだし、居心地のいい街です。