イスラエルの南端、エジプトとの国境からクサビ状に食い込んだガザ地区は、第1次中東戦争でエジプトが占領しました。
ただし、エジプトはガザ地区を併合することなく、単なる占領地としてここの住民(パレスチナアラブ人)達は国籍を与えませんでした。そのため、ガザの住民達は支配国家から何の権利も与えられなかったのです。これは、自分達の国家がない民族の悲劇です。
そして、ガザの住民達は更なる悲劇が襲います。第3次中東戦争でイスラエルが怒涛の進撃をして占領してしまいました。
そして占領地政策として、ガザ地区をフェンス囲みガザの住人達(パレスチナアラブ人)には特別の扱いをしつつ、ガザ地区内にユダヤ人の町を建設し、入植者を植え付けました。
特別の扱いとは占領地から出る場合に許可が必要などの規制です。今回もガザの住人達は支配国家の国民と分けられてしまったのです。
入植地はガザの村々とはぜんぜん違う近代的な町が建設されました。その町は外周をフェンスで囲いイスラエル国防軍が守っています。住民も銃の携帯を許可されています。そんな入植に何か意味があるのか?と思いますが・・・。
入植地の入り口付近では国防軍に向けて投石によるデモ行為が日常的にあります。少年達が石を投げ、しばらくすると国防軍が威嚇射撃をして、幕が下ります。
フェンスで囲まれ、監視塔がたっている。何かまるで・・・ゲットー!?
ガザ地区はパレスチナ自治区となり、PLOも本部をここに移しました。そして、2005年9月、占領していたイスラエル国防軍は、ガザの権利をパレスチナ自治政府に委譲し、国防軍は入植者と共に撤収しました。 |