暗殺からからくも逃れたナセル副首相は、自分の身の危険などかえりみず、革命政権を革命政権たらしめるべく次なる行動を起こします。 ■ イギリス軍の退去
前国王が要求するにはしたものの結局黙殺されているイギリス軍のエジプトからの撤退についてですが、これが完全に行なわれなければ、エジプトは真の独立国家といえません。 イギリス軍はスエズ運河の保護のため、前国王が要求したにもかかわらず依然駐留していたのです。これに対し、ナセルは撤収を要請し、これを了承したイギリス軍は1956年6月20日までに撤退を完了しました。このイギリス軍の撤退を見てナセルは1956年6月25日大統領に就任しました。 しかし、このイギリス撤退に対し反応したのはイスラエルでした。イスラエルにとってはイギリス軍がスエズにいる限り、エジプトの軍事的圧力が緩和されていたので、この撤退を妨害するためにエジプトに対し攻撃を仕掛けます。 これによりエジプトは、革命でうやむやになっていたイスラエルとの敵対関係を再認識します。そして、アメリカ、イギリス帝国およびフランスに武器の供与を依頼しますが、無視されました。 ここで、ナセル(大統領就任前)はソ連に接近します。これにはソ連も飛びつきました。中東に進出するきっかけがつかめたからです。これにより、エジプトはソ連製の最新鋭兵器を手に入れることに成功しました。 ■ 非同盟主義
ナセルはエジプトが大国との同盟により、以前のように食い物にされることを嫌い、西と東のどちら側にも組しないとの方針を打ち出しました。もちろん、こういう行動は国民やアラブ諸国からも拍手を送られました。 しかし、現実はイスラエルに対抗する武器を手に入れるため、チェコスロバキア経由でソ連から兵器を買うことになってしまいました。 ■ アスワンハイダム
アスワン・ハイ・ダム、つまり旧アスワン・ダムのさらに上流に作られた新アスワン・ダムです。この新しいダムによって電力の供給を賄い、近代的な都市を作り上げ、なおかつ氾濫によって定期的に発生する農耕の停滞を防ぐという計画です。 しかし、ナイル川をせき止めて作るため、恒例の氾濫によって肥沃な土地となっているナイル川周辺の農業や遺跡が水没しました。 さらに、事業費が莫大であり、アメリカやイギリスからの借り入れを当てにしていたのですが、ソ連に接近したエジプトに対して、アメリカやイギリスが融資を断ってきたのです。 これがナセル大統領の背中を押すことになり、世界が仰天するような計画が実行に移されることになるのですが、ダム自体はソ連の融資により1960年1月9日に工事が始まり、1971年1月15日に完成する事が出来ました。そして、そのとんでもない計画とは・・・。 ■ スエズ運河国有化
スエズ運河はエジプトにありながら、通行料のホンの一部が国庫に入るのみで、あとは大株主であるイギリス帝国とフランスに利益を搾取されていたのでした。 このことから、ナセル大統領は常々スエズ運河の国有化を計画しておりました。そこへ、アスワンハイダム建設費の融資取り下げで、資金のめどもたたなくなり、ついに1956年7月26日の革命記念日にナセル大統領は国有化を宣言しました。こうして、得た利益はアスワンハイダムの建設費に当てると言うことです。 これを聞いてびっくりしたのはイギリスとフランスです。自分達が得てきた利益が一夜にしてなくなると言う事態になり、両国はスエズ運河を取り返すため、イスラエルを誘い戦争を計画します。 こうして、イギリス、フランス、エジプトにイスラエルを加えた4か国は戦争に突入したのです。この戦争はスエズ動乱(第2次中東戦争)と呼ばれました。 |