アメリカがイラクへ空爆を行なった7ヵ月後の2001年9月11日、イラク問題もすっ飛ぶような事件が起こりました。そう、アメリカ同時多発テロです。
これに対してアメリカは、仇敵オサマ・ビン・ラディン師が率いるアル・カエダと、その庇護国であるアフガニスタンを攻撃すると宣言し、アフガニスタンへ侵攻します。この頃のアフガニスタンは以前にソ連の侵攻を受け、イスラームの人々が力を合わせてそれを撃退した後、今度は民族同士の内戦へと発展したのです。
この内戦はパキスタンのバックアップを受けたタリバーンが勝利し、国内は一応の落ち着きは取り戻していました。
そんなおり、アメリカが攻撃を開始したのです。タリバーンがラディン師を匿っていると言う事は前から分かっていたので、攻撃する事にも躊躇しませんでした。
アル・カイダはアメリカの攻撃から逃れるため、山中に身を潜めます。ラディン師は時折アル・ジャジーラTVにビデオを送ってきては、世界中のイスラームにアメリカに対する聖戦を呼びかけていました。
結局、アメリカはアフガニスタンのタリバーンを追い払い、アフガニスタンは反タリバーンの部族集団”北部同盟”が政権を受け持ちました。戦争とは敵が降伏すれば終了するのですが、この時点では(2001年12月)タリバーンは崩壊していましたが、アル・カイダは行方をくらましました。
そのため、アメリカはアフガニスタンで作戦を継続し、ラディン師や側近の逮捕に全力を注ぎました。ところが、行方はまったく掴めず、世界中のメディアからラディン師の報道が消え始めました。
ラディン師を逮捕するための作戦が、失敗に終わったのです。アメリカがプライドをかけて進めたこの作戦が失敗する事はブッシュ政権の崩壊を招きかねません。
そして、ブッシュ大統領は年明けの2002年1月、イラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸国だと非難します。この3国にとってはいきなりなんなんだ!?と思った事でしょう。
なぜか非難されたイラクでは査察問題の話し合いが再開される事になりました・・・。 |