The War in Iraq
第2次湾岸戦争

イラク戦争(第2次湾岸戦争)はアメリカ・イギリス連合軍がフセイン政権打倒を狙って、イラクに侵攻し始まった戦争の事です。

なぜ、いきなりアメリカ・イギリスはイラクに攻め込んだのか?ブッシュ大統領は”イラクが大量破壊兵器を所有しているから、制裁を与えるため。”と言っていますが、なぜイラクが兵器を持っていてはダメなのでしょうか・・・。そんな事はありません。何か本当の理由があるのではないでしょうかね。 

 

■ 湾岸戦争が終わって・・・

湾岸戦争がイラクの敗戦で終了し、イラクが経済封鎖という形で制裁を受けると、イラクはますますお金に困るようになりました。元々イラン・イラク戦争での債務が払えなくて、その借金を棒引きにしろとクウェートに侵攻したのですから、まったくもって泣きっ面に蜂なフセイン大統領でした。

湾岸戦争は停戦となったのですが、今度はイラク国内の反乱分子であるクルド人やシーア派が蜂起し、フセイン大統領は親衛隊を持ってこれを鎮圧します。アメリカはこれに対し、クルド人やシーア派の人々を保護する名目でイラク国内にイラク軍機の飛行禁止区域を設定しました。

侵入してきた場合は問答無用に撃ち落すと言うわけです。さらにイラクには国連から査察が入り、大量破壊兵器やミサイルの廃棄を迫られました。

停戦を受け入れたのみで、他国に占領されたわけでもないのになぜここまで恥辱を受けなくてはならないのか。イラクは国連からの圧力やアメリカ・イギリスからの攻撃に憤慨しつつも、少しづつ自国の兵器開発を暴露せざるおえなくなりました。

こうして湾岸戦争後10年間、イラクはアメリカ・イギリスの空爆にさらされ、経済制裁によって国民は困窮し、100万人以上の市民が犠牲となったのでした。

そんな中、アメリカに対して同時多発テロが発生します・・・。 

 

■ 同時多発テロ

アメリカがイラクへ空爆を行なった7ヵ月後の2001年9月11日、イラク問題もすっ飛ぶような事件が起こりました。そう、アメリカ同時多発テロです。

これに対してアメリカは、仇敵オサマ・ビン・ラディン師が率いるアル・カエダと、その庇護国であるアフガニスタンを攻撃すると宣言し、アフガニスタンへ侵攻します。この頃のアフガニスタンは以前にソ連の侵攻を受け、イスラームの人々が力を合わせてそれを撃退した後、今度は民族同士の内戦へと発展したのです。

この内戦はパキスタンのバックアップを受けたタリバーンが勝利し、国内は一応の落ち着きは取り戻していました。

そんなおり、アメリカが攻撃を開始したのです。タリバーンがラディン師を匿っていると言う事は前から分かっていたので、攻撃する事にも躊躇しませんでした。

アル・カイダはアメリカの攻撃から逃れるため、山中に身を潜めます。ラディン師は時折アル・ジャジーラTVにビデオを送ってきては、世界中のイスラームにアメリカに対する聖戦を呼びかけていました。

結局、アメリカはアフガニスタンのタリバーンを追い払い、アフガニスタンは反タリバーンの部族集団”北部同盟”が政権を受け持ちました。戦争とは敵が降伏すれば終了するのですが、この時点では(2001年12月)タリバーンは崩壊していましたが、アル・カイダは行方をくらましました。

そのため、アメリカはアフガニスタンで作戦を継続し、ラディン師や側近の逮捕に全力を注ぎました。ところが、行方はまったく掴めず、世界中のメディアからラディン師の報道が消え始めました。

ラディン師を逮捕するための作戦が、失敗に終わったのです。アメリカがプライドをかけて進めたこの作戦が失敗する事はブッシュ政権の崩壊を招きかねません。

そして、ブッシュ大統領は年明けの2002年1月、イラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸国だと非難します。この3国にとってはいきなりなんなんだ!?と思った事でしょう。

なぜか非難されたイラクでは査察問題の話し合いが再開される事になりました・・・。

 

■ イラク、以前より強行に査察問題に圧力をかけられる

アメリカはいきなり、イラクに対して以前より強く査察の協力を求め半ば脅迫状態となりました。なんせ、ブッシュ大統領はフセイン大統領の追放まで公言し始めたのです。

これはもう話し合いではありません。そして、アメリカはイラクに空爆を再開しました。イラクに侵攻する半年前の事です。アメリカの強硬な態度に対し、フランス、ドイツ、ロシアなどの大国を含める世界の国々はイラクに対しての攻撃を反対すると宣言していました。(日本は攻撃に賛成)

まるで第3次世界大戦でも始まるかと言う勢いでしたが、世界の国々もイラクを守るために軍隊を派遣すると言う事は行ないませんでした。

そうこうして年も明け2003年となりました。イラクは査察を受けてミサイルなどの廃棄を行なっていましたが、未だ大量破壊兵器は見つかりませんでした。

アメリカとイギリスはイラクへの空爆を続けていましたが、そろそろ特殊部隊がイラクに潜入し、来るべきイラクへの侵攻のため反フセインのクルド人達を味方に引き入れるため暗躍していました。

そして、2003年3月17日、ブッシュ大統領はフセイン大統領とその家族のイラク国外への退去を通告します。査察に協力しろと言う事ではなかったのか!?なぜ、フセイン大統領を攻撃対象とするのか?よく分かりませんが、大量破壊兵器が無い事に気がついたのでしょうか?

いや、そんな事は最初から分かっていたのです。とにもかくにも問題が摩り替えられ、アメリカはイラクに宣戦布告をしたのでした。

 

■ イラク戦争

2003年3月20日、アメリカ・イギリス・オーストラリア連合軍はイラクに爆撃を開始します。空爆は以前から行なっていたのですが、今回からは明確な侵攻するための攻撃です。

国連のアナン事務総長はこれを非難しました。世界中で連合軍への反対デモが相次ぎます。この時点で世界とまったく逆の反応をしていたのはイスラエルでした。

そして、すでに爆撃目標が無くなったのでしょうか。2日後には連合軍がクウェートからイラクに侵攻、次々と都市を制圧していきます。

4月9日、バグダッドが連合軍によって陥落しましたが、フセイン大統領の出身地ティクリートでは戦闘が続いていました。そして、4月14日、ティクリートも陥落し、イラクは連合軍によって制圧されました。

ただし、フセイン大統領は行方がわからなくなってしまいました。連合軍の目的がイラクの占領ではなくフセイン大統領であったので、逮捕しなくては戦争の目的が達せられません。

ところが、ラディン師と同様にアメリカはフセイン大統領を取り逃がしてしまいます。イラクでの戦闘は終結したためブッシュ大統領は5月2日、イラクとついでにアフガニスタンの戦闘終結宣言を行ないました。両戦闘共に勝利宣言を出す事が出来なかったのです。

ラディン師のスケープゴートに使ったフセイン大統領を取り逃がし、アメリカは次にどうするのでしょう・・・。テロは世界中で続いています。

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