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イスラエルのリーダーと国防軍

■ イスラエル歴代首相
 
■ エフード・オルメルト 2006-

カディマ党

元エルサレム市長です。2000年当時、リクード党のアリエル・シャロン党首が神殿の丘を訪問すると言い出した時、エルサレム市長だったオルメルト市長は、訪問を止めるように泣いて頼みましたが、シャロン党首は決行したという経緯があります。それでも、両者の仲は良かったみたいです。

シャロン首相が倒れると副首相だったオルメルト氏が首相代行とカディマ党の党首代行をしていました。

 

■ アリエル・シャロン 2001-2006

カディマ党、ハガナ、国防軍中将

2000年、当時のバラク首相がアラファト議長と和平の会談を重ねているさなか、イスラームの聖地”アル・アクサ・モスク”を強行訪問し、今回の暴動に発展させてしまった張本人です。

その暴動を抑え切れなかったバラク首相の労働党に対し、リクード党が支持を伸ばし、シャロン党首が首相に当選したのです。

2005年にはリクード党を離党し、新党カディマ党を立ち上げました。

 

■ エフード・バラク 1999-2001

労働党、国防軍中将、参謀総長

レバノン南部からイスラエル軍の完全撤退を公約に、首相となりました。政策は和平を推進し、クリントン大統領とアラファト議長との3者交渉ではアラファト議長に譲歩に譲歩を重ね和平を模索しました。

しかし、それが弱腰と非難され、国民の支持が下がり内閣が解散になりました。

 

■ ベンジャミン・ネタニヤフ 1996-1999

リクード党、国防軍大尉

1949年生まれの首相です。これは初めてのイスラエル生まれの首相となります。アメリカで育ったネタニヤフ首相は国連大使を勤めました。

ネタニヤフ家の長男ヨニ・ベンジャミンはエンテベ空港人質救出作戦で指揮官を務めましたが、その際の戦闘で戦死してしまいました。

 

■ シモン・ペレス 1984-1986,1995-1996

労働党、ハガナ

ベラルーシ生まれで11歳の時にテル・アビブへ移民してきました。

エジプトとの平和条約時の外相であり、平和条約に貢献した功績で当時のラビン首相、アラファト議長と共にノーベル平和賞を受賞しました。

ラビン首相が暗殺されると、二度目の首相職に就任しました。

 

■ イツハク・シャミール 1983-1984,1986-1992

労働党、レヒ、モサド

ポーランド生まれ、パレスチナへ移民後、エッツェルに入隊し後にレヒへ入隊します。第二次世界大戦時にはレヒでの活動により、イギリス軍に二度も逮捕されました。戦争が終わりイギリスに釈放されるとパレスチナでレヒの司令官となります。

湾岸戦争時に首相職にありました。戦争中は過激派レヒの元司令官と思えないほど、イラクの攻撃に耐えイスラエルは戦争に参加しませんでした。 

 

■ メナヘム・ベギン 1977-1983

リクード党、エッツェル、シベリア帰り

ポーランド生まれで、第二次世界大戦中にはソ連NKVD(後のKGB)に逮捕され、シベリアで8年間の強制労働をしていました。釈放後パレスチナに渡り、ユダヤ人防衛組織エッツェル(エーツェルもしくはイルグン)に入隊し、後に司令官に就任します。

ベギンが率いるエッツェルは、イスラエル建国一ヶ月前に事件を起こします。その事件とは、アラブ人の村を襲撃し、老若男女を問わず虐殺したのでした。このデイル・ヤーシン事件は国際非難を受けましたが、結果として、アラブ人たちに恐怖感が植え付けられてしまい、パレスチナから逃げ出して行く事に繋がりました。

そんなベギンも、首相に就任してからはエジプトのサダト大統領をイスラエルに迎え、平和条約に調印しました。その功績でノーベル平和賞を受賞しました。

さらには’81年のイラク原子炉爆撃や’82年のレバノン戦争と大きな作戦を決定しました。

 

■ イツハク・ラビン 1974-1977,1992-1995

労働党、ハガナ、国防軍中将、参謀総長

エルサレム生まれで、ハガナに入隊しエリート部隊パルマッハに所属します。国防軍では若干32歳で少将に任官します。

軍を退役した後は政府に身を置き、アメリカ大使を務めました。そして、帰国後は労働党に入り、首相に就任しました。初めてのパレスチナ生まれの首相です。

PLOとの和平交渉に力を注ぎ、オスロ合意までこぎつけました。この和平合意でPLOのアラファト議長との歴史的な握手をし、その功績によってノーベル平和賞を受賞しました。

しかし、アラブとの和平に反対するユダヤ人学生過激派イーガル・アミールに暗殺されてしまいます。

 

■ ゴルダ・メイア 1969-1974

マパイ党

彼女はウクライナ生まれのアメリカ育ちで、パレスチナに移住すると政治活動に身を置きます。メイア女史は初のソ連大使として赴任します。

駐ソ大使を一年も経たずに帰国すると、議員に当選します。エシュコル首相が死亡すると、メイア女史は次の首相に当選します。

そしてヨム・キプール戦争が起こりますが、彼女はモサドのつかんだ情報を信じず、アラブに不意をつかれてしまいました。そしてその責任を取り辞職したのでした。 

 

■ レビ・エシュコル 1963-1969

ヒスタドルード党、ハガナ

ウクライナ生まれで18歳の時に、まだオスマントルコの支配下にあったパレスチナへ移住してきました。

第三次中東戦争時の首相です。彼の功績によりアメリカがイスラエルへの武器援助を始めることとなり、結果世界最新の装備を誇る軍隊を作り上げることとなったのです。 

 

■ モシェ・シャレット 1954-1955

ウクライナ生まれで両親に連れられパレスチナへ移住してきたときはまだ12歳でした。ヘブライ語、トルコ語とアラビア語を話すことの出来るシャレットはオスマントルコの市民権を取得し、第一次世界大戦ではオスマントルコ軍で通訳として活躍しました。

イスラエルが建国されると最初の外務大臣となり、第一次中東戦争の停戦交渉を行いました。

 

■ デビッド・ベングリオン 1948-1953,1955-1963

ハガナ、ヒスタドルード党

イスラエル初代首相のベングリオンは、ポーランドの生まれです。首相就任期間はなんと合計13年に及びました。 

 

 

■ イスラエル建国前のユダヤ武装抵抗組織 

■ ハガナ Haganah
イスラエル建国以前のユダヤ人武装抵抗運動です。これはパレスチナに移住してきたユダヤ人をアラブ人が襲撃することに対抗して出来た地下組織です。

当時の支配者イギリス帝国にはユダヤ人を保護する事もアラブ人を保護する事も出来なかったのです。そのため、双方自分達で身を守っていたのでした。

民兵のハガナですが、特別に軍隊としての能力を備えた部隊パルマッハが有り、イスラエル独立戦争では主戦力となりました。

ベングリオン初代首相はハガナ出身で、ラビン首相はパルマッハ出身です。シャロン首相にいたっては14歳ですでにハガナに入隊していたそうです。

■ エッツェル Etzel (Irgun Zva'i Leumi)
ハガナから分離した組織で、イスラエル建国前のイギリス統治時代にエルサレムのホテルにあったイギリス軍司令部を爆破したグループです。過激派といってよいでしょう。司令官に後の首相メナヘム・ベギンがいました。

イスラエル国防軍設立時には組み込まれることを拒否して銃撃戦まで行なったのですが、最終的には国防軍と手を組みました。呉越同舟と言う事ですね。

■レヒ Lehi (Lohamei Herut Yisrael)
1940年にエッツェルから分離した先鋭的過激派です。創始者のアブラハム・シュテルンはエッツェルのやり方は生ぬるいと言う事で分離独立したのでした。

レヒはユダヤの敵、ナチスと戦っているイギリスをも敵とし、対アラブと言うより対イギリスでした。レヒは1944年11月6日、イギリスの植民相ウォルター・モイン卿をカイロで暗殺します。この事件はチャーチル首相を硬化させイギリスがパレスチナ問題の責任を国連に押し付ける原因となりました。

 

■ イスラエルの組織

■ イスラエル国防軍 ツァハル
イスラエル国防軍はイスラエル建国と同時に始まった、第一次中東戦争中に設立されました。この時メイン兵力となったのは上記のハガナでした。

イスラエル国防軍は戦時下となると、兵隊が24時間以内に招集されるシステムが整っています。この高度な予備役制度によってイスラエルの少ない人口でも、まわりの敵に対峙しながら経済にも人間をまわす事が出来るのです。

平時には国民は予備役となり、いざ戦争となるとすぐさま自分の部隊へ駆けつける事が出来るよう訓練されているのです。

□ サヤレト・マッカル Sayeret Mat'kal
イスラエルの特殊部隊です。ウガンダのエンテベ空港人質救出作戦は見事でした。このとき戦死1名がでましたが、この人は後のイスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフ氏のお兄様でした。

□ ゴラニ旅団 Golani
イスラエル国防軍の本課(歩兵)エリート部隊です。

□ ギヴァティ Givati
イスラエル南部軍管区を担当するギヴァティ旅団は国防軍設立時に設立された旅団です。

□ エゴツ Egoz
1995年1月に設立された、対ゲリラ戦特殊部隊です。設立時にはレバノンで活躍し、現在は北部国境を守り、ヒズボラとにらみ合っています。

□ S−13 Shayetet 13
イスラエル海軍の特殊部隊です。アル・アクサ・インティファーダが始まると、陸に上がり対テロ部隊としても活躍しています。

□ 空挺師団 Paratroopers
空挺部隊は基本的にどの軍隊でもエリート兵ですね。飛行機で敵地の奥まで進入して降下します。危険な任務ですが、一番重要な任務でもあります。

■ シャバック Shavak シン・ベット Shin Bet GSS General Security Service
イスラエル国内の情報収集と特殊工作を行う組織であり、秘密警察と言って良いでしょう。容疑者に対しては適度な肉体的圧力を加えることが認められているそうです。

■ モサド MOSSAD
イスラエルの情報部です。主に対外的な情報収集と特殊工作を行います。おそらく世界最強の情報部です。

■ ヤマム Yechida Mishtartit Meyuchedet
イスラエル警察の対テロ部隊です。

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