KDP クルド民主党
クルド人バルザーニ族族長、ムスタファ・バルザーニによって設立されたクルドの独立を目指す組織です。バルザーニは王政時代にソ連に亡命していましたが、イラク革命の後イラクに舞い戻りました。ところが革命政権と折り合いが合わなくなり、両者は対立します。 イラクでバース党が政権を取ると、今度はクルド人も政権に参加しました。しかし、それでもバルザーニは満足せず、結局またしてもバース政権と戦闘状態になりました。そんな折り、イラクとイランの間で政治取引が行われ、スポンサーであったイランからのバックアップが途絶えてしまいます。イランでもクルド人が問題となっており、イランはバルザーニが邪魔となったのです。バルザーニはアメリカへ亡命します、そして力を失ったKDPからPUKが分離独立しました。 1976年ムスタファ・バルザーニの息子マスード・バルザーニがKDPの党首に就任し、組織は勢力を取り戻し始めました。 フセイン大統領が政権を取ると、さんざん戦闘をしてきたクルド人に対し太陽政策を取ります。クルド人の閣僚も多数登用しましたが、KDPはまだ満足しませんでした。
イラン・イラク戦争が始まるとこの機に乗じてクルド人の独立を果たそうと、KDPとPUKは同盟を組みます。
フセイン大統領は激怒し、イランと戦いながらもクルドとも戦い、そして化学兵器を使った攻撃さえ行ったのです。そして、イラクはイランと停戦し、攻撃をクルドに集中します。 湾岸戦争が終わり、弱体化したフセイン政権の足下をすくおうと、再度クルド人はシーア派の人々と共に戦闘を開始しました。しかし、なんと言うことでしょう。イラク軍は戦争によって弱体化していましたが、フセイン大統領の親衛隊は無傷で残っていたのです。
そして又しても戦闘にやぶれたKDPはなんとフセイン大統領と和解し、PUKとの戦闘に力を入れてきたのです。
アメリカがイラクへ侵攻するとKDPはアメリカに協力し、アメリカが新政権を作るとこれに参加しています。 |