− パックス・ジャパニカーナ −


The Organizations
中東各地の諸勢力

■ パレスチナ
 

■ PLOの主流派
PLO
−PLA

アル・ファタ
−タンジーム
−アル・アクサ殉教者軍団
−フォース17
−PLF
−PSF
−PRC
−アブ・ニダル (PLO離脱)

■ 解放戦線派
PFLP (PLO加盟)
−PFLP−GC (PLO加盟)
−DFLP (PLO加盟)
−ALF (PLO加盟)

■ イスラーム原理主義派
ハマス  (非PLO)
−イザディン・アル・カサム軍団

イスラミック・ジハード (非PLO)

■ イスラエル
イスラエル国防軍
−モサド
−サヤレト・マッカル
−ハガナ
−エッツェル(イルグン)
−レヒ(シュテルン)

カハ、カハネ・ハイ

 

 

■ ペルシャの軍
 

パスダラン Pasdaran イラン革命防衛隊 
故ホメイニ師が作り上げた親衛隊です。初代司令官はハメネイ師でした。彼らは政府ではなくホメイニ師に忠誠を誓っており、反体制の人物暗殺や、イスラーム革命の輸出を行なっています。

イスラーム革命の輸出とは、各国にイスラーム原理主義を浸透させ革命を起こさせるためにパスダランが潜入し工作を行うと言うことです。

混乱した国ほどこれは容易であります。パスダランはレバノンでヒズボラを設立し、イラクではSCIRIをバックアップしています。

 

サバック SAVAK 改め サバマ SAVAMA 
旧イラン王国シャー(国王)直属の秘密警察です。サバックはイスラエルの秘密警察シャバックと名前が似ているのですが、これはイスラエルのシャバックがサバックの設立に関与しているからです。

今でこそ両国は敵対していますが、革命前のイランはイスラエルと仲がよかったと言うことです。

そしてシャバックによって訓練されたサバック要員は、国王を守るのみならず、イラクに対してちょっかいを出していました。イラクのクルド勢力をバックアップしていたのです。イラクのクルド勢力にはその見返りにイランのクルド勢力と手を組まないでくれと言うわけです。

そんなシャバックを持ってしても、イスラーム革命は抑えきれませんでした。革命後はトップや構成員が多数処刑されました。そして、サバックは革命政府の預かるところとなり、サバマとなりました。

 

ムジャヒディン・ハルク Mujahedin-e Khalq
イラン・イスラーム革命の頃から活躍しているイスラームの戦士です。イランの革命に参加したのに革命政権に対して反体制となり国外に追い出されてしまいました。

イランで非合法となると本部を隣国イラクのバグダットに置き、フセイン大統領がイランへのあてつけにバックアップしていました。

イラク戦争(第2次湾岸戦争)では、アメリカ軍に攻撃されましたが両者はすぐに停戦しました。

 

 

■ レバノンの軍
 
ヒズボラ Hizbollah  レバノン

レバノンに送り込まれたイラン革命防衛隊パスダランが作り上げた、イスラーム原理主義シーア派のゲリラ組織です。ゲリラにも関わらず、レバノン議会に議席を持ちます。つまり合法組織です。

レバノンに居座っていたイスラエルに対し激しい闘争をしていました。イスラエルがレバノンから撤退した後もイスラエル国内に対しロケット攻撃を加えています。

バックアップはイランとシリアです。

 

イスラミック・アマル Islamic AMAL
下記、アマルから分離した組織です。当時レバノン最大手の組織であったアマルからパスダランによって引き抜かれたフセイン・ムサウィ師によって設立されました。
レバノン議会に議席をもちます。

 

アスバト・アンサル Asbat Al-Ansar (非合法)
イスラーム、スンニー派の組織でリーダーはアブ・ ムージン(パレスチナ自治政府のアッバス議長ではない。欠席裁判で死刑確定)です。レバノンのパレスチナ難民キャンプで組織されました。

アル・カイダとのつながりで資産を凍結された上、レバノン国内でもヒズボラなどとは違い非合法組織となっています。イスラーム以外をターゲットにしテロを行っていました。

 

アマル Amal (Afwaj al Muqawamah al Lubnaniyyah) 
レバノン内戦で設立されたシーア派最大の組織です。同じシーア派のヒズボラが設立されてからはライバル関係にあります。

どうやらアマルはレバノン戦争の時にベイルートと南部で方向性の違いが出ていたようです。南部アマルではダウド・ダウド氏 Dawud Dawudがリーダーを務め、イスラエル支持として中央からほぼ独立状態で行動していました。

しかし、ヒズボラの攻勢が強く、南部アマルの支配力も減退していきます。そして、1988年9月、ダウド・ダウド氏はヒズボラに暗殺されてしまいました。

アマル党はレバノン議会に議席を持ちます。バックアップはシリアとイスラエル?です。

 

南レバノン軍(SLA)
シリアに占領されているレバノン政府を潔しとせず、PLOやそれを支持しているイスラーム組織およびシリア軍と戦っていたレバノン人の部隊です。宗教組織ではないのでキリスト教徒やムスリムの人々で構成されていました。

PLOがレバノンから出ていった後は、イスラエルと同盟しているため、新たに生まれたヒズボラが敵になました。イスラエルのレバノン撤退後は多数の隊員がイスラエルに亡命しました。

 

レバノン フォース Lebanese Forces

レバノンのキリスト教の民兵組織連合です。設立は1970年代の後期です。ちょうどレバノン内戦が拡大している時期に各キリスト教組織が武装部門を合併させたのです。

構成組織はファランヘ、自由党、レバノン防衛隊、タンジームです。詳しくはここをクリック

 

 

■ イラクの軍
 

アンサル・アル・スンナ Ansar al-Sunna
スンニー派クルド人によるイラクの反アメリカ武装抵抗組織です。下記クルド人組織のアンサル・アル・イスラームの別働隊とも言われ、アル・スンナを率いるのも元アンサル・アル・イスラームの隊員ではないかと思われます。そのため、当然アル・カイダと繋がっています。

この組織は交渉せず、譲歩せずという姿勢で、捕まった人質は殺害されています。侵攻軍に協力する者は許さないと、かなり強硬な組織です。特攻攻撃も行う組織です。主な作戦は以下。
2003.10.14 バグダッドのトルコ大使館を攻撃
2003.11.20 キルクークのPUK本部事務所を攻撃
2003.11.29 スペイン情報部員を攻撃
2005.05.09 ヒットで作戦中の紛争コンサルティング会社ハートの社員、斉藤昭彦氏(44)を拘束

 

イラク・ジハード・アル・カイダ Iraq Jihad al-Qaeda
ヨルダン人ゲリラ、ザルカウィ野戦司令官が率いるアル・カイダの衛星組織です。元々はザルカウィ野戦司令官が組織した反アメリカ国際旅団タウヒード・アル・ジハードでしたが、アル・カイダが接触しスポンサーになったのでしょう、その頃から名前にアル・カイダと付けました。

 

ムハバラート(ムカバラ) Iraq Intelligence Serves
旧フセイン政権の情報部です。国外ではスパイ活動、国内では反体制の人物の監視を行っていました。イラクで日本人外交官を襲撃したのはこのムカバラの残党であると言うことでした。

 

イラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)
イラクのイスラーム・シーア派最大の組織です。設立したのはアヤトラー家のムハンマド・バキル・ハキム師でした。

ハキム師はイラク政府に逮捕されること3度におよびついにイランに亡命しました。そして、1980年イランでSCIRIを立ち上げたのです。

ファイラク・バデル The Badr Corp
SCIRIの軍事部門で、兵士はイランのパスダランによって訓練されています。 

 

CPA 連合軍暫定当局 
イラクを占領したアメリカは国防総省が統治を開始しました。太平洋戦争後の日本を統治していたGHQと同じです。

当初、ORHA(オルハ)と言う組織が作られましたが、すぐにCPAとなりブレマー文民行政官が局長となりました。このCPAの下にイラク人の組織である、イラク暫定自治政府があります。

2004年6月28日、イラク統治評議会に主権を委譲しました。つまり、占領統治を形の上で終了したと言うことです。当初主権委譲の儀式は29日に予定していましたが、反対派の攻撃が激化していたため、一日早く行いました。

ブレマー文民行政官は29日にアメリカへ帰国しました。

 

ICDC Iraq Civil Defense Corps イラク民間防衛隊
反フセインの民間人を集めて、結成された民兵組織です。武器の取り扱いなどの訓練はアメリカ軍から受けるので、最初の訓練は英語の修得でした。

アメリカ軍はイラク人による防衛組織の方が不審者を見分けられたり、外国の軍隊がいると言う圧力もないので結成したようです。

対テロ部隊も組織されました。もっとも、民間人を訓練したくらいでは特殊部隊として役に立つはずがありません。そのため、この部隊はファイラクバデルやクルド勢力の実戦経験者から集められたようです。

 

アンサル・アル・イスラーム Ansar al-Islam
2001年11月に設立された、旧フセイン政権支持のクルド人イスラーム原理主義組織です。元はクルド人のイスラーム組織によって設立されましたが、メンバーはアル・カイダから派遣されているため、外国人が多数います。同じクルド人組織PUKと激しく戦っています。

バックアップはアル・カイダです。旧イラク情報部ムハバラートも強力にバックアップしていましたが、政権崩壊と共に資金も消えました。

 

KDP クルド民主党
クルド人バルザーニ族族長、ムスタファ・バルザーニによって設立されたクルドの独立を目指す組織です。バルザーニは王政時代にソ連に亡命していましたが、イラク革命の後イラクに舞い戻りました。ところが革命政権と折り合いが合わなくなり、両者は対立します。

イラクでバース党が政権を取ると、今度はクルド人も政権に参加しました。しかし、それでもバルザーニは満足せず、結局またしてもバース政権と戦闘状態になりました。そんな折り、イラクとイランの間で政治取引が行われ、スポンサーであったイランからのバックアップが途絶えてしまいます。イランでもクルド人が問題となっており、イランはバルザーニが邪魔となったのです。バルザーニはアメリカへ亡命します、そして力を失ったKDPからPUKが分離独立しました。

1976年ムスタファ・バルザーニの息子マスード・バルザーニがKDPの党首に就任し、組織は勢力を取り戻し始めました。

フセイン大統領が政権を取ると、さんざん戦闘をしてきたクルド人に対し太陽政策を取ります。クルド人の閣僚も多数登用しましたが、KDPはまだ満足しませんでした。 イラン・イラク戦争が始まるとこの機に乗じてクルド人の独立を果たそうと、KDPとPUKは同盟を組みます。

フセイン大統領は激怒し、イランと戦いながらもクルドとも戦い、そして化学兵器を使った攻撃さえ行ったのです。そして、イラクはイランと停戦し、攻撃をクルドに集中します。

湾岸戦争が終わり、弱体化したフセイン政権の足下をすくおうと、再度クルド人はシーア派の人々と共に戦闘を開始しました。しかし、なんと言うことでしょう。イラク軍は戦争によって弱体化していましたが、フセイン大統領の親衛隊は無傷で残っていたのです。

そして又しても戦闘にやぶれたKDPはなんとフセイン大統領と和解し、PUKとの戦闘に力を入れてきたのです。 アメリカがイラクへ侵攻するとKDPはアメリカに協力し、アメリカが新政権を作るとこれに参加しています。

 

PUK クルド愛国連合 Patoriotic Union of Kurdistan
1975年6月、KDPの幹部であったジャラール・タラバーニ氏が、KDPから分離独立した組織です。

 

 

■ エジプトの軍
 

自由将校団 Free Officer Movement アラブ圏
アラブ諸国の軍人によって各国で結成され組織です。エジプト革命、イラク革命、リビア革命を引き起こしました。各国の自由将校団には組織的なつながりはありません。

 

ムスリム同胞団 Muslim Brotherhood イスラーム圏
イスラーム原理主義で過激な団体です。エジプトで組織され、革命のときは自由将校団とともに活躍しましたが、ナセルの批判をしたことで弾圧を受け壊滅状態になりました。

その残党がジハードなどになり、国外に逃亡しそれぞれ活躍しています。ただ、全盛期の影響力はなく、今は一応穏健派と呼んでもよいと思われます。しかし、実はパレスチナでハマスを組織しています。

 

ジハード Al-Jihad 、ガマアト・イスラミヤ Gama'at al-Islamiyya
サダト大統領を暗殺したイスラーム原理主義過激派です。さらに、観光地ルクソールで観光客に銃撃を浴びせました。この被害者の中には観光に来ていた日本人も含まれていました。

さらにさらに、ガマアト・イスラミヤはエチオピアを訪問中のムバラク大統領の暗殺を狙って銃撃します。ボディーガードは死亡しましたが、ムバラク大統領は無事でした。

このジハードとガマアト・イスラミヤは同じ組織と言っても良いと思われます。なぜなら両グループともオマル・アブドル・ラーマン師の元で組織されたグループだからです。

 

 

■ スーダン共和国
 

NIF 民族イスラーム戦線 National Islamic Front
ハッサン・トゥラビ師(ムスリム同胞団スーダン支部)率いる、イスラーム原理主義組織です。共和制になったあとも政府最高実力者でしたが、イスラーム原理主義から脱却しようとしていた大統領と決別。

NIFも再組織化され現在は普通の政党NCとなりました。トゥラビ師は新たに政党を組織しましたが、政府内では失脚状態です。

 

SPLA(SPLM) スーダン人民解放軍 Sudan People's Liberation Army
ジョン・ガラン中佐(お名前がイスラーム系でないことに注意)によって設立された反政府組織です。現政権から見て反政府ということ。SPLAはスーダン南部を拠点として、ゲリラ活動を行っています。バックアップはエチオピアです。

ガラン中佐は南部の部族出身ですが、SPLAは決して南部の独立を目指しているわけではありません。あくまでスーダン国民としての反政府組織です。だったのですが・・・、SPLAは1991年8月に分裂します。

SPLA−torit
分裂したSPLAの主流派と言うべきでしょうか、ガラン中佐のSPLAです。ガラン中佐は政府と結んだSPLA−nasirとも激しく戦闘を繰り返します。

 

SPLA−nasir
1991年に分裂したSPLAの派閥です。リーダーや幹部達はガラン中佐の部族と違う部族の出身でした。それが引き金となったわけではないのですが、結局はそこか・・・。

そして、政府は反政府勢力であるはずのSPLA−nasirを支援するのです。ガラン中佐に対するあてつけでありました。

SPLA−nasirは後に、ガラン中佐が結成したSPLAの方針から完全に離れ、違う組織へと発展していきました。それがSSIAでした。

SSIA(SSIM) 南部スーダン独立軍
1993年3月、SPLA−nasirが反ガランの勢力を集め、結成したグループです。当初はSPLA−unitedと称しましたが、SSIAと改称しました。SPLA−toritと激しく戦う。

 

SSDF 南スーダン防衛軍
SSIAの幹部の1人であるマチャルが結成したグループです。1998年4月、マチャルは副大統領のおよび南部スーダン調整会議議長に就任しました。

しかし、2000年1月、やはり政府は信じられないと言う事でまたしても反政府組織となりました。もちろん副大統領は辞任しました。

 

NDA 国民民主連盟
北部を拠点とする反政府組織です。イスラーム原理主義に対抗するためスーダンの各勢力が集まって結成されました。共産党から原理主義ではないイスラームまで。
1995年6月にSPLAと同盟を組みました。

 

アニャニャ Anyanya
アニャニャはスーダンの第1次内戦で戦った組織です。ジョセフ・ラグ将軍が組織し、スーダン南部の部族が集まりました。スーダン南部の独立を目指し戦いました。

アニャニャU AnyanyaU
第2次内戦で結成された、アニャニャと同系等の組織です。スーダン南部の部族の集まりで、必ずしも一つの組織として行動が一致していません。

これはスーダンという国家の特徴ですが、民族が多いのです。そのため、部族ごとに派閥が発生するのです。アニャニャUにおいても、SPLAと組んでいると思えば、政府と組んでみたりと、色々あります。

 

 

■ アルジェリア民主人民共和国
 

FIS イスラーム救国戦線 Front Islamique du Salut 
イラン革命の影響で勢力を伸ばしてきたイスラーム原理主義組織です。1991年の総選挙でFLN党に圧勝しましたが、同時に軍がクーデターを起こし選挙は無効化された上、FISは非合法組織として取り締まられました。そして、軍部の革命評議会も解散し、大統領との話し合いにより、2000年テロの放棄と解散を決定しました。

軍事部門としてAISがありました。

 

GIA 武装イスラーム軍団 Groupe Islamique Arme 
イランとスーダンのバックアップによるイスラーム原理主義過激派です。FISと政府の停戦が気に入らなく、双方の穏健派に対してテロ行為を行なっていましたが、FIS解散により対政府戦に絞られた。しかし、ラディン師との関連でアメリカから資産を凍結されてしまいました。

 

FLN アルジェリア民族解放戦線 Front de Libération Nationale 
フランスからの独立を勝ち取った武装ゲリラです。勝ち取ったとはいえ最終的には話し合いで成功した無血クーデターであり、親フランス組織です。

イラン革命の影響で勢力を伸ばしてきたイスラーム原理主義組織FISに選挙で敗れてしまいましたが、同時に軍がクーデターを起こしFLNを乗っ取り、選挙も無効化されたので、一応は与党のままです。

 

GSPC Groupe salafiste pour la Prédication et le Combat
1998年にGIAから分離独立したグループでハッサン・ハッタブHassan Hattabが設立しました。ブーフテリカ大統領とFISの停戦合意を非難して、対政府戦を展開しています。

GSPCは通常攻撃声明を出しませんが、かなりの戦果を挙げていることは周知の事実です。GSPCはアルジェリアで最強の組織となり、ブーフテリカ大統領と正面切って対立しました。

GIAはアル・カイダど繋がってはいますが、アル・カイダの組織ではありません。これに対しGSPCはアル・カイダそのものです。設立にはラディン師自らが関わっていたとされます。

そのため、攻撃も世界中で活動しています。パリダカ・ラリーをターゲットとして狙ったこともあります。

2004年6月17日から政府軍がGSPCの拠点に攻撃をかけ、17日に4人、18日には3人を射殺しました。この戦死者の中にはGSPCのリーダー、ナビル・サラウィ師Nabil Sahraouiが含まれているとのことです。最高幹部のアブディ・アブドゥルアジズAbdi Abdelazizも戦死しました。

 

 

■ その他の組織
 

アル・カイダ イスラーム救世教団  Al-Qaeda アフガニスタン
世界中のイスラームグループはアル・カイダと裏でつながっているとの噂があります。上記ヒズボラやハマスももちろんです。

アメリカはWTCビルへのテロはラディン師の仕業だとし、匿っているアフガニスタンのタリバーンを倒しました。 

 

KGB 国家保安委員会 ソビエト
カー・ゲー・ベーと発音します。ソ連の情報部であり、中東でも活躍していました。今は一応解体され、組織も変わりましたがロシアに情報部がなくなったわけではありません。現在のプーチン大統領はKGB出身です。

 

CIA 中央情報局 アメリカ
アメリカの情報部です。CIAの保有する偵察衛星(スパイ衛星)は衛星軌道上からフセイン大統領の表情までわかるそうです。ほんとかなぁ・・・。

 

FBI 連邦捜査局 アメリカ
地方の警察では扱いきれないような、大掛かりな事件を扱います。ラディン師を指名手配しています。

 

GSG−9 ドイツ
ゲー・エス・ゲー・ノインと発音します。西ドイツ・ミュンヘンオリンピック事件で、ブラックセプテンバーにイスラエル選手団を殺され面目が立たなかったドイツは、特殊部隊の設立を決定しました。

そして、テロに対する経験の豊富なイスラエルの指導により、この対テロ特殊部隊GSG−9が生まれました。

 

バーダー・マインホフ ドイツ赤軍 ドイツ
 Baader-Meinhof & RAF (Red Army Faction) 

イスラームでもなく、パレスチナ人でも、アラブ人でもない、ドイツ人のバーダーさんとマインホフさんによって設立されたマルクス・毛沢東主義のギャングです。

バーダー・マインホフは銀行強盗などを行なう犯罪グループですが、ドイツ赤軍(RAF)はそこから組織化され、その名も日本赤軍から取ったと言うだけあって左翼テログループです。

PFLPなどと協力関係にあり、エンテベ空港エール・フランス機ハイジャックでPFLPと協力し、乗客の解放と交換で、逮捕されているアンドレアス・バーダーの釈放を要求しました。

このサイトでは通常、問題ない範囲でドイツ赤軍をバーダーマインホフと表記しています。

 

日本赤軍 Japanese Red Army 日本
学生運動から生まれた共産主義のテログループで、警察の取締りにより日本での活動が出来なくなるとアラブに拠点を移しました。PFLPと協力関係にあり、アラブ諸国のゲリラ養成基地で訓練を受け、中東問題に関わるテロを起こしました。

 

toranosukeandumanosuke