■ ヘルプ・アフリカ・ピープル
1994年、ケニアの首都ナイロビに”ヘルプ・アフリカ・ピープル”と書かれた看板のオフィスが出来ました。この団体、実はアル・カエダがアメリカ大使館を攻撃するために作ったアジトだったのです。
このアジトから大使館を攻撃するための入念な準備が開始されたのです。アリ・モハマドという元アメリカ兵が大使館を偵察し、実行計画が練られていきます。
■ 計画実行
計画開始から4年後の1998年8月7日、ナイロビのアラブ人街にあるヒルトップホテルに集合した実行犯達は、トラックに乗り込み出発します。目標はアメリカ大使館です。トラックには事前に調達してある爆薬が満載されていました。
大使館の裏手に到着したトラックから、ムハマド・アルオワと言うサウジアラビア人が飛び降り、大使館に向かって手りゅう弾を投げ込みました。トラックはそれを合図に大使館に突入します。
”アッラー、アクバル!”
トラックは大使館のゲートを突破、館内へ突入し荷台に満載された爆薬を爆発させます。この満載された爆薬の威力はすさまじく、大使館は全壊してしまいます。
この攻撃で291人が死亡5000人以上が重軽傷を負うと言う大戦果となったのでした。
■ 同時刻、タンザニア
その日、タンザニアの首都ダル・エス・サラームはいつものように喧騒に包まれていました。ここのアメリカ大使館にも怪しいトラックが近づいていました。
そして、ナイロビで大爆発があった同時刻、こちらのアメリカ大使館でもトラックに満載された爆弾が炸裂したのです。この戦果は10人死亡77人が重軽傷を負いました。
この2つの爆破でイスラーム聖地解放軍と言う名のグループが犯行声明を出しましたが、実態の無いものである事は間違いありません。つまり、ラディン師の宣戦布告もあり、アル・カイダの犯行だと思われます。
■ アメリカ報復攻撃を行なう
アメリカのクリントン大統領はラディン師の関与である可能性があると言う報告を受け、8月20日このテロに対する報復として、巡航ミサイルトマホークでアフガニスタンのアル・カイダ訓練基地とスーダンのハツルーム郊外20キロにある薬品工場を攻撃します。
これは、アル・カイダの基地ならともかくラディン師と決別したスーダンをも攻撃し、クリントン大統領は議会から非難されました。しかも、証拠が無いのです。
アメリカは必死の捜査の後、アリ・ムハマドを逮捕し、証言を得ました。アリはラディン師と作戦会議を行なったと証言したのです。これで、アメリカは11月4日、ラディン師を起訴します。
アメリカが報復攻撃をしたのが起訴する前だったと言うのが怖いです。証拠が無いまま攻撃したのでした。しかも、証拠と言っても証言のみです。
アメリカとラディン師の戦いはまだまだ続きます・・・。 |