ハワトメはこの頃、レバノンに潜伏していました。しかし、レバノンで政情が不安定になるとハワトメはイラクへ移動します。イラクでANMを率いていましたが、カセム将軍が政権を取ると、ハワトメは逮捕され投獄されてしまいます。 イラク政権で今度はアーリフ大佐のクーデターが成功すると、ハワトメは釈放されます。ところが、アーリフ大佐によってバックアップされていたはずのANMですが、新聞を発行した事で当局から問題視されてしまいます。結局この新聞は27日間しか発行できませんでした。 そして、結局ハワトメは協力者であったはずのバース党(アーレフ大佐)に疎まれ、国外退去を命じられました。その後、イラクからも欠席裁判で死刑を宣告されます。 1967年には南イエメンに入り、独立運動に参加します。この頃にはハワトメの名前は革命家としてアラブ世界では有名になっていました。 第3次中東戦争が終了するとハワトメはパレスチナ独立運動に本格参加し、PFLPに招聘されました。PFLPは革命思想と保守派の融合いに成功し、勢力を拡大しましたが、ハワトメは共産主義第一を通し、新たにDFLPを設立しました。 1970年、ヨルダンがPLOを排除するために戦闘を開始しましたが、この時、ヨルダン政府はハワトメを捕らえるか殺害した者には賞金を出すと公式に発表します。 しかし、ヨルダンはハワトメを捕まえる事はできませんでした。 現在はシリアのダマスカスに本部を置き、活動しています。 |