− パックスジャパニカーナ −

 
The Middle East Conflict
イスラエル建国による中東問題の発生
(というか複雑化)

 

■ 中東問題

中東問題とは、ユダヤ人がイスラエルという国を作ったため、そこに住んでいたユダヤ人ではない民族(アラブ人)が納得できないと言って、手段や主張の強弱はありますが、ユダヤ人に立ち退きを迫っている事から両者の間で起きている摩擦(擦り過ぎで火が出てる)の事です。詳しくは以下。

 

■ 中東問題の始まり

国を持たないかわいそうな民族ユダヤ人は世界中に散らばっていました。ユダヤ人は生まれた場所(パレスチナ)からローマ軍によって追い出されていたのです。それからずっと、自分達の権利を保護してくれるものがないので迫害を受けてきました。

そのため、彼らは国家を持ちたくなったのです。しかし、世界中どこを探しても、国ができるほどの空き地があるはずありません。さらにユダヤ人が生まれた町も今は人のものです。ただ、そこは未だ国家として独立している訳ではなかったのです。

このパレスチナ地方は、ローマ帝国が滅びた後にはオスマン・トルコが領地とし、オスマントルコが第一次世界大戦で滅びた後はヨーロッパの委任統治領です。

ではこの土地を分けていただこうと、あるユダヤ人がオスマン・トルコの皇帝、その後はイギリス帝国にお願いします。しかーし、イギリス帝国にもいろいろ事情があったのです。

以下イスラエル独立前夜へ・・・。

 

■ 本題へ行く前に、予備知識Q&A

Q パレスチナって何のことですか?
 イスラエル、ヨルダン、シリア、レバノンあたりを指す地域のことです。日本でいえば関西とか関東みたいな感じです。完全な枠組みがある訳ではありません。

Q パレスチナ・アラブ人って誰ですか?
 パレスチナ地域に住んでいるアラブ人です。ただし、現在この地域は国境で区切られているので、同じパレスチナ地域に属するシリアやレバノンではその国の人々という事になっています。シリアに住む人はシリア人、レバノンに住む人はレバノン人です。

ちなみにアラビア語を話す人は全員アラブ人です。

Q パレスチナ国という国家がないからパレスチナ・アラブ人はいないのですか?
 います。そして、パレスチナという国家はヨルダンがその任に当たっています。ヨルダン王家はアラビア半島から来た一族ですが、国民はパレスチナ・アラブ・ヨルダン人です。

Q なぜ国家(ヨルダン)があるのにパレスチナは独立しようとしているのですか?
 イスラエルで生まれたアラブ人は、やはり自分の土地で独立したいと考えるのです。しかし、そこはイスラエルという国が支配しています。そのため、独立を望んでいるのです。

Q じゃあユダヤ人って誰ですか?
 ユダヤ教を信仰している人々です。人種ではないので、外見からは分かりません。

Q アラブ人でもユダヤ教を信仰していればユダヤ人なのですか?
 はい。アラブ人とはアラビア語を話す人の事です。これに対しユダヤ人とはユダヤ教を信仰している人々の事なので、アラブ人でもユダヤ教を信仰していればユダヤ人です。

Q イスラーム教徒でもユダヤ教に改宗すればユダヤ人になりますか?
 はい、なれます。ただし、改宗するにはラビ(ユダヤ教の偉い人)の認定が必要です。審査は厳しいです。

Q なぜユダヤ人はイスラエルにこだわるんですか?
 大昔、ユダヤ人が国家を持っていた時に、エルサレムが首都だったからです。その国家が滅亡してから現在のイスラエルまで、ユダヤ人はどこにも建国できませんでした。

というわけで、これを踏まえて以下、イスラエルの独立へ。

 

■ イスラエル独立前夜

イスラエルがあるパレスチナ地域は第一次世界大戦までオスマン・トルコの支配下にあり、アラブ人やユダヤ人達が普通に暮らしていました。

第一次世界大戦でオスマン・トルコが滅びると、イギリス帝国とフランスがこの地域を領土とし、イギリス帝国はアラブ人には独立、ユダヤ人には国家建設というひとつの地域にふたつの国家建設という矛盾した約束をします。帝国のこの行動は約束を守るつもりがないと取れ、意味が分かりません。

その後、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人たちがイギリス帝国の言葉を信じてパレスチナの地に逃げ込んできました。

 

■ パレスチナアラブ人の独立

イギリス帝国はアラブ人との約束を実行するため、ヨルダンという国を建国させます。ヨルダン建国の背景は、レバノンとシリアがフランスの領土となったため、これに負けないよう中東地域へイギリス帝国の影響力を強めるため(アラブを味方につけるため)の駆け引きでもありました。

帝国はこのヨルダンをパレスチナの独立という名目で行ないます。これによりパレスチナアラブ人の国家が誕生したのでありました。

しかし、ユダヤ人に対しては国家を建国せず、依然(現在の)イスラエル地域はイギリス帝国の委任統治領であり、ユダヤ人は国家を持ったアラブ人とイギリス帝国に対し敵愾心を燃やします。

 

■ 民族抹殺

第二次世界大戦前夜、ナチスによるユダヤ人迫害が激化し、ナチス支配地域を逃げ出したユダヤ人達が、パレスチナ地方へ大量に押し寄せてくようになりました。

そして、お金持ちのユダヤ人達(ヨーロッパからの移民)はパレスチナアラブ人から土地を片っ端に買い取りはじめ、その様は、まさにユダヤ人の国が建設されるかという勢いでありました。

しかし、そういう大掛かりな事をすれば当然社会問題(=中東問題の具現化)になってしまい、実質的に土地を無くしたパレスチナアラブ人とユダヤ人の間に軋轢がはっきりと見て取れるようになるのです。

第二次世界大戦が終結すると、ドイツ領以外の世界中に散らばっていたユダヤ人は自分たちの立場をはっきりと認識し、パレスチナの地に自分たちの国家建設を現実的に考え始めるのです。

 

■ ゲリラ合戦

パレスチナのユダヤ人とパレスチナのアラブ人の間ではついに社会問題が激化し、双方が武装地下組織を作り、テロやゲリラ活動が行われていたのです。

ユダヤ人過激派はパレスチナアラブ人だけではなく、国家建設の約束を果たそうとしないイギリス帝国も攻撃対象にしました。そして、イギリス帝国はエルサレムの軍司令部を爆破され、さらに植民相モイン卿を暗殺されるにいたりついにさじを投げ、この地方の権限を新たに設立された国際機関”国連”に委ねたのでした。

 

■ イスラエル建国

まったくもって、国連に委ねられたからといって丸く収まる問題ではなく、早くどうにかしないとユダヤ人、パレスチナアラブ人の双方に死者が増大するばかりでありました。

そして国連は、イギリス帝国の約束を実行する事を決意し、イスラエル建国に踏み切ったのです。ユダヤ人達は狂喜しました。しかし、同時にパレスチナアラブ人を支持する周辺諸国はこれをはねつけ、イスラエルに攻め込んできたのです。(第1次中東戦争)

 

 

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