■ 第1次世界大戦
1914年に始まった第1次世界大戦は、文字通り世界を巻き込んでの戦争でした。アラビア半島も例外ではありません。
当時、群雄が割拠していた半島ではイスラーム聖地メッカ(Mecca)を守護するフセイン・アリーが連合軍側に立って参戦します。
このフセイン太守と敵対していた勢力の1つに、アブドゥル・アジーズ・ビン・サウードというベドウィーンがいました。この人物がアラビア半島を統一し、サウジアラビアを建国するのです。
さて戦争ですが、オスマン・トルコが同盟軍側にたって参戦し、スルターン(トルコ皇帝)は連合軍に対してのジハードを唱えます。
しかし、イスラームの聖地を守っている当のフセイン太守は、イギリスに寝返っていました。さらに、アブドゥル・アジーズもイギリスと接触し、戦争後の領土の保障を約束させ、連合軍側にたって参戦したのです。
この戦争でフセイン太守とアブドゥル・アジーズは同じ陣営で戦う事になったのですが、実は元々敵対している両者は、進撃の途中でいざこざが絶えませんでした。
そうこうするうちにオスマン・トルコが降伏します。これで、両者はまたしても戦闘状態になります。アブドゥル・アジーズの軍はフセインの次男アブデュラが自軍に向けて進撃中と知ると、待ち伏せ攻撃を行い、これを撃破します。
さらに、オスマン・トルコ軍に組していた豪族とクウェートとの連合軍とも戦闘になります。方々を敵に囲まれたアブドゥル・アジーズでしたが、さらにフセイン陣営も領土を拡大し、プレッシャーをあたえてきたのです。
■ フセイン太守、アラブ王となる
1921年、シリアを占領していたフセイン太守の三男ファイサルはフランスに追い出されたあと、イギリスからイラク国王にしてもらいます。さらに、次男のアブデュラはトランスヨルダンを建国します。こうして、フセイン陣営はアブドゥルアジーズを囲みこんできました。
アブドゥル・アジーズはそれに対抗して、今まで首長としていた自身の呼称を、スルターンに変えます。こうして、自身の知名度の向上に勤めたのです。
そんな中、メッカのフセイン太守、改めヒジャーズ王はカリフとなる事を宣言します。(カリフ制度は2日前に廃止となっていた)この勝手な宣言にイスラームは反発します。もちろんアブドゥルアジーズも例外ではありません。
■ アブドゥル・アジースの攻撃
今こそ天命だと悟ったアブドゥル・アジーズは、フセイン王に総攻撃をかけます。メッカへと迫るアブドゥル・アジーズ軍を見て地元の有力者達はもはやこれまでとフセイン王に退位を迫ります。フセイン王はやむなく長男のアリーに王位を譲ります。
新王となったアリーは、ジェッダをヒジャーズ国の砦とするため、戦力を集中します。そうして、がら空きとなったメッカをアブドゥルアジーズ軍が占領してしまいます。
1925年が明けると、敵の本拠地ジェッダの目と鼻の先まで迫っていたアブドゥル・アジーズはついに総攻撃を開始します。約一年の戦闘でヒジャーズ王アリーはついに降伏し、イラクへと去って行きました。
こうして、長年の宿敵ヒジャーズは半島から一掃され、1932年9月22日、ついにアブドゥル・アジーズは国名をサウジアラビア王国とし、自身は国王に就任しました。こうして後に、石油が発見され世界的に有力な国家となる国が半島に誕生したのです。
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