管理人のこれまでの経歴
0歳('80)〜
13歳('93)〜
17歳('97)〜
20歳(2000)〜
現在

1980
5月
0歳
22日,愛知県豊明市の藤田保健衛生大学付属病院にて,蟹江家の長子として生まれる
両親にとって2年間子供が出来なかったあとの待望の第1子で,「天からのお恵み」だと恵と名付けられる
1982
9
2
22日,弟が生まれる
1983
4

地元の愛知県愛知郡日進町立(当時,現在愛知県日進市)中部保育園入園
1985
5
4
4日,妹が生まれる
1987
4
6
日進町立(当時)西小学校入学
1988
5
7
6日,母方の祖父が亡くなる
1992

12
(長編)小説を書き始める
1993
4

日進町立(当時)日進西中学校入学


13
(読書感想文で亡くなった祖父のことを書き,郡コンクールに入賞する)

10

日進市制定(弟が市制記念の絵画コンクールで市の最優秀賞に選ばれ記念式典で表彰)
1994
10
14
体育の授業中に右膝を骨折し,1週間入院



この年にアトピーがいよいよ悪化,集団無視に遭ったことも加えて不登校癖が始まる
1995
6
15
断続的な不登校の結果修学旅行も欠席

11

名前「恵貢観」を授かる
1996
4

滑り止めで受かった愛知県立天白高校入学

 
16
短編詩を毎日のように書く日が続く
1997
3

天白高校を1年で転学(やめる)

4

愛知県立旭陵高校(通信制)3年次に転入学(単位制度の関係上3年次に)
スクーリングは日曜と火曜のみで週5日休日に



地元日進市のNGO(海外協力団体) アジア保健研修所(AHI)
スピーチフェスティバル実行委員ボランティアとして月1回通い始める

6
17
更にAHIの事務所ボランティアとしてこのときから高校卒業までの2年近く週2回通う
1998
7
18
東京にあるNGO活動推進センター( JANIC,現国際協力NGOセンター )主催のNGO職員・ボランティア研修に
AHI代表(?)として参加,フィリピンを10日間訪問(初の海外旅行)

9

自らが実行委員を務めるAHIスピーチフェスティバルに出場,
フィリピンでの経験について悪名高い(?)英語のスピーチをする

12

再びJANIC職員・ボランティア研修(今度は愛知県内)に参加,
NGOとの関わり方について再考させられることになる
1999
3

旭陵高校卒業

4

斡旋業者の手を借りず(情報収集だけして)ニュージーランド・オークランドの語学学校に自費留学する(6週間)

6
19
帰国後,正規留学費用を捻出するため地元のスーパーマーケットで週5日(朝9時~夕方5時)アルバイトを始める

10

働き始めた直後に現在の大学の奨学生募集の記事を発見,補欠で辛うじて合格
2000
4

仕事(当時パート契約)を退職,フルタイムでは3年間の学生時代空白を経て
ニュージーランド・パーマストンノースにあるインターナショナルパシフィック大学 に入学

5

通常の日本人1年生が入る基礎教育学部にパートタイムで籍を置きつつ
やはりパートタイムで2年目の国際総合学部に(英語力が当時足りていたので飛び級で)入る

9
20
国際総合学部でフルタイムで勉強を始める
2001
2?

現編集長の山崎衣通香(いつか)ちゃんから話を持ちかけられ,共通の友達山本絵美里ちゃん,
衣通香ちゃんの現旦那さんDaniel Parkesさん,絵美里ちゃんの恋人Chang-yi Lo君と5人で
Writers' Group The 8th Continentを発足

4

Writers' Group The 8th Continentによる文学雑誌「 Melange(メランジュ) 」創刊(全英語,無料配布)


  絵美里ちゃんの提案で雑誌をインターネット上で公開する当ホームページを立ち上げ,
手続きをした私が管理人を務めることに,初めてホームページ作成に取りかかる

5
  当HPにて「 管理人MGの*うぇぶますたぁ*(!?)日記 」を始める

    奨学生の新条件として大学内で無償で働くことになり,日本語クラスのアシスタント,
国際総合学部ピア・チューター(学部生の勉強の手助け,英文課題の添削など)を始める

6
21
私も選挙管理委員を務めた学生会長選挙で当選した新会長から学生会規約委員会長の就任要請を受けるが,
当時ネパールでボランティアをしないかという話があったので辞退し(後頓挫する)当委員会のヒラメンバーになる

9
  米国ニューヨークで同時多発テロ事件発生

10
  米英軍によるアフガニスタン報復攻撃が始まる
2001
12
  日本に休暇帰国
2002
2
  今年12月卒業を目指し,就職活動(4月まで。4月末ニュージーランドに戻る)

8
22

29日午後10時3分,母永眠(享年50歳)
母の逝去の2日前に日本緊急帰国(12月卒業を捨て)


9
  実家で卒論だけを続けながら主婦1年生奮闘(〜12月上旬まで)

12
  ニュージーランドに戻る
現在


ニュージーランドの大学寮で最後の夏休みを謳歌中