公衆電話から相沢の家に電話をかけた。 困った時のために、一応電話番号だけは聞いておいた。 僕から連絡できないと困るって言った時、相沢はすごくびっくりしてたな……。 あいつ、電話のことなんてすっかり忘れてたらしい。やっぱり僕のアパートに電話がなかったせいだ。 変なところでボケてるって言うか、抜けてるって言うか……。でもかわいいな。 電話はすぐにつながった。僕は苗字を偽る。相沢との取り決めだった。僕の名前を出すとつないでもらえないから、相沢のクラスメートの名前を借りてる。声だけじゃわからないらしくて、彼の母親はすぐにつないでくれた。 相沢は学校から帰っていた。 「なに、どうしたんだ、いきなり?」 今日待ち合わせてて会えるのに、なんで電話したのか怪訝に思ってる声だった。 「あのさ、相沢。今日ごめん。なんか、尾崎さんがお店予約しちゃったとかで、一緒に食事することになったんだ。それで相沢に来てもらっても、今日は難しくなっちゃうから、できれば明日にしてほしいんだけど」 「お店って……なに? なんの店?」 「レストランだって」 「……」 受話器の向こうで相沢が一瞬、黙り込んだ。 「……食事してからは?」 「え……。マンションに帰ると思うけど? ただ、何時になるかわかんないし」 「今日がいつかわかってんのか?」 少し機嫌を損ねてるような声が聞こえた。 「わかってるよ、イヴだよ。だけど、予約しちゃってんのに、キャンセルさせるの悪いだろ?」 「そりゃ悪いかもしれないけど、だけど、こんな日に一緒に食事したがるってことは、やっぱりおまえのこと諦めてないってことなんじゃないのか?」 ドキッとした。 図星だからだ。 こんな一緒に住みはじめたばかりから、尾崎さんの気持ちが見えて、かわす方法ばかり探してる。そのくせ、距離を作りすぎないようにしてる。 尾崎さんの視線が僕をどう見てるかなんて、本当はわかってる。尾崎さんが理性ですべてを抑えてることにも気づいてる。僕はその理性に、甘えてすがってる。 尾崎さんは僕を傷つけたくないと思ってるから、僕はその気持ちを利用してる。 僕はやっぱりこういう奴だった。 「相沢、まだ十二月だよね」 「うん」 「心配しなくても、僕は大丈夫だよ。尾崎さんも、約束破ったりしないよ。僕が誰のこと好きなのか彼は知ってるから。おまえも急ごうとしないでよ。四月なんてすぐに来るんだから」 「……うん」 明日の時間を約束して、僕は受話器をおろした。公衆電話から吐き出されたテレホンカードを持ったまま、少しぼんやりとする。 四月になったら、相沢が家を出て独り暮らしをはじめる。その前に大学に受かんなきゃならないけど、相沢ならたぶん大丈夫だろう。相沢は本気で僕と一緒に暮らすつもりでいるみたいだけど、もしも彼の家族に知られたらどうするつもりなんだろう。 自立して仕事持って独り暮らししてるのと、学生の身分とじゃ天と地ほどの差がある。学費だって家賃だって、親が払うに決まってる。だとしたら、僕がそこに転がり込むのは何か違う気がする。 だからって、大学やめて就職してほしいわけじゃない。あいつの人生に僕がどうこうなんて言えない。いつかあいつだって、普通に結婚するかもしれないし。 ため息が出た。 せめて僕が女だったら、話はもっと簡単だったんだろうな。 普通につきあって、普通に結婚して、普通に子供が出来てしまえば、きっと誰も文句言わないし、平穏無事に年寄りになれるかもしれない。 でも僕が男で、相沢のことが好きでも、そのまま平和に時間が過ぎていってくれるわけじゃない。 軽く頭を振った。考えても仕方のないことだった。 なるようにしか、なりはしない。 今さら僕の人生なんて、修正きかないし。 公衆電話から離れて、僕はアルバイトしてる店に戻った。 レストランは、金額的には高そうだけど、恰好はわりと普通でも大丈夫なところだった。 最近、ちょっとお洒落な店ってのが流行ってるらしくて、若い男女のカップルでごった返しだ。そんな中で僕たちは、男ふたり連れと言う珍しいツーショットで、予約席に腰をおろした。 「なんだか、場違いな感じがする……」 これでもかってくらい男女のカップルが多すぎた。もしかしたら、混んでる店内のすべての席がカップルなんじゃないだろうか。 尾崎さんが笑った。 「ほんとうだ。男同士で連れ立ってるのって、俺たちだけみたいだな」 「逆に目立つかも」 と、僕はいいながらも、それぞれのカップルたちが互いの顔しか見てないことにも気づいてた。こうしてハタで見てると笑っちゃう。やっぱ、クリスマスイヴとなると空気が違うみたいだ。 「俺たちは恋人同士には見えないのかな」 尾崎さんが笑いながら言った。冗談のつもりなのか本気なのか、ちょっと判断つかなかった。 「そう見えたら見えたで、怖いものがありますよ」 冗談っぽく僕が返すと、尾崎さんが少し意味ありげな目でこっちを見た。僕は気づかないフリをして、メニューを開く。 「……たっかーい……」 「今日だけ奮発しようと思ってね。いつもはさすがに無理だからね、フリーターの身じゃ」 でも今働いてるファミレスは、少額だけどバイトにもボーナスが出るから、収入的にはそう悪いところでもなかった。そりゃあサラリーマンや公務員とじゃ比べもんにならないけど。 相沢は普通にサラリーマンにでもなるのかなぁ……なんて考えてたら、尾崎さんに呼ばれた。 「ぼんやりしてるけど、注文はもう決めた?」 「え? あ、まだです」 メニューを見るとどれもこれも高い値段がついていて、気後れしてしまう。 「今夜くらいは質素な考えは捨てて、豪華になりなよ」 なんかまた、尾崎さんはおごってくれるつもりらしい。気前がよすぎてちょっと怖いくらいだ。 なるべく高すぎず、安すぎない料理を選んだ。あんまり高いと迷惑だし、安いのを注文すると何か言われそうだったから、その中間にした。 料理の他に、尾崎さんがワインを注文した。僕の分まで。 「未成年ですよー」 と冗談っぽく僕が言ったら、尾崎さんはシーッと唇に人さし指を立てて、 「今夜だけは特別」 いたずらっぽく言った。 今さら未成年なんて言ったって、さんざんビールを飲んで暮らしてきた僕だから、少しくらいのアルコールなんて平気だった。よく考えたら、尾崎さんのいる前で酒を飲んだことがない。だからきっと、尾崎さんは僕がアルコールが初めてじゃないことをまだ知らないんだろうなぁ。 豪華な食事を食べ、たわいなく楽しい話をして、ワインをグラス何杯か飲んだ。 結局、尾崎さんて人はこういう場でとても楽しい人だった。だから僕も楽しい時間をすごせる。こういう人になんで彼女がいないのか、改めて不思議だった。 店を出て歩いていたら、なんだか視界が変だった。 もしかして、僕はワインをナメていたかもしれない。 ビールでアルコールに慣れてるつもりだったけど、ビールとワインとではアルコールの分量が全然違う。 「大丈夫かい? 足取りがなんか、危ないよ」 尾崎さんはやっぱり大人だ。全然僕より酒に強い。なんかちょっと悔しかった。 「らいじょーぶですよー。ほらぁ、ちゃんと歩いてるでしょー?」 自分でも呂律が怪しいのがわかった。正気を手放してないっていう自覚はあったけど。でもまだ、ベロベロに酔ってるわけじゃないし。 歩いて行ける距離だから、尾崎さんのマンションまで歩いていた。冷たい風に当たることで、なんとか酔いが覚めてくれないかな……なんて思ってるけど。 いろいろ喋ってる間に、じきにマシンョンに着いた。 エレベーターで五階まであがった。酔ってる時にエレベーターの振動はちょっと気持ちが悪かった。部屋に戻ると時間はもう、十時を過ぎていた。 帰ってくるなり尾崎さんは棚を探り出して、ウィスキーなんか持ち出してきた。 「もう少し飲まないかい?」 という言葉につられて、ふたりで飲むことになった。 僕は結構、アルコール類が好きらしい。 飲んで喋って楽しく過ごしてるうちに、だんだん眠くなってきた。さすがにアルコールをとりすぎたみたいだった。身体に力が入らなくて、ぐにゃぐにゃする。 「眠いの? 寝てていいよ。後で俺が運んでおくから」 尾崎さんのその声を聞いて、僕はまたベッド送りにさるんだろうなあ……なんて、ぼんやりと思った。お言葉に甘えて僕は床に転がった。なんだかすごく、気持ちいい。 「なんできみはそんなに無防備なんだろうね」 そんな声とため息が聞こえたけど、僕は何も考えなかった。それより眠い。 うつぶせに転がっていた僕は、突然ひっくり返された。閉じかける瞼をムリヤリ開けてみると、尾崎さんの顔がすぐ近くにあった。なんとなく、ヤバイってことだけ感じた。 でも妙に夢の中みたいな感覚で、現実感が全然ないから、僕の中に危機感はなかった。 尾崎さんの顔が近づいてきて、唇を塞がれた。不思議なことに僕はショックを受けなかった。遠慮なく舌が入ってくる。そのキスが気持ちよかったから、僕は目を閉じて力を抜いた。尾崎さんのキスはずっと続いたけど、それだけだった。それ以上のことはされなかった。少なくとも僕の意識があるうちは。 ────っ!! ハッと気づいた時には朝だった。 ベッドの中で跳ね上がるように上半身を起こした僕は、その瞬間の叩きつけられるような頭痛に驚いてベッドの中に倒れた。 ……ベッド? やっぱり僕は尾崎さんのベッドの中だった。気分の悪さと頭痛を感じながら、僕は念のために服を確かめる。昨夜着ていた普段着のままだった。崩された様子はない。 ……よかったぁ。 だけど僕は覚えてる。酔ってる僕にキスした尾崎さんのこと。 あのままもしも、服を脱がされて愛撫されても、僕は抵抗できなかったかもしれない。身体は抱かれることになんて、慣れすぎてるくらい慣れてる。尾崎さんのことは嫌いじゃないし、酔ってる時って快感に弱いし、ホントにマジでやばかった。 尾崎さんの理性が強くてよかった……。 僕だけじゃなく、尾崎さんも酔ってたはずだった。その状況の中で、よく理性が保てたな……。すごいな。 「悟瑠くん」 突然すぐ近くで呼ばれて、僕はビクッとしてしまった。まさか傍に立ってるなんて思わないから、完璧にふいうちだった。だいたいなんで、尾崎さんがまだ起きてないなんて根拠もないこと思ってたんだろ? のろのろと僕が声の聞こえた方を向くと、透明な液体の入ったガラスのコップが目の前にあった。 「……?」 「いきなり跳ね起きたから驚いたよ。その後にはなんか、もぞもぞとしてるし。心配しなくても、俺は何もしてないよ。どうやら完全な二日酔いだな。とりあえず水を汲んできたから飲みなさい」 「……すみません」 恥ずかしい。一部始終見られてたのか。 奇怪な行動だったろうなあ……。 今度はゆっくりと身体を起こして、水のはいったコップを受け取った。水を飲んでみたところで、頭痛が治るわけじゃなかったけど、少しは楽になったような気がする。 「俺はバイト行くから、きみはゆっくりと休んでなさい。きみを酔い潰したのは俺の責任だな。食事の用意は一応しておいたから、調子がよくなったら食べて。いいね?」 「はい」 ……ということは、今日僕は欠勤ってこと? 「酔い潰した上に二日酔いにさせて、約束破ってキスまでした埋め合わせに、今日の分のきみの給料は俺が払うから」 「えっ? そんな……いいです!」 思わず大声だしたら目眩がして、また僕はベッドの中に沈んだ。 そんな僕を、尾崎さんが見て笑う。 なんで尾崎さんは平気なんだよ……。あれだけ飲んでて……。 「じゃあ、行ってくるから」 「……いってらっしゃい」 ベッドの中にもぐったまま、僕はそれだけ言った。部屋はじきにシンと静まり返って、やがてしばらく経ってから、僕がひとりきりになっていることを自覚した。 …………とりあえず、寝よ。 身体も頭もだるいし重いから、今日はダラダラと過ごさせてもらおう。なんだか、相沢に会う前の僕みたいだな。 ……。 ────っ!! 相沢を思い出して、今夜の約束を思い出した。 「やば……っ」 起き上がろうとしたけど、身体は思うようにいかない。時計を見た。まだ午前だった。相沢との約束は夜の七時。待ち合わせ場所は駅。 行かなきゃ! まだ時間はたっぷりとあった。でもこんな体調じゃ困る。どうしよう……。 頭はガンガンと何かが足踏みしてるような有様だし、ヘタに動けば胃の中がひっくり返るかもしれない。……気持ちワルイ。 結局、ベッドの中から動けない。とにかく、ひたすら寝て、回復を待つしかないと思った。夜にならないうちに、調子よくなってくれることを願って。 |