ストリップ入門番外編

ヤクザなんて怖くない!!

業界での基本的なマナーです。

ヒモとヤクザは禁句です

一体どんな一言が相手を傷つけるか解りません。余計な一言は禁物です。

ヒモについての文化人類学

ヒモのつもりがヤクザになったっす。

それでも愛はあるのか

実話です。読んでください。

フィリピンダンサーVSやくざ

ちょっとシンドイハナシです。

踊り子というひとたち

今回はコントさん達のハナシを。

踊り子というひとたち、2

踊り子の視力のハナシ

楽屋のちびギャンブラー

楽屋にいる平均的な子供たちのハナシ

長老ダンサー

ストリップ業界最高齢ダンサー

 

ヤクザなんて怖くない!

 

 ストリップと言うと怖いお兄さんがとりしきっていて一歩楽屋にはいればヤクザ丸出しの怖そうなおじさんが、踊り子達の生き血をすすっていると言う、ありがちなこの業界にたいするイメージは実は現実とそんなにかけはなれたものではありません。確かにはじめのうちはそうも見えることでしょう。〔見たとおりなんですけどね。)もともと世間一般の価値観で作られた世界ではないのでそれは仕方がないことですし、一見不合理にみえるシステムもそれなりの根拠と原則に基づいてつくりあげられたものですから外面等は時代に応じて変化することがあってもその本質はなんら変わることはないと考えたほうがいいでしょう。いずれにせよ一般常識が通用するような世界でないことだけは何度でも機会の在るたびに肝に命じておかねばなりません。
 でもいいように解釈すれば、この世界にはこの世界なりの常識があるだけのことで、それをおおきく逸脱しないかぎりあまり怖い思いをすることはないということになります。
都内の劇場の大部分は警察の取り締まりが激しくなるという理由で随分早い時期からカタギの人たちの経営にかわっていますし、地方の某系ヤクザが経営しているような劇場でも、必要以上に恐れることは在りません。何よりストリッパーになった時点でもう貴女は立派な彼らの仲間ですし、この業界、基本的に踊り子が一番エライのでよほどバカなことでもしないかぎり、問題にされることはありません。只、やはり始めはまだ比較的一般常識が通用するカタギの劇場からスタートするのが良いでしょう。

ヒモとヤクザは禁句です。

 

ちなみにこの業界ではヒモっていうのとヤクザッていうのだけは禁句です。ヤクザの人たちの中でも、女のヒモでメシをくう というのはそれなりに肩身の狭いものらしいのです。ですから楽屋にはどう考えてもそうとしか思えない人たちが必ず何人かはいて、しかもどうどうとお金をたかったりしているのですが断じてヤクザではないし、ヒモではないのです。別に面とむかって

「オジさん、ヒモなの?」
って聞いても、その場で刺されたりはしないでしょうが、只その場で皆沈黙し、堪え難いくらい気まずい空気が流れるのは必至でしょう。

 では彼らのことを何と呼べばいいのでしょうか?基本的にはオトコは全部オニイサン、オンナは全部オネエサン、偉そうな人は、社長か支配人。(勿論この最後の2人にかんしては、ちゃんとほかのオニイサンたちに確認してから声をかけてください。)
 一応これが基本ルールになっているので、オニイサンと呼んで構わないしちゃんと挨拶等交わしておけば、気を使ってケーキなどを差し入れてくれるようにもなるでしょう。ただ彼らは立場的にはマネージャーということになるので、時々そう呼んであげると喜びます。
 ちなみに挨拶は、どんな時間であろうが「オハヨウ御座います」終われば「お疲れさまでした」舞台にあがるときには必ず周りの人たちに「おさきします」と声をかけます。

                               

 

ヒモについての文化人類学

 手前にも書きましたが此の業界ヒモというのとヤクザっていうのだけは禁句になっています。
 何故かというとシャレにならないくらいやくざでなおかつヒモをやっているひとがたくさんいるからです。
 本来ヤクザの基本になっているモノの考え方の大部分は江戸時代の儒教や朱子学を可能なまで単純解釈しそれぞれの生活風土に置き換えた地域文化と半ば強引に融合したものですから、女に対してベースに成っている考え方や捉え方は模倣父系社会(本来の武家社会では実際の血縁が大きくものをいうが、当時のヤクザたちの大半が戸籍等の社会的存在性を抹消もしくは、はく奪された流民まがいな人員で構成されていたため杯という疑似的血縁によって組織的結束をかため武家社会に対抗した)のスタンスを基本としています。
 これが本来の父兄社会だと血筋を守るために女は私有財産として扱われるので余程生活的に破綻しないかぎり女は重要な財産の一部として擁護(勿論いい意味ではない)されますが、ヤクザ社会のような模倣父系社会の場合血筋がさほど絶対的な力をもっていませんから、当然そのためにのみ女を擁護する必要がありません。
 ヤクザ社会において最も重要なのは縄張りと言うテリトリーで女など彼らにとって、縄張りのなかの必要な小道具のひとつにすぎません。彼らが唯一敬意を払う女はアネさんくらいのものでそのアネさんも彼女自体のちからで評価されているわけではなく絶対的上位にある人間の個人的財産であるからなのです。
 従って本来、女のヒモをやっているというのは自分の手持ちの駒で生計をたてているということでそんなに肩身の狭いことではありません。ただしそれはどんなシノギでもそうですがあくまでも手広くやっていればの話でたった一人の女にたかって生きているようなのは只のカイショ無しとしてバカにされ群での地位も最低のランクになります。
 実際ストリップでのヒモというと何故か此の情けない男達がほんとに多くあまつさえトラブルメーカーですらありえます。

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それでも愛はあるのか??

(愛と差別は共存繁栄するものなのか?)

 新宿三丁目にあったモダンアートという劇場は企画モノの多い独特な劇場として知られていましたが、タレントには小さくて使いづらいシャワー室と清潔ではあったけど狭くて空気の悪い楽屋で知られていました。
 どうしても都内の劇場の楽屋は狭く、旅回りの踊り子さん泣かせではありましたが、モダンアートはそのなかでも屈指の居住性の悪さを誇っていました。

 まだ梅雨が開ける前にその貧相な踊り子は乳飲み子を連れ替えの衣装もなく、わずかの着替えとまだ湿っているおしめをもって乗り込んできました。

 「旅なので泊りなんですがよろしいんでしょうか?」
おずおずと切り出されてもいまさら帰れとはいえませんから、取り敢えず楽屋に通したそうです。ところが楽屋には当時うるさがたで知られていたとても気の強いオネエサンがいてしかも彼女は子供が大嫌いなうえに泊りでした。

 楽屋でのイジメがその日のうちにキって落とされました。
 子供が泣く度にオネエサンが怒りその度に彼女は子供を連れて外へでねばなりませんでした。
 それでも外が晴れていればまだなんてことはないんですが、折りしも梅雨の最中です。

 カネもなく行き場のない彼女は劇場の入り口の隅で震えながら雨とオネエサンの怒りをやり過ごす日々が続きました。そうやって二〜三日が経過しオールナイトの日がやって来ました。
 劇場は普段は一日4回興行ですが土曜日の深夜は別に2回余分にやる習わしになっています。そしてその2回分のギャラ(ナイトギャラという身も蓋もない言い方をします)だけはその時にもらえ、タレントたちのちょっとしたお小遣いになっていました。
 (ちなみにその貧相な子連れのオネエサンは出し物が本番マナ板ショーでしたからざっと2万円〜3万円位貰える計算になります。)
 ナイトの日は遅くなるので大体のタレントは泊りになります。
事件は次の日の朝におきました。
 まだみんなが寝静まっている八時ごろトキならぬ痴話げんかが始まったのです。
 みればなんだかみたこともないチンピラ丸出しの男があの貧相なオネエサンを一方的に殴っています。となりで寝ていたオネエサンは既に彼女の子供を連れてどこかへ避難したらしく子供共々姿が見えません。
 残りの踊り子たちが取り敢えずタヌキ寝入りをつづけるか、インターホンを使って事務所の人間を呼ぶか逡巡しているといきなりあのイジメの張本人が雄たけびをあげました。
「くオラ!!そこんチンピラあ!!たいがいにしときね!!」
 などと得体の知れない方言で威嚇しつつチンピラをぶっ飛ばしたそうです。
 あまりウエイトに恵まれていなかったチンピラは壁際まで軽く飛ばされ悶絶してしまいました。さらにトドメをさそうと掃除機をもって近寄ると今度はあの貧相なオネエサンが鼻血をたらしながら、それでも毅然と言い放ちました。
「あんた!ウチのヒトになんしよるんかねっ!!」
 壁に背中をうちつけてうんうん唸っている情けない男は彼女の亭主で、結構業界では有名なクズのようなハコ屋をして生きている男の舎弟でした。
 彼より下にはいかなチンピラさえも存在為えないというくらい情けない男でした。
 その日も遊ぶカネ欲しさにナイトギャラをせびりにあらわれたのです。
 一緒に九州からでてきたものの別に男をあげる機会もなく、女をしゃぶるように摂取しながら東京までついてき てしまったのです。
 でも結局彼女はチンピラ君になけなしのナイトギャラを渡し自分は事務所から前借り〔バンスっていいます)してその場をしのいだといいます。

 この後もなんどか彼らは都内で目撃されていましたがそのうち話題にも上らなくなりました。こんなハナシは腐るほどあるし、とりたててどうっていうこともないからです。
でもあの寒かった雨の日に外で泣いていた子供のことを思いだすとそんな彼らにも幾ばくかの愛があることを願って止まないのは私だけなのでしょうか?                      戻る                       

フィリピンダンサーVSヤクザ

一時期やたらストリップ業界にフィリピンから出稼ぎダンサーが押し寄せてきたことが在りました。
 これが何故か中国やカンボジアや北朝鮮やベトナムではなくフィリピンのダンサー達でした。
 そのあたりの事情はあまり解りませんが、かなり商売になったらしく最盛期には自分が何をさせられるのかもわからないままかなり大勢のフィリピン女性が不法就労者として日本にやってきました。
 もともと看板に外人ダンサー来演中とかくだけで大入りがでるほど日本のオヤジは外人が大好きです。(ホントは金髪の方の外人が好きなんだろうけど、現実にはブラジル系のダンサーがたまにいるだけでアングロサクソン系ダンサーはあまりいない)おかげで看板には外人ショー以外に
金髪ショー(毛髪と陰毛、場合によってはわき毛まで脱色して金髪にしたダンサーが生殖器を見せるショー)などという意味不明な言葉が踊っていた時期もありました。
 彼女達の多くは当時政情があまり思わしくなかったフィリピンで食い詰めてしまった家族を助けるためにヤクザたちの口車に乗った妻であったり、娘たちであったりしました。しかも女性達のなかにはロクに仕事の内要も説明されぬまま連れてこられた女達もかなりいたようで怒って帰ってしまったりするケースも在り,トラブルが絶えませんでした。
 それでも、大半の女達はいくらヤクザ達に摂取されようとも当時の彼らにとっては圧倒的なまでの高額なギャラを1円でも多く家族のもとに持ち帰るために日本に残り、ハードな本番まな板ショーに出演していました。
 でもこれは看板上では外人マナ板本番ショーということになり、当時警察当局が一番神経を尖らせていた出し物でもありました。
 当然の如くバリバリ逮捕者がでて、大勢の不法就労ダンサーたちが本国へ送り返されましたが、いくらでもかわりがまたやってくるので内部の人間からみれば
タダの税金の無駄遣いとしか思えませんでしたが・・・。

 日本に渡ってきた彼女達はしたたかで逞しく日本のダンサーたちのイジメなどものともせず、(だって言葉が通じないから、あまりイジメようがない)たとえ捕まって送り返されても偽造パスポートを作ったり、偽装結婚をしてみたりとアノ手此の手でまた稼ぎに来るのでした。
 日本にいる間は極力出費をさけ、スキあらば日本人ダンサーの
荷物をガメてみたりと、涙ぐましいまでの努力を惜しみません。
 彼女たちを詐欺同然に日本につれてきたはずのヤクザたちも彼女たちのパワーに押され気味で、少なくとも同じタレントとしてのポジションからみればとてもそんなに悲壮感があるようにはみえませんでした。
 一度、出番に遅れたフィリピンダンサーがいて、彼女を見せしめのためにワザと皆がいる前でフクロにしたチンピラ君がいたのですが、その日の夜には
フィリピンダンサーの大軍にやみ討ちにあい、タマをつぶされてしまったこともあったくらいです。
 彼女たちの存在は日に日に侮れないものになっていきました。
 生活、風習の違いからくるトラブルが後を絶ちませんでした。風呂のなかにシャンプーを大量にいれて風呂をわかして
風呂釜を粉砕したり、便所で子供を生んでしまったりと全盛期にはさしものヤクザたちもとても対処しきれない状態だったのです。
 やがて、警察が本腰をいれはじめ取り締まりが異様に強化されたのと、いい加減ヤクザ達も少しはこりたのか、だれでもかれでもフィリピン女性ならという傾向はかげを潜め、慣れたダンサーに限られるようになっていきました。
 その頃仲良くなったフィリピンダンサーに家族の写真というのをみせてもらったことが在るのですが、まさに
ウルルン地球家族?なんかでみるような南国の村そのもので、どこまでも広がる真っ白い砂浜に葉っぱの屋根のおうち、その前でポーズをとる腰ミノだけの家族、で、漁師をして暮らしていたというんです。
「いいとこじゃない。日本なんかよりずっといい」というと
「も、だめ。ココ棲めないよ」というので理由を聞いたら、日本の企業がそのあたりの海岸をまとめて買い占めてカンズメ工場かなんかにしてしまったと訴えます。
 おとうさんもおにいさんもいきなり漁ができなくなって、落ち込んでノイローゼになり、おかあさんは失踪してしまったと涙ぐみ、彼女は家族ともう一度暮らすために出稼ぎにきているというのです。
 彼女によれば、日本に三回くらいくれば(一回きて六ヶ月間、目一杯廻れたとして、16週は仕事ができるわけです)家を建ててなんらかの店を出して、商売はじめられる充分な資金が貯まるのだそうです。
 でもその時点で、すでに偽装結婚で日本国籍をもち七回目の出稼ぎに着ていた彼女はその辺のヤクザより遥かにしたたかになっていて、後から解ったことだったんですけど
南国のウルルン家族のハナシは全て作り話で、此の手でバカな日本人の同情をさそい、タカリまくっていたのでした。
(とは言え、高度成長経済当時、公害問題等で日本で操業できなくなった企業の多くは日本の良きリーダーのアメリカを見習って、当時まだ規制が甘かった東南アジアに多数の工場をつくり東南アジアの環境破壊と地域社会の崩壊に大きく貢献しました。
 それより以前から入り込んでいたイナゴの群のような商社の大群も当時から森林を紙パルプなんかにしまくって、高地民族を山から叩き出し、浜をそのまま買い占めて、横流しにし三百年程続いてきた漁村を亡き者にしたりと、それを規制するどころかガンガン推進させた日本政府もふくめて無茶のやりまくりでした。
 そんなところへ東南アジア反日武装戦線に爆弾を仕掛けられ関連企業のいくつかが多少の被害を受け<巻き添えになった人たちのほうが多かったたんだけど>日本のマスコミが相も変らずその場しのぎのクソの役にも立たない正義とヒューマニズムを振りかざして大騒ぎしてくれたわけです。
 おそらく今、現在も本質的にはそんなに状況は変わっていないはずですが、もうだれも気にするものは居ないでしょう。
 興味がある人は東南アジア反日武装戦線のHPへ。不親切かもしれないけどアドレスは自分で調べてね。)

 此のあたりのことは、ちょいと面倒なハナシになるんですが それぞれにおいていろいろ考えなきゃちょっとまずいんで一概に答えなんてだせないんですが、結論的にいえばどこにも正義なんてないゾと言うことだけでしょう。
 正義という言葉によく躍らされますが本来は個人レベルでの価値観の差というだけのことですし、どこをどういじろうが国家と言う乱暴な集合管理システムが存在するかぎり、量的質的な変化が若干あるだけで個人レベルのハナシ(それも個人と言うもののレベルによって雲泥の差がありますが)などノミの糞の様なものに過ぎません。
 でも忘れないようにしましょう。
いつまでも覚えていて、そのうちちゃんと返さなければならないからです。
 どうもハナシがそれてしまいましたがこのあたりのことを書くうえではかわせないことなので、付き合っていただくことにしました。わざわざここまで読んで下さって本当に有り難う御座います。
 質問、御意見など在りましたらゲストブックか、メールの方へ、可能なかぎり御答えします。



踊り子と言う人たち
(コントさんの憂うつ)

コの業界には実にさまざまなヒト達が生息しています。
 簡単にわけるとまず劇場を経営している人たちと裏方のひとたちです。
 警察の取り締まりが最低でも年に2回はあり、その場合食堂のオバサンとかモギリや、売店の人間以外、つまり何らかの形でステージに係っていたか、経営に参加していたとみなされた人間はほぼ一網打尽で連行されてしまいます。そのため長い間はたらくことが難しい職場であり、照明なんかのスタッフが育ちづらい傾向があります。
 だから2〜3年して劇場にのると社長か支配人が交代していたり、照明さんや蒲団引きのおじさんなんかが全然知らない人になってたりするわけです。
さて、出演者の場合は踊り子とコントさんの2種類しか存在しておりません。
踊り子はまえにも書いたとおり、フリーで自分で仕事をとり全国をまわっているヒトと劇場に所属してコースを劇場側に依託している場合にわかれます。
(別にどちらも一長一短があり判断は難しいところですが先ほど書いたような警察に厄介になってしまった場合などは劇場に所属していたほうが有利なようです。)
さて、コントさんたちは原則として劇場と専属契約を結ぶのが通例なようです。
 出演する劇場も基本的にその専属契約を結んだ劇場に限られています。
 ところがどんな劇場にしてもそう沢山のコントさんを一度に出演させるわけにはいきませんからコントさんのなかで、裏方を兼任していたり、マッサージ等のアルバイト(勿論踊り子の肩をもむ)にせいを出すことヒトがおおくなります。
 ギャラは踊り子に比べると格段に安く、しかも始めのうちはソンナに舞台にたたせてもらえるわけでもありませんから、おそらく食べていくだけでも大変なはずです。
 それでも彼らがストリップに出演するのは芸をみがくうえで最適の場所であると考えているからのようです。
 もともとストリップ劇場自体が軽演劇の小屋から変化したものですし、なにより彼らの強力な先輩達の多くがストリップ出身者なのですからムリのないことかもしれません。
 只、現実の壁は激しく、何年か立つとそのままストリップの従業員になっていたり、踊り子と関係をもち、劇場を追われてしまったりとなかなかうまくはいかないのが現実です。
 私がまだ舞台に立っていた頃レオナルド熊さんが浅草ロック座にいて、ビートたけしさんが道劇にいたとかつての相方にいわれ、思い出してみると、
熊さんのほうはスケベなオヤジとして覚えてるんですが、ビートたけしの方がどうしても思い出せません。
 それで当時の関係者なんかに聞いてみたら
「マッサージのおじさんだよ。」と言われてそれで、やっと思い出しました。
 私言われるまで完全にマッサージを正業にしているヒトだと思ってました。確かに言われてみれば変なマッサージのオジサンでマッサージの間中ものすごくつまんないギャグを誰も頼んでないのにずーうっと独り言のようにぶつぶつ言ってましたっけ。
でもそのときはやっぱりストリップ劇場だし、まともなマッサージなんてきてくれないんだと思い少し悲しくなりましたけど・・・・。

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踊り子というひとたち2

この業界あくまでも主役は踊り子のオネエサン達です。
タダひとくちにストリッパーといって実にさまざまな人たちがいるわけで、それをまとめてひとつのショーにもっていく劇場の従業員たちの苦労はなみなみならぬものがあります。
今回はその辺りのことを書いてみましょう。

1,ストリッパーの視力について

 新宿にあったモダンアートという小屋は地下にあり、その楽屋の空気のワルサはそりゃぁひどいモンでした。
シャワーも狭くてお世辞にもきれいとはいえないし、個室だってありません。でも、舞台は赤いキレイな床で天井も高くて踊りやすい洒落た劇場でした。
照明もメインで結構長くやってたお兄さんが上手い人で、音響設備もちゃんとしていましたから、演るぶんには申し分のない劇場でした。

ある日、そのモダンアートにまだ、始めて1年以内の新人(といっても二十台後半)の洋舞のオネエサンと日舞で古参のちょっとうるさいぞってオネエサンが乗り込んできました。
(乗り込むってのは出演するために劇場にやってくることをいいます。)
この新人のオネエサン、多少トウがたっているもののまだ、まだ初々しくて、良く気がつくヒトでした。
外出すると必ず楽屋と従業員に差し入れをするのも忘れません。
一体誰が彼女を教育したのかは解りませんでしたが、実に気持ちのいいヒトでした。
マナーもいいし、お客さんの受けも最高です。
確かにまだ、ダンスもへたでショーはあまりパッとしないものでしたが懸命にやっている初々しさがうけたものか、楽屋にはファンからの差し入れの花がひんぱんに届くようになりました。

でも、コの事態をまるで、シンデレラのお継母さんのようにこころよく思っていない女性が一人だけ楽屋の隅でチャンスを狙っておりました。そう、彼女と一緒に乗り込んできたアノ日舞のオネエサンでした。

勿論彼女は悪い人ではありません。ただ、他の踊り子さんたちと同じように、ちょっと了見がせまいか、ひん曲がっているだけのことなんです。
此れが、牢名主ならぬ楽屋名主でもいれば一気にイジメへと発展するところでしょうが、(そんなことは、そうひんぱんにはないけど・・タマにあります)今回のったタレントたちは大体、キャリア的にも事務所の力関係的にも実力伯仲といったところだったので、なんとなく民主主義でそういったムードにはなりそうもありません。
なによりその新人のオネエサンは諸先輩を立てることを忘れませんでしたので、一人隅で
シンデレラの継母さん状態の彼女を除けばなんにも問題はなかったのです。
では、一体日舞のオネエサンはなにが気に入らなかったのでしょうか?
からくりはこうでした。
日舞のオネエサンのコウバンはその新人のオネエサンのあとだったんです。
新人のオネエサン中日を待つまでもなくすっかり人気者になっていましたから、お客が彼女目当てに集まるようになっていて、彼女が終わるとさっさと帰っちまうか、
便所タイムになってしまっていたんですね。
だから、日舞のオネエサンが舞台にでると、何だかヒトがいない・・・客席がざわざわしてるし・・・さっきのステージで騒ぎ疲れた客がなんだか生欠伸かましていやがるし・・・最悪ナノは、本番なのに上がってくるヤツがいない・・

オネエサンの怒りと悔しさは理解にあまりあるものが在ります。
勿論彼女もただ手をこまねいていたわけではありません。
曲を派手なものに替え、衣装も正月にしか使わない一番
ゴージャスな打ち掛けをワザワザコウリヤマからダンナに届けさせました。出も客が帰るスキをあたえないように、新人のオネエサンが引っ込むと同時の暗転板付きです。(新人のオネエサンの曲が終わると同時に舞台の明かりを落とし、その暗やみの中で、舞台中央にスタンバイし自分の曲が始まると同時にスポットを当ててもらう、こうすることで客の退路を立つ作戦です)この努力のせいか、(主に暗転板付きの効果で)本番のときもジャンケンするくらいの客が残ってくれるようにはなりましたが、日舞のオネエサンの気は済みませんでした。

でも、やがて運命の歯車がまわり日舞のオネエサンにややセコイけど復習のチャンス(ッて別に新人のオネエサン何にも悪くないんだけどね)がやってきました。

中日を2日程過ぎた、その日3回目のステージ。
新人のオネエサンが引っ込み、舞台は一度暗転になります。
曲の頭の所で、スポットを入れたところいるはずの
オネエサンがいない!これはどうしたことかと舞台ソデの所のインターホンで呼んでみるとちゃんと日舞のオネエサンが待機している、でも出れないというので理由を聞いてみると新人のオネエサンが舞台を汚していったからだという、仕方がないので一旦中断しマイクアナウンスをいれ、蒲団引きのオジサンにモップをもってとんでいってもらいました。
薄暗い地明かりのなか日舞のオネエサンに指さされたところをナンだか、懸命にオジサンがモップで擦っていますが、勿論照明室からはなんにもわかりません。後で汗だくになって帰ってきたオジサンに聞いてみると
生理のものらしき血が何滴かおちていたそうです。タダ、暗いうえに舞台の床も赤いので彼にはみえなかったので、彼女にいわれたとこを拭いてきたそうです。でも、拭いてきたモップをみるとところどころ赤くなっていたんで、血が落ちていたのは確かなのですが、どうして暗転のなかで彼女にそれが見えるのかまでは理解に苦しむところでは在ります。

でも、この事件は結果的に新人のオネエサンを追い込むにはあまりある力を発揮したようです。
表立っては、新人のオネエサンの衆目環視のなかでのゴメンナサイと差し入れの伊勢丹のクッキー詰め合わせで無事解決したはずなんですが、この件ですっかり意気消沈した彼女は舞台そのものにも活気を失い楽屋に届く差し入れもめっきりへってしまいました。

かわりにというか、こんなことで自信を取り戻したのか、はたまた気が済んで憑き物でも落ちたのか、日舞のオネエサンはこの後全開バリバリで楽日まで突っ走り、楽屋はオネエサンの花でいっぱいになっていました。まぁ、シンデレラも現実に立ち戻ればこんな感じになるんでしょうか・・・それにしてもなんで見えたんだろうね・・・・・。

 楽屋のちびギャンブラー

今はどうだか知りませんが、遡ること二十年前はストリップでゲームといえば花札のことでした。
何故か人生ゲームはいうまでもなくトランプすらあまりみかけなかったように思います。
楽屋でなんだかヒマになってゲームでもやるかということになればでてくるのは必ず花札で(取り敢えずやることがなんにもないマネージャーのお兄さん達とか出番待ちのおねえさんとか、むかしなにやってたんだか全然見当もつかない妙におっかない布団引きのじい様だとか・・)一度始まると際限なくうち興じていたものでした。
まぁ私なんかは基本的にギャンブルそんなにスキじゃなかったし、やたら高い楽屋レートで遊べるほど優雅な暮らしでもヤケクソでその日暮らしをしていたわけでもなかったのでいつも遠目に眺めているだけでしたが。

何しろ、大抵の楽屋って狭いもんですし、しかもオネエサン達には一日4回必ず出番がやってきます。

出番と出番のあいだがあまりないところでも2時間位のサイクルになってしまうので、座布団1枚のスペースがあれば何人でも参加出来て(花札のこいこいだとオヤとコの1人対1人の対戦という形式でコが負けるたびに交代していくというパターンなので途中からでも入れるし、適当に抜けることも出来る)ゲームそのものも余り勝負が長引く様な性質のものではないのでいかにも楽屋向けなゲームだったようです。(たまに将棋が流行ったりすることはありましたけど・・)
で、こうやって大人たちが楽しそうに遊んでいるのをなにひとつイイコトがないのに、(テレビさえ見せて貰えない)無理やり楽屋に連れてこられ、1日中いいコにしていること(ヨソの化粧前を荒らさない、テレビのチャンネルを勝手に替えない、テレビがついててもアニメ等のお子様番組をみたいと騒いではいけない、楽屋のなかを走り回ったら知らないオバサン<他の踊り子>にヤキを入れられる、安全地帯は自分のオヤの周囲三十cmだけ、大きな声をださない、唄を歌わない、仕事が終わるまでの十二時間は絵本などを読みつつ大人しくしている)を強要され、タイクツがアタマのテッペンでワルツを踊っているような状態の子供達が見逃すわけが在りません。
この楽屋の子供たちは勿論踊り子さんのお子様達です。
下は1歳位から上は6歳位までの就学前児童達なんですが、こいつらが少しもかわいくないんです。
常日ごろ変な大人たちの中で生活しているせいか、こまっしゃくれているうえにヤタラ調子のいいヤツが多くて、うかつに同情して買い物なんかに連れ出すと信じがたい位の出費を強いられる結果になります。
ヤツラは劇場周辺のデパートの玩具売り場や遊園施設を熟知しており、2万や3万円位タカルのを屁とも思っていない恐るべきグレムリン共なのです。
そんなヤツラですから、当然花札コイコイだろうがなんだろうが当たり前で大人顔負けにこなします。
ヤツラのことを字も書けないガキ等と侮ってかかれば手痛い逆襲が待っているのはいうまでもありません。

さて、その日はちょうど年末最後のオールナイトの日で通常の興行が終了し、ナイトが始まったばかりでした。
楽屋には前日劇場から差し入れられたクリスマスケーキがまだ、2つばかり残っていましたが流石に一人に1ホールもの量では皆食べ飽きたのか誰も手を出すものもいません。
楽屋に初日からいる当時4歳(位だと思う)のケンボウというコ憎たらしいガキンチョも昨日ホールで2個も食って気持ち悪くなったのか見向きもしません。
テレビにも飽き、いい加減ヤルこともなくなったところでその頃仲良くしてもらっていたオネエサンがゲームでもしようよ!といいだしたのでした。
ゲームといえば当然花札のことです。
余り気乗りがしなかったのですが、どうにもやりたいとごねるのでまぁ、ナイトギャラ(オールナイトの日だけはナイト分のギャラだけ先渡しになります。これをナイトギャラといい、踊り子達は劇場から貰えるお小遣いのように考えているところがあります。)もはいったことだしということになり、居合わせたメンバーでコイコイをやることになりました。
メンバーは言い出しっぺのおねえさんと私と相方、ヒマを持て余しまくっていたマネージャーのおにいさん(背中に中途ハンパな鯉の入れ墨のはいったチンピラ丸出しの30くらいのお兄さん。でも見かけと違って気のいい、大人しいヒトでした。)
後、親子3人でのりこんできていた40手前のカップルとそのお子様のケンボウ(ダンナはパンチパーマで余り喋らないコワソーなオヤジ。でも、ダンナはコイコイには参加せず、お母さんとケンボウが参加。)の計6人。
ここで何故か、パンチのオヤジが見届け人を自任してきたので、嫌な感じがした私はレートを普段の半分に下げて貰って、時間も劇場終了までの3時間ということにしてもらいました。
ケンボウは取り敢えず、お母さんが打てないときの代打ちで参加、私と相方、言い出しっぺのオネエサン、ヒマなマネージャー、お母さんとお子様のコンビの計5人での勝負となったわけです。
ところがこのケンボウが全然侮れないやつだったんです。
手札を操るのも慣れたものでエライいきおいでチャッチャッと繰り、あっという間に手を作ってきます。
一度に最高5回のコイを連発し、マネージャーのお兄さんに瀕死の重症を負わせたかと思うと、かす札のみのコイ2回からいきなりシコウとアカタン揃えて上がってみたりと離れ業をかましてきます。
兎に角お母さんからヤツに変わった途端バはやつの独壇場とかし、無人の荒野を行くがごとしのヤツの快進撃が続くのです。
マネージャーのお兄さんの負けが一番深刻で開始して1時間もしないうちに5万円を越え、後ろで見ていたオネエサン(彼の奥さんだね)のケリがはいってしまいました。
その辺りで見届け人のダンナの提案もあり一旦、中断して精算することになりました。その時点では一番負けているのがマネージャーで5万円、後は、皆同じようなもので、1万円へこんでるとか、五千円勝ってるとか、その程度だったんです。(でもケンボウは7〜8万勝ってましたけど・・。)

ホントはここでやめとけば良かったんですが、マネージャーのお兄さんが奥様ともどもアツクなっていて、とても抜けることなどできない状態だったんです。
ダンナの意志確認のあと、じゃぁ、劇場のフィナーレが鳴り終わるまでやろうということになり、結果、地獄をみることになったわけです。
この回からはパンチ一家はお母さんを引っ込め、ケンボウ一本で勝負に出たのでした。
ケンボウの重箱の隅をつつくようなブチョーホーコール(札をくばりそこねたり、余計な札を取ったりしたときにいちゃもんをつけるようなもんで勿論点を取られてしまいます。)で皆体制を崩されるのか中々手が揃えられないなか、まるで後ろからこっちの手札が読めてんじゃないのっていうくらいのケンボウの手配にはなすすべもありません。
みなただただボロクソに負けていくのみです。
タマにケンボウを負かしてみても大した手で勝っているわけでもないので点数的には屁みたいなもんにすぎません。
時間が経つにつれ、(負けが込むにつれ)バは静かになりケンボウのブチョーホーコールだけが元気一杯ひびくのみで、一人目を血走らせて熱くなっているマネージャーを除いては皆コレラかチフスにやられて死にゆくのを待つだけの情けないゾンビの群と化していたのでした。
果たして此れほど辛いコイコイはやったことがありませんでした。
いかに知恵をつくし、どんなに逃げをうとうとも必ずケンボウに捕まり大量点を吐き出さされるのです。あぁ、もう、これ絶対にイカサマだよ!などと言おうものなら、パンチのお父さんの鉄拳制裁があるのは火をみるより明らかですし、大体そこは流石のケンボウでどんなに目をサラの様にしてみていてもシッポすらつかませません。
フィナーレがなるまでの2時間程度の時間がどれだけ長かったことか・・・!

結局、ゲームがパンチのお父さんのコールで終了し精算してみると・・・

私と相方が2人合わせてですが15万程負け、オネエサンが一人で10万程負け、哀れマネージャーは30万以上のおお負けで、ケンボウは前回の分も合わせると、トータルで60万円以上も稼ぎだしたわけです。
勿論この、あまりの結果にマネージャーのお兄さんの泣きが入ったわけですが、当然聞き入れて貰えるわけもなく、逆にパンチのお父さんのヤキがはいるなか、劇場のその年最後のオールナイトは静かに幕を閉じたのでした。
それ以来、賭け事は人生ゲームとかバンカース等のボードゲーム類に絞らせていただいております。
が、それでさえ、この前、知りあいの子供にオセロでおお負けし、お年玉を倍取られてしまいましたが・・・。
まぁ、私にはもともと博才がないということなのでしょう。
所で、ケンボウはどうしているんでしょうか?さぞや、今ごろ一丁前の博徒にでも・・とか思いませんか?
でも、知りあいのその筋の人のハナシによると子供のうちバカ強いヤツというのはあまり大成しないんだそうです。
本気で博徒を育てるんなら12〜3歳位から教育するのがいいとかいってましたが、どうなんですかね?

ま、いずれにしてももう、こりごりですが・・・。

長老ダンサー

草加キングという劇場にマネージャーとして事務所の踊り子をつれて乗り込んだ時のはなしです。
いつも通り事務所の人間に挨拶をすませ、楽屋にとおして貰い彼女の化粧前を捜します。
草加キングは当時まだできて1年くらいしかたっていなかったので楽屋はとてもきれいだし、化粧前も都内の劇場なんかに比べるとかなり広めに作ってありました。
さて、彼女の化粧前は端から2番目のところにありました。
なにしろ今回で2回目のステージの彼女、出し物も天狗ベッドと軽めのものになっています。
普通ならなにしろ本番が主流だった時代でしたから通常だと彼女より軽い荷物はないはずですから、当然トップのはずなのですが、席順で2番目ということは出番も2番目ということになります。
つまり、彼女より軽い荷物か、彼女より若い踊り子がトップにいることになるはずです。
とはいえ、出番までそんなに時間があるわけでもなかったのでそれ以上考えることもなく徐々に集まり始めた踊り子たちに挨拶など済ませつつ彼女のスタンバイを手伝っていました。
そのうち、賄か掃除の人間としかおもえないスエットの上下を着込んだおばさん(というよりゲートボールでもやろうかってかんじのおばあさん)が彼女のとなりによっこらしょと座ってしまったのです。
はじめ、トップの踊り子がこれなくなったので化粧前の名札の取り替えにでも来たのかとおもっていたら、やおら、化粧前にメイク道具をならべはじめたかと思うとスエットの上着をパッと脱ぎ捨て、肩にバスタオルをかけると白塗りをはじめたんですね。
恐ろしいことに彼女ストリッパーだったんですよ。
出し物は日舞のソロでした。
後でおそるおそる年齢をおうかがいしたところ60を軽くオーバーされてました。(ま、まずくねえか?スクターだったら一発免停だし・・。)
でも、流石に亀の甲より年の功というか日舞の力は偉大というか、当初どうみてもゲートボール好きのおばあさんだったシワシワの顔面を白塗りが見事にしわを埋め、薄くなった頭髪もヅラをつけることでなんなくクリアできてしまうんですね。
先人達の力の偉大さにあらためて感謝をささげたくなる一瞬でした。
一応後学のためステージをみせてもらったんですが、やや、太りぎみの体系が幸いしたのと、完全には裸にならず、やや、暗めの照明のなか常にショールで身体を隠しながら踊っているため、まさか、自分ちだとゲートボールと孫の世話にせいをだしてるような人間のマンコを見せられているとはツユともしらない客がまさに自分がでてきたであろうようなマンコを必死で覗いていました。ま、でも流石に3日でステージを降ろされてましたけど。
事務所には30才って売り込みだったそうです。
で、本当は60を越えたご老体だったんですね。
多分俺がしる限りでは最高齢の現役ダンサーだとおもいます。
彼女、デビューも遅かったらしくて40過ぎてから業界に入ったとかで、普段は温泉場なんかで仕事をしていたようです。
元々は日本舞踊の先生だった彼女、旦那が他界したときに多額の借金があることがわかり、で、生徒のなかに紛れこんでいたストリッパーのツテで舞台にたつようになったとのことでした。
まぁ、そういうことを聞かされてもどうにもしてあげられませんから、取り敢えず荷物もって駅まで送ってあげましたけど、道すがら世間と事務所と若い踊り子への不平不満のオンパレードでしたね。
ま、確かに踊りはうまいというか、手慣れたもんてかんじで面白くなかったけど安定してたかな?
もう、そんなことより楽屋でスッピンで中華ソバすすってるときと舞台との落差がナイヤガラだったからね。後、やっぱ、入れ歯はまずいでしょ。
入れ歯は、、。 

 

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