上高地帝国ホテル


研究室所蔵の武田五一(建築家)のスクラップ・ブックのなかに、こんな新聞記事を見つけました。
毎日新聞、1932年(昭和7年)12月27日付。

一見して、雲仙観光ホテルの意匠に酷似。

それもそのはず、同時期に同じ意図で建設された外国人向けホテル群のうちのひとつであるからです。

昭和10年前後、鉄道省国際観光局が県や市町村に低利の融資を斡旋し、外国人観光客向けのホテルを建設させた。雲仙観光ホテル(日本で初めて「観光ホテル」を名乗ったホテル)、上高地帝国ホテルの他、長良川ホテル(S9)、叡山ホテル(S12)、志賀高原温泉ホテル(S12)、静岡川奈ホテルなどがこの施策にのっとって建設されている。

以下新聞記事全文…

上高地に山のホテル 雪解けを待って工事に着手

◇…日本アルプスが國立公園になったのを機會に外客誘致をモットーとして上高地に建築することゝなつてゐた山岳ホテルはいよいよ長野縣が建設し帝國ホテルが經営することに決定し、明春の雪解けを待って工事に着手することとなつた
◇…建築費も最初は十五萬圓の豫定だつたのを十九萬圓に増額し、建築様式は欧州アルプスの「山のホテル」にのつとり、三階建てで、地階は石造、二、三階は木造とするプランで、地所三千坪の中に總建坪八百十一坪、客室三十八、ほかに食堂、ホール、閲覧室、模型室、乾燥室その他を含み室内装飾には質素で男性的な山の氣分を出すべく苦心してゐる
◇…なほ建築場所は河童橋下約一町の梓川左岸で、霞澤岳と六百岳とを背にし前穂高から奥穂高の一部を望む風光明媚のところであると
【圖は同ホテル設計圖】

上記に「地階は石造」とありますが、地階とは地上階=1階のことではないでしょうか。また、石造とあるのは実際には鉄筋コンクリート造だと思われます。(雲仙観光ホテルの1階部分は明らかに鉄筋コンクリート造でした)。 でも「模型室」というのは何でしょうね?。

 

[ HOME ]

最終更新日01/08/30