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エッセ essais 1


目次


スハルト大統領辞任、その他

98.5.22

毎日CNNのニュースサマリーがメールで届くんですけど、
http://CNN.com/QUICKNEWS/mail
昨日は号外が入っていました。スハルト大統領辞任って。

そんでもって、NHKのクローズアップ現代が始まったら、「スハルト大統領辞任」をやっている。
元々がこの日はインドネシアの予定で、前日、「明日は昏迷のインドネシア情勢です」と言っていたのが、当日になって、突然大統領が辞めちゃった。タイトルは二段書きに変更された。

「昏迷のインドネシア
 スハルト大統領辞任」。

こんなときって番組編成し直すのは随分大変だろうね。どういうやり方をするのか知らないけれど、予定の内容を差し替えて内容を組み替えるのって、時間的にもそうだし精神的にも…折角作ったものがムダになるという意味では…大変だろーなーとおもう。

「クローズアップ現代」は結構面白くて好きなんだけど、今週は月曜日から水曜日まではサッカー特集をやっていたのね。(木曜日までサッカーを続けていれば、慌ててスハルトをやらずに済んだのに!)。サッカーで面白かったのは、今回ジャマイカが初出場しているのだけれども、その舞台裏。このチームをプロデュースした何とか会長というのが居て、このヒトが非常に重要な役割を果たしたそうだ。

元々ジャマイカはイギリス領だった関係で、サッカーの文化はあった。ただしそれはごくごく、余暇の遊びとしてのそれであって、プロは存在しなかったし、その考え方が全くなかった。そこに来てまず会長は本場ブラジルから監督を抜擢した。全く乗り気でなかった監督を説き伏せた。「人にノーと言わせない何かが会長にはあった」と監督は語っている。
人を連れてきただけではなくて、金も工面した。チームに経験を積ませるには、海外遠征試合が不可欠。それには航空費用がネックになる。チームで年間6000万円(と言っていたかな)という費用を、航空会社に掛け合ってタダにしてもらった (すごい)。その他にも企業から4億円の資金も集めた。サッカーに関して元々がそんな文化だったから、最初はなかなか集まらなかったが、時期が来ると政府もこのチームを重要視するまでになった。「初めのうちはなかなか金を出してくれなかったのに、今では企業から援助したいと申し出があるよ」と会長は言う。

説明が長くなりましたが、要するに僕自身にはプロデューサー的素質が全然欠けてましてねえ、そんなタイプの男性に惚れちゃうんですわあわたくし。僕は自分ではダメだから将来的には誰かそんな能力のある人と組まなきゃいけないのかな、と思っています。

一人、僕が身近に接したことのあるそんなタイプの人はなかなか面白くって、「まず、出来ると宣言する。やり方はそれから考える」。と言ってましたね。「俺がやることの10個のうち8個は世界初や」。10分間だけでも会ってもらうだけのために何度もアメリカまで往復する。情熱を相手に伝える。
高校時代から月収100万円あって、バブルの頃には一晩にコンスタントに100万円使っていた、俺はべつにバブルがはじけて損をしたクチではないんだけどももう一回あんな時代が来ないかなあ、なんて言っていたその人が、当時32歳だったというのには、えらく驚いちゃいましたが。

以上、長くなりまして、失礼しました。


 

■別府とその周辺…

別府から由布院〜水分〜久住〜阿蘇にかけての高原地帯というのは本当に美しくてですねぇ、
一番の近場としては、別府の明礬(みょうばん)温泉を登ったところである「十文字原」(じゅうもんじばる)高原は、別府湾を眼下に見おろす展望台でもあり、とても良いポイントです。
別府の町並みから高崎山〜大分を見渡すのも良いですが、その風景には飽きがちな地元の衆としては、視線を左に転じて、日出(ひじ)の町並みを見るのがよいかも知れません。
その名にふさわしく、東/南に海を従えた日の出ずる地であり、また、そこでとれる「城下かれい」を食べさせるのは、かつての金山王、成清博愛の遺した別邸、「的山荘」。
その話はまたにするとして、いまは十文字原。
高原特有の単色の植生にどこまでも青く彩られ、足下には野アザミ、ヒメジョオン。
野アザミにあんな鋭い刺があるとは知らずに、採ってみようとしていてっと手を引いたのは僕です。

鉄輪(かんなわ)には、石菖を床に敷き詰めた蒸し湯があるそうです。一遍上人の開いたとされる鉄輪温泉ですが、その当時に作られたもので、いまもなおその石壁を残しているというところです。むかあしは、お風呂というと、こんな蒸し風呂がメインであったというような話を聞きますね、そうなのですか、お風呂博士な天使のみなさま?
この蒸し湯には今度はいってみて、レポートしますね。

大分市の郊外はいま、麦秋。麦がたわわに実っています。

市の南部である戸次には、特産であるゴボウの大きな葉。

この家の前には、たくさんの茅(ちがや)。
ふさふさした茅で、首もとをくすぐってあげよう。えい、えい。ふふふ。

植物の名前はもっと覚えたいなと思っています。あと、星座と。


■森


森という語をきくたびに思うのは、たしかラテン語ではmoriとは死のことのはずですね。
しかしどう考えても森が死の場所であるとは思えず、どこへも行き場を失った自殺志願者がどこへも属さない富士の樹海に足を踏み入れるにしても、その死さえもが、その若い森の輪廻転生のひとつの意味として吸収されるようです。
とするとこの「森=死」の偶然な一致とはただ、人が森を忘れたために訪れようとしている人の側の死に対して、警鐘を鳴らすものであるのかも知れません。

これからの時代が、森に住む動物たちの感覚にあるような、森をそのものとしてその世界観のもとに吸収できる存在、都市に巨大なランドマークを立てたり巨大な表示板に認識をまかせるようなものではなく、人はどうぶつ=ひと、いのち=ひととして、微分的な周囲の認識のもと、自分の位置を確認し、うごき、楽しむことが出来る存在になるべきである、

そしてそのようなにんげんとして、あなたたち天使的な存在、あるいは僕ら天使的な存在は、決して間違った方向を向いているのではない。むしろ、これからの地球上のいのち=ひとのあり方として、規範にもなりうる存在と、いえる、あるいは、言っておきましょう。
中沢さんが樹海にいるので、僕らはそこで細野さんらに置いてきぼりをくらいかけた?事件の載っていた「観光」なる本を思い出しますし、そうすれば僕らの森、というよりはひとつの世界としての、天河のことを思い起こすのに時間は要りません。
あのような場所をすでに味方に与えられた僕らですもの、世界に対して良くあること、世界をもっと楽しむこと、出来ないはずもありません。


 

■長谷寺詣。98.6.29

一般に室生寺と並び称される長谷寺のほうに僕は行ったことがなかったので、土曜日、クーラーの効かない車で出掛けてきた。阪神高速・近畿道・西名阪を香芝で降りたところまでは速やかにいって、それから奈良南部ではおなじみの途中で折れ曲がったりいろいろする道を辿るけれども、国道の表示を注意しておけば迷うことはない。
三輪山を左手に見て田舎道に入るわけではあるけれど、室生ほどの奥まったところではなく、ほどなくたどり着く桜井市初瀬、長谷寺の参道入口に、「長谷寺温泉郷」との看板があったので、後で寄ってみることにして(こんなところに温泉があったのか!)、まずは参詣。

有名な登廊を、2度ほど矩折れしつつ登ると(最初勾配が緩くてだんだんきつくなるのがミソですね)、上り詰めたところが鐘楼で、その左手が本堂である。奈良の大仏殿に次ぐ大きな建築であるとアナウンスしていたけれど、そんなに大きさは感じない。拝殿部分も広いので、比較的新しい時代の建物かと推測する。「大悲閣」との扁額が掲げられた正面部分は懸造になっていて、谷間に形成された長谷の集落を一望に見下ろすことができる。
その後御影堂、五重塔などを見ながらぐるっと廻ってもとの場所に戻る。牡丹で有名な寺だけれど、いまは紫陽花が綺麗に咲いていた。

長谷寺と室生寺は、もと興福寺系で、のち同じ真言宗豊山(ぶざん)派だったときく。現在は室生寺は独立しているはずである。全体として、周囲の自然にしろ、伽藍の配置にしろ、金堂や塔の建築にしろ、室生寺のほうが古く、凛とした雰囲気があってよい。特に塔に関しては、長谷寺はもともと三重塔であったはずなのに、室生寺に対抗するかのように(?)、戦後に五重塔を建立したというのはちょっといただけない。室生寺がまさに「女人高野」としての一種凄みを持っていることに比べると、長谷寺は「花の寺」…女の子趣味の、きっと清少納言好みの(?)、寺である。しかしながら、本堂拝殿の天井に掲げられた奉納額の多さは信仰の厚さを語っているし、本尊の十一面観音はかなり大きいので迫力はあって、人々に慕われているようだ。…ここの十一面観音は地蔵菩薩の錫杖を持っていて、いわば十一面と地蔵の合体仏であるらしく、この種の観音像は長谷式観音と呼ばれるそうです。

んなわけで温泉!。
参道沿いの旅館「ラザニ屋」にて。もちろんラザニヤなんて名前ではないのですが、きっとそんなふうな名前だったので取りあえずそう呼んでおきます。そこの「千人風呂」にて汗を流す。「千人」とゆーのはちょっと大袈裟だが。単純温泉。泉温30度…なので、裏手でボイラーで温めているようでした。無色透明、弱アルカリ性。暑い日に汗を流すには若干熱くて、早めに切り上げて出ましたけれど、おかげですっきりさっぱり。
宿を出て近くの店で食事をして、帰途につきます。

帰り道、再び、三輪山を今度は右手に眺めながら、それをぐるっと取り巻くように天理方面へ北上します。
三輪山はこれがまた、ご存知のように「濃ゆい」山でして…。有名なのは、ここの大神(おおみわ)神社には、本殿がない。三輪山そのものが神体だからである。檜原神社にいたっては、鳥居しかない。ここも同様に三輪山、あるいはそこにある磐座(いわくら)を神体としているのである。山には「奥津磐座」、「中津磐座」、「辺津磐座」の三つの磐座があり、それぞれ大物主(おおものぬしの)命、大己貴(おおなむちの)命、少彦名(すくなひこなの)命を祀っている。堀口捨己という、建築家であり優れた研究者である人が、日本初の造園技法書であり、世界初の造園技法書である『作庭記』を引き合いに出して、造園の石の配置はこの三輪山の磐座がオリジナルになっているということを語っている、ということを、どこかで聞いた記憶があるのですが、僕は読んでいなくて未確認です。

そしてその大物主神が小麦の種を播いたことから、この地で小麦の生産がはじまった。塩と灯明油で練り上げると虫もつかずに保存ができることが判った…そう、ここはそうめん発祥の地なのである。粘性に富む小麦が生産され、流れの急な川は水車製粉を発達させ、冬期の寒さもそうめん作りには好条件だった。

長谷寺参道沿いの店で食ったのが、もみじ葉を一枚落とした"今年初めての"三輪そうめんであったことは、言うまでもありません。…「大和三輪素麺、名物なり。細きこと糸の如く、白きこと雪の如し。茹でてふとらず、余国より出る素麺の及ぶ所にあらず」…。

奈良にて興福寺・猿沢池など少し歩いて、奈良漬をゲットしてから、第二阪奈で帰途につきました。
…暑かった!!。

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最終更新日04/09/10