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伯耆のみちをゆく。

1999.02.26-28

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■名和、名和神社

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今回の調査対象であった、名和神社神門之図。

伯耆(ほうき)国は、大山のつくった巨大な裾野ひとつで出来た国である。いかにも火山性の山容をもつ大山は、その勾配において富士山よりも緩く穏やかで、なだらかに海に注ぐ。遠くから望む山容が巨大な箒(ハハキ/ホウキ)に見えたことが「伯耆国」の語源かも知れない。この季節には、まだ5合目程度より上は白く雪化粧し、夕闇の中にはゲレンデと思しき明かりもみえる。
名和はその北麓、名和川が海に注ぐ地点に位置する。この地に南北朝期に出現した名和氏は、前歴こそ不明だが、名和川流域に農地を、河口に漁港をもち、新興ながら勢力が強かったことは、傍証でわかる。
(司馬遼太郎『街道を行く27 因幡・伯耆のみち/檮原街道』参照)
名和の港から、旧街道を横切り、真っ直ぐに大山山頂方向へ道を辿ったところにあるのが、名和神社である。恐らく南北朝時代の当主長年の紋所を受け継いでいるものと思われる帆掛舟の紋がみられるように、海には関係のふかい神社かと思われる。真っ直ぐに北を、すなわち海を向いて作られているのもその理由からだろうか?。
ここの神門が、今回の調査物件である。昭和初期に建てられたこの門は化粧材に非常に贅沢な材料が使われているが、残念ながら銅板葺の屋根が随所に雨漏りを起こしており、それによる木材の腐朽を引き起こしているのである。
仕事のリポートではないのでこれ以上詳しいことは内緒。

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軒裏に潜り込んで調査する之図。


■宿

我々が泊まった宿は、神社から車で15〜20分程度大山方向に登ったところにある、スポーツ合宿場としてよく利用されるらしい公共の宿だった。この程度登るだけで、道路わきには除雪が残り、畑の雪は融けていないという状況である。神社の宮司氏から話を通していただいたようで、我々は最大限のもてなしを頂戴することができた。部屋の広さはもとより、特筆すべきはその食事である。一日目、夕食には、今朝港であがったばかりというキンメバルの上物、鯛、ブリの各刺身、キンメバルの煮付、菜の花の浸し、茶蕎麦などをたらふくいただいた。刺身を腹一杯食うなんてそうそう経験がないし、油物の全くない食事でこれほど満腹になるというのは相当量を食っているに違いない。煮付も、新鮮で味がよいから薄めにしたと言われていたが、実に飾り気のない良い味付けである。
二日目、朝はブリの煮付。朝からブリを食ったのも初めてだが、こんなにうまいブリの煮付を食ったのもまた初めてではないかと思ってしまう味であった。それに、添えられた生玉子の何と巨大なこと、そして食べやすく美味しいこと。夜は夜で、今度は鍋。例によって、家庭的というのともまた違うのだがとても自然で丁寧に取ったという具合の出汁に、カニ、鱸、キジ、つみれだんご、牡蠣、木綿豆腐、各種野菜。鱸と思しき白身魚は、こんなに味のある白身魚なんて初めてという具合、確か前日に「明日はキジを出す」と言っていたからこれは雉肉だろうと思しき肉はなんともいい歯ごたえでこれまた非っ常に味が良い。地鶏風だが地鶏的な変な固さがなく、味はより密実である。牡蠣。デカイのから小さいのからごたまぜだが、これがまた非常にうまい。牡蠣も含めて貝類はさほど好きではない僕がこれほどうまいと思ったのは初めてである。
最後にこれで作った雑炊がどれだけ美味かったかはいうまでもない。そして、どれだけ腹一杯になったかも。
さらに食後には、宮司さんからいただいてきた八朔を食した。これまた、スーパーで買うものにある水分の少ないものじゃなくて、なんとも密実に中味の詰まった、「歯ごたえの有る」最高の味。
「料理にも、無用の匠気がなく、平凡な味覚の者が心からうまいと思えるようなものばかりが出た。魚介は流通のものよりも、近くでとれるものがそのまま膳にのぼっている様子で、たとえば生蠣なども、磯からとってきたものが出た。」 (同上)。


■冬の日本海、雨、あられ、雪、雹

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しかしながら、宿付近では、ふとした拍子で地表と大気に温度差を生じ、霧が発生するようなことが多いのだとか。
じっさい、一日目の晩には深い霧が発生し、道路が続いているかどうかも判らないというような状況のなか、まだ見ぬ宿を探したのでした。周囲がこんなに開けたよい場所などとはつゆ知らず、見えづらい道路脇の看板を見落とさぬよう神経を使いながら。宿の人も「わかりにくいのが売り物のようなところで」などと言う。一時的にあられが降る。
二日目はさらに天候がくずれ、強い雨や雪はなかったものの、一時雹が降った。冬の日本海側は暗いというイメージは確かにあるけれども、本当にこんな感じなのかと福井に住んでいた友達に聞くと、そうだという。これはちょっといただけない。
写真の日本海もいかにも寒々しいが、しかしなお、日本海特有の色合いがなかなかよい。

 

■名和の旧街道

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kitten.jpg (2345 バイト)海岸と平行する名和の旧街道沿いには、かなりの長さにわたって、古い街並がよく残っている。写真は、中でもよく目立った大きな家である。この家の下屋の屋根は普通の瓦のようだが、大屋根はいわゆる「石州瓦」で葺かれている。山陰に来るとまず目に付く、黒光りする瓦である。通常の瓦では水を吸いやすいために凍害を起こしやすいので、釉薬をかけた防水タイプの瓦を葺くわけである。近づいてみると釉薬瓦特有の細かなひび割れ模様があり、綺麗だが、遠目には、つやのある黒という色は、ちょっときついように感じる。


■東光園

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さて、仕事に区切りをつけ、帰り道すがら、折角だからといくつかの建物を見学しつつ神戸に向かうことにする。その第一は、皆生温泉にある「東光園」(菊竹清訓)である。
菊竹清訓は生涯に3つの傑作を残した。…現在まだ活躍中の建築家に対してとても失礼な言い方だけれど、結局そうなるだろう。彼は初期の作品がいちばんよい。1.出雲大社庁の舎、2.自邸、そして3.東光園、である。
東光園は素晴らしい。模型写真の説得力もさることながら、全体の絶妙なバランス感覚。柱は限りなく細く、キャンティレバーの水平線はあくまで美しく横方向のラインを示し、組柱の周囲3本の上端は切断され、最上階レストラン部分のシェルが軽々と宙に浮く。
かぎりなく日本的である…木造の柱−梁、斗拱構成に類するデザイニング、非対称性、そして…このデザイニング全体がとても刹那的であること、も含めて。
あらゆるところにみられる構造的な無理、施工上の難点、4階部分がまるごと使われていない点、部屋数は非常に少なく、建築的にはあらゆる点で贅沢なつくりで、後にも先にももうあり得ない建物だろうという印象がつよい。じっさいに、ありえない。

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レストラン部分天井。

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レストランより庭園、松林、冬の日本海、
大山(霞んでいて見えにくい)を望む之図。


幸いにも天候は回復に向かっていて、7階レストランからの眺めは最高だった。皆生温泉の東端近くに位置し、これより東には目立つ建物がないので、日本海の波の音を聞きながら、東光園自慢の庭園・風呂の建物群、周辺の公園や海岸の松林、日本海、そして遠くに大山山麓を、望むことができる。素晴らしい景色である。
レストランには四隅には柱がなく(ここでも無理をしている…)、東西方向のスパンも短いので、たいへん開放的だ。温泉にきて、冬の日本海を見ながら、フランス料理、というのは不可思議なのだけれど、スープは椎茸のそれであったり、魚は地物をつかうなどしてあって、美味しかった。


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最終更新日04/09/10