THE EASYBEATS

1997年5月14日更新


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はじめに

オーストラリアのビートルズと言われたバンド、それがTHE EASYBEATSです。THE EASYBEATSはイギリスからの移民の子であるGeroge Young、Steve Wright、Gordon "Snowy" Fleet、オランダからの移民の子、Dick Diamonde、Harry Vandaの5人によって1963年に結成され、翌1964年にデビューしました。その後1970年に正式に解散するまでの間にアルバムを6枚残しています。

イギリス、アメリカなど世界的なヒット曲「Friday On My Mind」で知られる彼らですが、特にアメリカではこの1曲しかヒットがなかったがために一発屋と誤解されている感もあります。実際には、オーストラリアでは多数のナンバー1ヒットを放ち、渡英後もアルバムを3枚発表しており、決して一発屋ではありません。

恐らく、このグループを既にご存じの方でも、RHINO RECORDSのコンピレーション盤「Nuggets」に収録されていた「Friday〜」と「Heaven And Hell」の2曲のみ、あるいは一時期日本盤(MSI)が存在していた「The Shame Just Drained」しか聴いたことがないという方が多いのではないかと思います。

イージービーツの歴史

オーストラリアに最初にビートの洗礼をもたらしたのがTHE EASYBEATSであったといえます。1965年から1966年にかけての彼らの本国オーストラリアでの人気はすさまじいものがありました。マスコミは彼らに群がるファンの狂態を「EASYFEVER」と評しました。それはイギリス、アメリカにおけるロック・ムーブメントの勃興に遅れること約2年のことでした。ちなみに日本では1966年後半から1967年はじめにかけて本格的なロックの始まりが訪れました。それは何を隠そう、グループサウンズと呼ばれる一連の「アイドルグループ」による音楽だったのですが。

さて、オーストラリアでは「She's So Fine」をはじめ、何曲も大ヒットを出し、すっかり自信をつけたTHE EASYBEATSは、次にイギリス進出をはかりました。そして、少々強引に、THE WHOやTHE KINKSを手がけたことで有名なプロデューサー、シェル・タルミーの協力を取り付け、「Friday On My Mind」の大ヒットを生みました。

このヒットの後、イギリスから凱旋帰国した際にはシドニー市長も出席するセレモニーが開かれたほど、オーストラリアにおいては大変な出来事でした。1963年にビートルズなど一連の「マージービート」が世界を席巻したものの、ロックの歴史はまだ始まったばかりで、ロックグループの社会的認知度など非常に低かったころです。イギリスでもビートルズの外貨獲得の功績を讃えてMBE勲章を贈ったところ、同勲章の返上を申し出た人がいたくらいです。この当時のTHE EASYBEATSは、かつて植民地であったオーストラリアにおいて、本国イギリスを制覇した英雄であったといえるでしょう。

1967年以降、THE EASYBEATSは、しかしながら、「Friday〜」を越えるヒット曲を生み出すことはできませんでした。メンバーのGeorge Youngが語る通り、「Friday〜」の次のシングル「Who'll Be The One」が全くインパクトに欠けたのが特に痛かったのですが、契約の不手際から生じた訴訟沙汰、歌詞に対する検閲問題、音楽スタイルの頻繁かつわかりにくい変動などのために、ついにそれ以上の成功を収めることはできませんでした。

1967年にはさらにメンバーのGordon Fleetが脱退し、音楽活動から引退します。彼のドラミングは勢いまかせではあったものの、初期イージービーツのサウンドの特徴でもありました。代わりに加入したTony Cahillは当時としては技術的に優れたドラマーながらも、Gordonが持っていた溌剌としたビート感は出せませんでした。ドラマーの交代による表現の高度化が、後期イージービーツのサウンドの深化に重要であったのは事実ですが、それは同時にグループの墜落の始まりでもあったのかもしれません。

イギリスではスタジオにこもって様々な試みをする時間には恵まれたものの、重なったトラブルのためにヒットは出せず、「Friday〜」の成功も人々の記憶からは薄れていきました。1967年から1968年にかけて制作された大量の作品の大半がデモテープどまりになっていますし、幻に終わったイギリスでのセカンドアルバムの作品も発表される機会を失い、「The Shame Just Drained」にその一部が収録されるまでは長らく未発表となっていました。

そして1970年には正式に解散を迎えます。最後にリリースされたアルバム「Friends」は、実際には未発表のデモなどの作品を集めたものであって、あの形でリリースすることを意図して制作された作品ではありません。収録曲の半数以上はスティーブが歌っていないことからも、イージービーツとして構想された作品ではないことがわかるでしょう。それにしても、シェル・タルミーとの確執、録音テープの劣化など事情があったのでしょうが、優れた作品を欠いたこのアルバムでは、既に大勢の決した状況にあってはほとんど反響もありませんでした。

この1968-69年の曲の多くはデモのままで発表されています。確証はないんですが、この時期の録音の中にはHarry VandaとGeorge Youngのふたり(プラス・アルファ)だけでつくったものが含まれていると思います。ドラムがしっかりしているので、ドラムのTony Cahillは加わっていると思うのですが、ヴォーカルがSteveでないことが多いことに加え、ベースがごりごりした音ながらもタイトになっていることからみてDick Diamondeが弾いていないかもしれないとも思うんです。当時、この二人はバンドの中でもドラッグに染まっている方だったはずですし、67年の録音に見られるような演奏ボロボロ状態が急に改善するのも、Tony Cahillの加入だけが理由ではないかも、なんてことが考えられるんです。Georgeがベースを弾いたりしていたのでは、と邪推しているんですが、わかりません。

彼らが最後に一同に集ったのは、Dick Diamondeの結婚式でした。その時の写真は「The Shame Just Drained」のブックレットに収められています。それを最後に、彼らはそれぞれの次なるキャリアへと向かいました。

その後の活動

Harry VandaとGeorge Youngの作詞作曲・プロデュースチームは、やはりオーストラリアが生んだ有名グループAC/DCベイシティ・ローラーズのプロデュース、そしてFlash & The Panによるヒットなどでも知られています。Vanda-Youngの曲は、デビッド・ボウイロッド・スチュワートなどによってカヴァーもされました。

他のメンバーの内、ヴォーカルのSteve Wrightだけはその後もソロを中心に音楽活動を続け、アルバム「Hard Road」のヒットもありましたが、麻薬事件のために一度は引退状態に追い込まれたようです。歌手として復帰したものの、90年代に入ってから活動を停止した模様。

Tony Cahillはドラマーとしてその後も音楽活動を続け、パイソン・リー・ジャクソンのメンバーとして「In A Broken Dream」のヒットも残しています。

Dick Diamonde、Gordon "Snowy" Fleetのふたりは音楽活動から引退しました。

再評価の時

その後、1977年にリリースされた未発表曲を集めたアルバム「The Shame Just Drained」によって、THE EASYBEATSは再びその真価を世に知らしめました。1967年に録音されながらも、幻と終わったイギリスでのセカンドアルバムに収録されるはずであった作品群や、その他の1967〜1968年にかけての作品は、それまでに正式にリリースされていたものよりも優れたものが多数含まれていました。彼らは重なった不運のためにそれらをリリースすることが出来なかったのですが、これら未発表曲がすぐにリリースされていればもう少し違った評価も得られたのではないかと思います。断片であれ完成品であれ、恐らくはまだ様々な録音が残っているに違いないのですが、CD化の際に追加されたトラックからも未発表曲のテープの劣化は明白ですし、残る未発表曲群が公表される機会は今後とももうないのかもしれません。

THE EASYBEATSの未発表・レア音源についてさらに言えば、特定の国で発売されたシングルのB面であるとか、そういうものにも良いものがあります。後期THE EASYBEATSは、メンバーのHarry VandaとGeorge Youngによる作曲を中心として、大変な才能を発揮していたにも関わらず、音楽以外の面であまりにも不器用でした。

再結成

1986年、THE EASYBEATSはオリジナル・メンバーで再結成し、オーストラリア・ツアーを行いました。その時には既に音楽を止めてから20年近く経っていたGordon Fleetの技術的な衰えが著しく、またStieve Wrightの声も本調子ではなかったそうですが、オーストラリアの各都市を巡り、好評を得ました。この時の模様は、「Live - Studio And Stage」というレコードで聴くことが出来ます。この再結成は一時的なものであり、このライブツアーの間だけのものでした。

そして、これを最後にTHE EASYBEATSはその後活動を終えました。

おわりに

今でもTHE EASYBEATSのレコードは、大手の輸入レコード店や海外通販などで入手が可能です。CD化はドイツのREPERTOIRE RECORDSによってなされています。今でもTHE EASYBEATSの音楽が聴けるのは、REPERTOIRE RECORDSの熱心な復刻作業に負うところが大ですね。カタログ落ちしないことを切に望みます。

文責:棚橋勝敏(イージーファン)

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