検証 センチメンタルグラフティ
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何度も言いますが、これに関する議論は最早語り尽くされています。ですから、今更ここで論ずることも無いのですが、
このソフトに満足できなかった一人としての私的な意見と、ゲーム内容の検証、そして覆水盆に返らずではありますが、
こんなゲームにして欲しかったということをここで言いたいと思います。
もともと多くのファンはゲーム自体には何の期待も寄せていませんでした。どうせクソゲーだと頭ごなしに断定していました。
私もです。発売前に公開されたゲーム画面も原画と違っていたため、この時点でさらに多くのファンが離れて言ったのではない
かと思います。ある雑誌には発売を一年延期してでも原画に近づけろという意見が載りました。当時、サターン市場はすでに
瓦解していましたので、出荷本数のことを考えれば出来ない相談だったのかも知れません。ですが、今いるスタッフの力では
制作期間に間に合わないと言うのならば、スタッフを増員するなり、別の会社に委託するなりしてでもグラフィックを原画に
近づける努力をするべきだったと思います。発売されたグッズの大半が原画をもとに作られていたのですから。
その意味で、動画の枚数やクオリティを度外視してまで原画に近い絵を再現したアニメ版は正しい選択です。
グラフィックに関しての某氏の言い訳はファミコン時代であればだれも文句は言わなかったでしょうが、
現在のハードは理論上では人間の識別できる以上の色数を表現できます。甘ったれたことを言ってるんじゃない。
ユーザーを愚弄しているのですか。18禁のゲームならば、たいていのメーカーは一年もあれば原画通りのグラフィックを
再現しますよ。ギャルゲーの肝といえるグラフィックがこうもおざなりだったせいで、ソフトが完売できなかったのでは
ないかと思います。アニメが全国放送で且つ、グラフィックが原画通りであればあと数万本は出荷できたと思うのですが
如何でしょうか。
似ていないグラフィックも駄目ですが、今時口パクひとつしない絵というのもいかがなものでしょう。
数枚の絵を入れ替えることで、なんとか仕草や表情を出そうとしていますが、全く駄目です。それが元の絵のせいなのか、
口パクの方が効果があるのかは知りません。マリーやエリーも口パクはおろか、アニメーションさえしませんが、
グラフィックが原画通りなので、あちらの方がましだと思います。そういえば「あいたくて」はキャラのアニメパターン
のためか、CD4枚組というボリュームになりましたし、DCで発売される「WISH TALE」もキャラの仕草が加わる
らしいです。是非「センチ2」もそうして欲しいものですが、発売が来年初頭では無理でしょうね。
次は、ゲーム内容を検証してみましょう。
サターンの電源を入れると悪名高いNECインターチャネルの社名ロゴのあと、タイトル画面そして・・・・
誰がこんなアニメムービーにしろと言ったんだ。責任者出てこい!!といったものです。
それでは、OPムービーが何を意味するのか。ない知恵を絞って考えてみます。
はっきり言って、もう見たくはなかったのですが、なにか深い意味が隠されているかも知れません。今から観てみます。
はじめにキャラが何か手話のような仕草をしていますね・・・・・・泳いでいますね・・・・飛んでいますね・・・・・
歌声もなんだか怖い・・・・・・・・・ダンスでもしているのでしょうか。・・・・・・雨に打たれています・・・・・
・・・・最後に制服が映し出されて終わります。
・・・・・・???最後の制服の前に何かあったような・・・・うーーん思い出せないな。 仕方ない。怖いけどもう一度観よう。
精気を抜かれてしまうような毒のある映像である。光るピカチュウより危険かも知れない。なぜか疲れて来た。
これを店頭で、ビデオを使って流していたら、怪しげな宗教の儀式の映像と間違われるんじゃなかろうか。
因みに最後の制服の前は、風に吹かれる映像でした。
冗談はさておき無意味かも知れない考察をします。
動画のクオリティはどういう訳か異様に高い。TRUEモーションで絵が荒いのが残念な程である。これ程のクオリティが
ゲーム中のグラフィックにもあれば、似ていなくともあれほどの非難はされなかっただろうに。某ドラマシリーズよりも
OPムービーのキャラの絵だけは綺麗。尤も、総合的にはあちらのほうがいいに決まっている。
これはなにかのイメージ映像ではないかと思われる。例えば、ゲームの主人公が考える12人の少女のイメージかも知れない。
まず、タイトル画面に注目してみよう。12人中10人のイメージカラーを表す、色が表示されている。(無いのはライト
グリーンとブラック)12色の中心に網目がある。真ん中は多分主人公のイメージカラー(?)では無いかと思うのだが
どうだろうか。欠けている2色は、白と混ざり合ったり、黄色と混ざり合ったのではないかと考えられるが、
それがどうしたと言われれば、返す言葉はない。単なるタイトル画面のデザインかもしれないからだ。
だが、単なるデザインとしても、ゲームや世界観のイメージには合っているので、 良いデザインだ。
パッケージもこうすれば良かったろうに。 OPムービーとは無関係か。
最初のあの手話は何かを伝えようとしているのかも知れない。次の手を取り合っているシーンは格好良く見せる演出だろう。
泳ぐシーンは・・・スーパーマリオを彷彿させるが、意味不明。無理に解釈すれば、主人公の頭の中の光景か?
つぎの雨に打たれるシーンは、映画等では登場人物が直接涙を見せるより有効な演出なので、時々使われているが、
もう古いかもしれない。悲しみの感情を表していると言っていいだろうか。
そうすると、次の滴を払うシーンは悲しみを乗り越えた事を暗示しているのかも。「あの日のままの君」に再会できた時の心境だと
思いたければ、思ってもいい。
次の強い風に吹かれるシーンはその後の艱難辛苦や青春の蹉跌を暗示しているか? 要は困難な道のりということ。
脱いだ制服の映し出されるシーンは、月並みかも知れないが、少女から大人へと変わっていくということが言いたいのでは
無いかと思われる。サターン版ときメモのエンディングテーマ「もっと恋をしよう」で、
あ〜なたに出ー会って 少〜女から大人へと 変身するよう魔法かーけたの
という歌詞があったように。
以上、勝手な推測で好意的に謎のOPムービーを検証して見たが如何だったろうか。これを「暗黒太極拳」とか「死霊の盆踊り」
とか「荒木飛呂彦ワールド」とか「暗黒舞踏」と誹謗するのは簡単だが、それでは動きと絵だけは高水準なアニメーションが台無しだ。
と言う訳で、これの振り付けとムービーを考えた人が、一体何を伝えたかったのかをない頭を捻って考えてみた次第である。
このような解釈をすれば、1よりも2の方がふさわしいと言えるかもしれない。だが、こんなムービーはもう観たくない。
と思ったら、2のOPムービーは主人公の葬儀の様子だと言うではないか。制作者はプレイヤーに「萌え」の感情よりも、
「萎え」の感情を植え付けたいのか?またクソゲーマニアや好事家の恰好の標的になるじゃないか。
次はいよいよゲーム本編の検証へと入る。
・方言がない。
テレビドラマならば頷ける意見だが、ゲームしかも特殊なジャンルであるギャルゲーに於いては全くナンセンス意見である
例えて言えば、プロレスで素人の観客が「なぜロープに向かって走っていくの?」とか「なぜ相手の技を受けるの?」と言うような
ものだ。それは、この世界の「お約束」を全く知らないものの言う意見である。そのお約束を無視すれば、いわゆる
「しょっぱい試合」として勝ったとしても、全く評価の対象とはならないのである。
何が言いたいのかというと、別の場所でも書いたようにプレイヤーは本物の恋愛や、実際の女の子を想像してゲームを
しているのではないということだ。2次元で描かれる恋愛や人物が、現実とは別物であるということは、少女漫画や恋愛映画、
小説、ハーレークイーンロマンスが好きな女性でも知っているはずだ。
同じ理由で高校生が手もつながないなんて・・・という意見も却下。現実の高校生の恋愛をシミュレートしたゲームが出たとしても、
100%流行らないと断言しても良い。そう非難する人間ほど現実と虚構の世界を一緒にしているのではないか。
この手のゲームをプレイする人間はそういったリアルさを求めていない。
それが、社会的反感を醸成する素地でもあるのだが・・・・・・
・設定が破綻している。
これはもう語り尽くされているが、それについて一言。
ひとりの人間がこれ程までに転校を重ね、しかも行く先々で女の子と想い出を作っているというのは、「男はつらいよ」
の渥美清とマドンナの関係に似ていると言えなくもない。だからそのことについてあれこれ言うつもりはない。
だが、少年には帰る家はない。(妙子でさえも所詮他人なのだ)
あまり友達もいそうにない。彼に人格や主体性はない。挙げ句の果てに制作者の都合で殺されてしまった。
なんと不幸な一生だ。暴論かもしれないが、彼は血の通った一人の人間であるよりも、幻である方が良いのではないか。
「彼は私の心の中だけに」(知ってる?)といった風に。
・主人公の行動がおかしい
自宅のポストに差出人不明の手紙が入っていたから、心当たりのある12人に一人一人会いに行って聞いて見よう。
などというのはやはり無理がありすぎる。なぜ一人一人確かめたいのかという動機が全く語られていない。
主人公は、別れた女の子達にまだ未練を持っているのかどうかはゲーム中全く語られていない。
(小説では少しだけそのことが語られている。別項で考察したい。)
やはり、平日はバイトをして土日に会いに行くというシステムはどう考えてもおかしい。常人がこんな生活をしていたら、
一月と持たない筈だ。遠くまで会いに行っているのだから、最初の時点で手紙を出したかどうか聞いてもいいのではないだろうか。
どうせグッドエンディングでは手紙のことはどうでもよくなるのだから、ベストエンディングにおいてもそれに拘る必要は
無かった筈だ。別の方法があっただろう。
・数年ぶりに再会したにも関わらず、その感慨が殆どない。
再会の仕方に問題があるのは当然なのですが、全員に会わないとエンディングにたどり着けないのならば、いっそ女の子が上京
してきたときに会うというパターンがあってもよかったんじゃないだろうか。留守にする、出かけるという選択肢で。
最初ランダムで一人、数日おきに一人という風に。
遠くまで会いに行っているにも関わらず、「やっとあえたね。」といった感慨に浸る事ができたキャラは一人もいない。
それに、自分の経験で言えば、何年も前のクラスメイトなんてどんなに仲がよくても、再会して一回切りのつきあいで終わって
しまうことが多い。もう一度仲良くなる最後のチャンスが高校時代だということは確かなのだが。
もう少し感動的な演出が出来なかったものか。やはりシステム自体に欠陥があったとしか思えない。
・旅と恋愛の要素が全くかみあっていない。
高い交通費を出して(と言ってもゲームではすぐに稼げる)会いにいっているのに、やっていることは、
そこら中にある恋愛ゲームでのデートと変わりがないと言うのはやはりおかしい。
このソフトの世界観がファンタジーであれば、ルーラのような魔法を使っていたことだろう。
こんなシステムならば、いっそファンタジーにすればよかったのだ。そうすれば、別の所でも書いたが、多少
非現実的なことでも許して貰えたことだろう。現代の日本を舞台にするから、野宿しても大丈夫とバカにされ、
バイトの給料が高すぎると皮肉られ、方言を使わないとつっこまれ、、月曜は朝帰りなどと揶揄され、そのタフすぎる
体をだれも羨ましがらない。寧ろ軽蔑の対象にすらなっているのだ。
尤も、現代日本にヒーローがいたとしても同じ様な扱いを受ける気がする。
・メッセージパターンが少ない。
電話をすれば、2回目以降は全部同じ。留守番電話も同じ。デートでの出会ったときの台詞と別れたときの台詞も数が少ない。
に乏しい。後半はすべて使い回し。デートもあっさりと別れてしまう。
・ボリューム不足
一人一人のデートが短すぎる。もっと一回に凝縮出来なかったのか。
・せつなさが感じられる場面が少ない。
まだすべてのイベントを見たわけではないから、まだどこかにあるのかも知れないが敢えて言わせてもらう。
これを最大の売りにしながら、それが留守番電話やほんの一部のシーンでしか感じられないとは一体どういう訳か。
後ろ髪を引かれる思いで別れる姿を演出するだけでせつないと言っているのであれば、それは違う。
物足りない。
私はもう、恋愛ゲームで満たされることはないのかも知れない。だが、プレイ中空しさのあまり顔を背けたことは一度や
二度ではない。なにか感情移入させる要素に乏しいのだ。それはなぜなのかと考えると、頭の中にある言葉が浮かんできた。
愛が足りないぜ
これである。アニメ版バーチャファイターはお子さま向けになりすぎてつまらなかったし、一部のキャラに愛が感じられなかったが、
この作品には愛や情熱がないのだ。PC版ときメモが持っていて、それ以降の移植版にはなかった、あの言葉では言い表せないもの
敢えて言葉にすれば、RSSのサウンド、PCエンジンの表現能力に見事にマッチした、あの微妙な絵柄。
適度にメルヘンチックなOPムービー。素人臭いと揶揄されながらも、慣れると親近感の持てたボイス。
今となっては「あのすばらしい愛をもう一度」と言いたくなるほど二度とは戻らないものなのだが。
ゲームよりも、プライズ景品のCD(Vol1)やキャラ別CD、想い出たちの十二ヶ月、ドラマCDなどの
ほうが、数倍も面白い。だが、これらは決してエンディングを描くことはない。物語の結末はゲームでしか描かれないのに
ゲームでは、膨らんだ想像力や妄想を沈め得ないのである。
・名場面
悪いところばかりを書いてしまった。せめてもの償いに、わたしのお気に入りの場面をあげたいと思う。
以下はうろ覚えなので、一字一句合っているわけではない。悪しからず。
晶
「ねえ、結婚て考えたことある?」
主人公
三択の中から一つ選ぶ。
「・・・・・・・・・」
(このあたりはさすがに引いてしまった。だが、名場面、名台詞はこのあとである。)
晶
「一番よくあるのが、お正月に年賀状を出し合うだけの友達ってパターンよね」
(よくわかっているじゃないか。「去る者は日に疎し」だ。しかし、それを言ってしまえばこのゲームは成り立たない。)
やはり、叶わぬ恋なのだろうかと感傷的になっていると、主人公が珍しく自己主張を始めた。
「晶、僕もっと長崎に来・・・・・・・・・・」
晶
「うん・・・・・」
このゲームは、ちょっと会話のセンスがないなあと思いかけていたが、これには脱帽ものである。
このやりとりのなにがいいのかというと、それは「行間が読める」こと。これに尽きる。
名文や名台詞は不思議と行間が読めてくるものである。つまり言葉に出ない部分こそ肝要なのだ。
(・・・・?・・・そういえば、ソリッドスネークも同じ事を行っていた気が・・・・・・・)
技巧を凝らした文や台詞が名文、名台詞になるとは限らない。
このやりとりで言えば、
「うん・・・・」
というこのたった一言で、現在の関係がいつまでも続くはずがないという不安と、年賀状を出し合うだけの仲にはなりたくないという
感情、そして、諦めにも似た心情など、さまざまな言葉には言い表せない複雑な心理が見事に表現されているのである。
これは音声で聞かなくては、この台詞の良さがわからないので文では伝え切れない。
この台詞でこのゲームの評価は確実に数ポイントはあがった。
「はじめに言葉ありき」とか「言霊のさきはう国」とかいっても、言葉の力には限界があるのだろうか。
それとも、こういう口にでない部分にこそ言葉の真意があるという台詞は稀なのか。