最終日は、沖縄本島の南部をまわる。旧海軍司令部壕、ひめゆり平和記念資料館を訪れる。沖縄本島南部は、第2次世界大戦の末期に米軍が上陸し、激戦が繰り広げられ、20万人以上の死者を出している。今は丘陵地に那覇のベッドタウンとなる住宅地が広がり、他の都市と同じように、派手なショッピングセンターが立ち並んで繁栄している。 しかし、今から50数年前には、眼前に広がる丘の一つ一つを巡って攻防が繰り広げられ、米軍は「鉄の暴風」とも呼ばれた凄まじい銃弾の雨を降らせ、膨大な犠牲者を出した。人々は、地獄のような戦火のなかを逃げ、暗い壕に息を潜めているしかなかった。そう思いながらペダルを踏んで、丘を一つ一つ越えていくと、重苦しく、痛ましい気分を感じずにはいられない。
那覇空港に自転車を置いて、昨年開業したばかりの「ゆいレール」に乗り、終点の首里まで往復してくる。ホームも車両も真新しく、ホームドアがついていて東京の地下鉄南北線と同じメロディーのチャイムが響き、当たり前だが「鉄道」らしい機械的な運行がなされ、本州に帰ったような気分だ。そこには、タバコをふかして談笑したり、観光客に話しかけてくる運転士や、あいまいな遅れ、荒っぽい運転といったものが介在する余地がない世界だ。 モノレールは2両で短いが、結構混んでいる。カーブは多いが加速は鋭く、最高速度は65km/h。意外に機敏に走っている印象を受ける。那覇の都心部を過ぎると、アップダウンの多い丘陵地をぐいぐい上り下りし、丘にびっしり立ち並んだ家々を見晴らしながら快走する。高架線を走るため眺めがよいのは、モノレールや新交通システムの長所である。 都心部の県庁前駅で降りて、沖縄最大の繁華街である国際通りを歩く。今日は1月2日だが、店はほとんど開いており、通行人も多くて賑わっている。原色系の派手な看板が多く、店の多くは夜遅くまで開いていて、南国の盛り場らしい感じがする。昨今は、地方都市でこれだけ街の中心街が栄えているのも、なかなか珍しいものだ。最後の沖縄の気分に浸るため、時間に追われて急ぐこともやめて、のんびりと通りを歩いたのだった。 前日の記録へ(名護〜やんばる・辺戸岬〜那覇) HOME BACK |