海洋の交差点・交易の王国と戦争の悲劇の島
(1月2日 那覇・沖縄本島南部)





 最終日は、沖縄本島の南部をまわる。旧海軍司令部壕、ひめゆり平和記念資料館を訪れる。沖縄本島南部は、第2次世界大戦の末期に米軍が上陸し、激戦が繰り広げられ、20万人以上の死者を出している。今は丘陵地に那覇のベッドタウンとなる住宅地が広がり、他の都市と同じように、派手なショッピングセンターが立ち並んで繁栄している。

 しかし、今から50数年前には、眼前に広がる丘の一つ一つを巡って攻防が繰り広げられ、米軍は「鉄の暴風」とも呼ばれた凄まじい銃弾の雨を降らせ、膨大な犠牲者を出した。人々は、地獄のような戦火のなかを逃げ、暗い壕に息を潜めているしかなかった。そう思いながらペダルを踏んで、丘を一つ一つ越えていくと、重苦しく、痛ましい気分を感じずにはいられない。


 沖縄は日本であるが、歴史的には琉球王国として栄え、その風土も日本本土とは異国のような差がある。そして、その歴史は、日本、中国、アメリカという超大国の狭間で、それらの駆け引きの犠牲になってきた小国の悲哀ということもできる。本土決戦を先延ばしにし、日本国の中核となる4つの島を守るため、「捨石作戦」として膨大な犠牲者を出しつつも続けられた沖縄での戦い、そして現在沖縄本島の20%を占める広大な米軍基地の問題も、そのようにして捉えることができよう。

 とはいえ、琉球王国は大国間での交易を仲介し、様々な文物を柔軟に吸収することによって栄えてきており、大国のパワーの狭間で小さな島国としての立場をたくましく生かし、乗り切ってきた部分も大きい。

 そうした歴史を踏まえると、これからの沖縄の方向性としては、単なる日本の一地方としての役割や、本土に追いつき同じような発展を目指すことにとどまらず、積極的な自由貿易、文化交流、国際交流の拠点として、地方分権、地域再生の叫ばれる時代に、その独自性を生かして本土よりも思い切った先駆的な試みを進め、それを通じて活力を高めていくことが重要になるだろう。






 那覇空港に自転車を置いて、昨年開業したばかりの「ゆいレール」に乗り、終点の首里まで往復してくる。ホームも車両も真新しく、ホームドアがついていて東京の地下鉄南北線と同じメロディーのチャイムが響き、当たり前だが「鉄道」らしい機械的な運行がなされ、本州に帰ったような気分だ。そこには、タバコをふかして談笑したり、観光客に話しかけてくる運転士や、あいまいな遅れ、荒っぽい運転といったものが介在する余地がない世界だ。

 モノレールは2両で短いが、結構混んでいる。カーブは多いが加速は鋭く、最高速度は65km/h。意外に機敏に走っている印象を受ける。那覇の都心部を過ぎると、アップダウンの多い丘陵地をぐいぐい上り下りし、丘にびっしり立ち並んだ家々を見晴らしながら快走する。高架線を走るため眺めがよいのは、モノレールや新交通システムの長所である。

 都心部の県庁前駅で降りて、沖縄最大の繁華街である国際通りを歩く。今日は1月2日だが、店はほとんど開いており、通行人も多くて賑わっている。原色系の派手な看板が多く、店の多くは夜遅くまで開いていて、南国の盛り場らしい感じがする。昨今は、地方都市でこれだけ街の中心街が栄えているのも、なかなか珍しいものだ。最後の沖縄の気分に浸るため、時間に追われて急ぐこともやめて、のんびりと通りを歩いたのだった。



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