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第10回ロサンジェルスマラソン完走記  

(これは僕の初めてのフルマラソン参加の記録である)  

1995年3月5日、ロサンジェルス(カリフォルニア州)で第10回ロサンジェルスシティマラソンが行なわれた。UCTが、ホノルルマラソンに次ぐ海外のマラソンとして、ロサンジェルスマラソン参加企画を行なった(企画協力:日米スポーツ協会)。僕は、一ランナーとしてこのマラソンツアに参加して、始めてフルマラソンを走った。結果は完走。タイムは3時間50分25秒であった。

ロサンジェルスマラソンツア7日間

1995年3月2日〜7日、166000円、食事朝1回、昼1回、夕食3回、ユナイティド航空、フィゲロアホテル、2日成田発、LAX 着。コース見学、3日自由行動、4日クオリティライフエクスポ参加、カーボロードディナーに参加、5日第10回ロサンジェルスマラソン、6日自由行動、7日LAX発、8日成田着

ロサンジェルスマラソン

世界135カ国から参加(94年度データ)、マラソン2万人、自転車2万人、5キロ5千人、ボランティア1.5万人、コース:オリンピックコロシアム〜ダウンタウン〜リトル東京〜ハリウッド〜ハンティントン〜クレンショー、スタート:8時40分(フルマラソン)、参加賞:T シャツ、お楽しみ袋、完走者に完走メダル

1. ロケーション関係

小雨。雨がやんだら風で、当地の新聞ではストーム(嵐)という表現であった。南カリフォルニア大学の近くの大通りがスタート地点。ゴールはコロシアムである。フルマラソンの申込は19000人であったが、実際に走ったのは16500人であった。朝から小雨が降っていたので、キャンセルが出たようだ。

このマラソン参加者はほとんどが自家用車で会場へ行く。道路は渋滞であった。我われは約1時間前にホテルを出た。会場付近に着いたのは30分前。駐車場に入れてからでは遅いので、道路の途中で降りて会場まで歩いた。従って、会場にあるUCTテントに着いたのは20分前、それからすぐトイレに行き(混んでいて)、5分前(8時35分)にテントに戻り、すぐ、ジャージを脱いで、スタートラインの群衆の一人になった。8時40分にスタートが切られた。2.5分で全員がスタートラインを出たと聞いた。私の場合は7秒後に動き始め、約30秒でスタートラインを出た。

UCTのテントは地図で事前に知ってはいたが、現場に行くと場所がわからない。マラソン事務局のインフォメーションセンターで場所を教えてもらいすぐわかった(Japanese Tent NO16)。ホテルがスタート場所から2マイル(2.6キロ)なので、ゆっくり出たのが失敗した。会場には最低1〜1.5時間前には着いたほうがよかった(ゼッケンは前日に受け取っていた)。ホテルはフィゲロア通りに面しており、マラソン参加者にとっては便利な場所であった。

2. 会場

フルマラソン2万人、バイク(自転車)1.3万人、5キロ5千人が参加するマラソンにしては会場のイベントづくりが質素であった。これは前日から小雨が降っていたせいかも知れないが、雨が降らないことを前提に組み立てている感じで、今回の場合はただマラソンコースを提供しているだけという印象であった。

3. エキスポ運営内容

3月2日〜4日までの3日間、コンベンションセンターで「健康見本市」が行なわれた。10万人が参加したそうである。実際、我々が行った4日は、入場者が切れめなく入ってきた。我々は会場でゼッケンとTシャツを受け取った。しかし、登録が直前という理由で、名前は台帳に登録されていなかった。その場で交渉してもらったゼッケン番号は13589。Shellのローマ字が印字されているゼッケンであった。見本市には健康とマラソンに関する様々な会社、団体が出展した。スポーツ用品、スポーツ器具、飲料、食料、健康医薬品、健康器具、雑誌、他のマラソン事務局などが出展しており、貴重な情報源になった。規模が大きく、出展者のサービスも良い。参加者皆が楽しんでいるようであった。

4. カーボディナーパーティ企画

ハリウッドにあるイベントホールで4時半、6時の2回、入れ替え制で行なう。舞台では演奏とエアロビクス的なダンスショー。参加者はバイキング方式で食べものと飲むみものを取って、テーブルに。ただ、食べるだけの事なので、わざわざハリウッドまで行くこともなかった。

5. レース運営

トイレ、マッサージ、駐車場などはかなり完備されている。しかし、雨が降らないことを前提にしているようで、今回の企画は御粗末な印象を受ける。お祭り的な催しもなくイベントもなかったようだ。

6. コース管理

ロサンジェルス中心部を一周するこのコースは、オリンピックで使われたコースだけあってわかりやすく走りやすいコースなのではないかと思う(僕はフルマラソンは始めてなので他との比較はできないが)。コースは1マイル毎に道路を横断幕で張り巡らせてあった。これは、非常にわかりやすく、あと何マイル頑張れば!ということで目安ができ、励みになった。又、一マイル(1.6キロ)表示は、長くも短くもなく、ランナーにとってちょうどいい表示区間であると感じた。一マイルごとに出ている水のボランティアは、どこも、節度と応援掛け声(good job!)があり、ランナーにとってありがたい。僕も励まされた。水をとったのは15マイル、20マイル、23、24、25マイルの5箇所だったように思う。20マイル頃から腹が減って、オレンジを探した。2切れほど食べた。又、後半は、スプレーサービスがあり私も24マイルと25マイルでふくらはぎにかけてもらった。コースはダウンタウンの中心街、リトル東京、チャイナタウン、スペイン街、韓国街、黒人街をずーと走る。様々な人種が住んでいることを実感する。しかし、話すということではないので、ただ表面を見たということだけのことであった。コースの下見では、前半はアップダウンがあり後半は平坦なコースという印象だったので、前半はきつくなるだろうと思った。しかし、実際走ってみると、前半はスムーズに行った。しかし、これがクセモノなのかも知れない。程々にしておかないと後半にガタが来る。実際、僕の場合も、前半は1時間48分とスピードを抑えたにも関わらず、後半は2時間2分かかった。

7. 完走後の処理

ゴール直後、各自にビニール袋が手渡された。歩いて行くと、水、ジュース、オレンジ、お菓子を入れてくれた。その後、写真撮影があり一人一人完走メダルをつけて表彰台にのって写した。これは無料なので(あとで写真が送られてくるなら)良い企画だ。しかし、今回は寒くて、待っている時間まいった。ストーブを置いておくべきである。写真撮影の後、すぐテントに戻れるかと思ったら、人だかりなのと、コロシアムの中を歩かされ、テントに着くのに時間が15〜20分かかった。会場整理係もいず、フィニッシュ後のケアが不十分である印象を受けた。

8. 記念品

Tシャツと完走メダルであるが、特に、完走メダルは価値があるようだった。フィガロアホテルにはマラソン参加者が多数宿泊していたが、完走した人は、メダルをぶらさげて、ロビーに来ていた。

9. 費用対満足度

今回の大会参加費は35ドル(締め切り後は45ドル)、日本からは6500円であった。見本市、カーボディナーなどを考えると割安感があった。

10. 環境・地域との調和

会場に自家用車で行くのはいかがなものか。ダウンタウンの何箇所かにバスセンターをつくって、会場までバスで運ぶことを考えてはどうか。このマラソンは市民マラソンなので、市民のボランティアは多い。給水ボランティア、主要通過地点では音楽演奏などよく組織されている。市警とも一緒になってやっているようで、走っていて不安感は一切なかった。

11. 開催地の魅力

アメリカにはニューヨークマラソン、ボストンマラソン、ホノルルマラソンなどメジャーなマラソンがある。このロサンジェルスマラソンはローカルなマラソンとして定着していそうだ。日本からの参加は、昨年は60人、今年は昨年より少ないのではないかと思う。圧倒的にロサンジェルスの市民である。外国を感じることでは十分すぎる位だ。ただ、意識的に交流企画を組み立てないとコミュニケーションを楽しむ交流には接することができない。

12. タイムについて

僕は始めてのフルマラソン経験、しかも小雨という悪い環境のなかで走った割には3時間50分という記録で自分でもびっくりしている。20マイルの時、4時間を切れるな!と時計で確認して走った。前半はスピードを抑え1時間48分、しかし、後半は2時間2分もかかった。後半走りながら思った事は、筋力がないことである。スタミナもない。女性ランナーにも抜かれるとがっくりきた。17〜20マイルころは、足が前に出ないし上に上がらない。するようにして走った。これはまずいと思い、20マイルになったらストップして腿をさすろうと考えながら我慢して走る。20マイルで水を飲んだ後、10秒ほど立ち止って屈伸をした。その後若干スピードがあがる。25マイルでも「あと1マイル頑張って走って、ゴールはそれなりのスピードで入ろう」と思い、再度屈伸をやった。(同行したTさんは4時間6分(前半ハーフは1時間51分)。3時間35分くらいの記録を持っている人なので、悪いタイムだと話していた。海外のフルマラソン4回目という日本人女性も、4時間10分で、悪かったと言っていた。二人とも雨さえなければ・・・という話しなので、やはり、今回のマラソン環境は悪かったようだ。)

13. 身体の変化

ロサンジェルスに到着して3日目に走った。時差などの影響はなく、寝不足もなかった。10日前程風邪を引いて、若干風邪気味ではあった。しかし、当日はイイ気分でスタートにつけた。完走直後は大変だった。疲労と寒さで、両足のふくらはぎが痙攣してしまった。テントに戻った時は唇が真っ青だったという。ゴール後テントに戻るまで20分くらいかかっていた。UCTで、マッサージを配置しており、そのマッサージ師が足をさすってくれた。15分ほど足を動かさず毛布で包んでおいた。足が温まると痙攣もおさまった。その後、3日ほどは腿の前の部分が痛くなり、5〜7日は右腿の後ろ側が痛くなる。3月12日(日)、1週間ぶりに走る。午前15キロ、夕方7キロ走ったが最後の2〜3キロは膝も痛くなってきたのでゆっくり走った。

14. 反省

 1)練習量が足りない。  2)小雨での練習


シドニーマラソンコースは地平線に消えていた。 (第2回シドニーマラソン参加)

2000年はシドニーオリンピック。そのマラソンコースを使って第2回目のシドニーマラソンが1995年8月27日(日)行われた。参加者は2000人、うち日本人は500人ほど(日本事務局発表)であった。

コースはノースシドニーにあるレオポルド公園を午前7時にスタート。市内を回遊して一路西へ走り、ゴールはホームブッシュベイのオリンピックスタジアムである。60メートルの高さにある公園から下って、ずーと0〜30メートルの範囲でアップダウンがあり、平坦な道は7キロ位しかない。 僕は3月のロサンジェルスマラソンに続いて2回目のフルマラソンであるが、さすがに、最後の方では3〜4回、登り坂を歩いてしまった。 タイムは3時間41分で自己最高を記録することができた。昨年1月から走り始めたが毎日の練習で徐々に力がついていると思った。

オーストラリアは冬だったが、天気が良く、おそらく日中は30度くらいになったのではないかと思う。ゴールで仰向けになって見た真っ青な空、心地よい風が、オーストラリアの大自然を感じさせた。 日本から招待選手が4〜5人来ていた。その内の一人がトップで2時間17分54秒だった。船上のカーボローディングパーティで彼らと話したら「下見をしたけどアップダウンが多くて平らなところが少ないコースだよ」と言っていた。まさにその通りだった。

2週間前の日曜日、シドニーではファンランが行われた。参加者は47000人。驚くほど多い参加者だ。シティからボンダイビーチまでの14キロを走るのだが、多すぎてスタートは2箇所にしたという。朝、ランニング練習をしている人に聞いたら、ファンランは参加したがシドニーマラソンは知らないというのでびっくりした。他の人にも聞いたが、シドニーマラソンは競技なので自分には関係ないという。日本の場合、フル・ハーフとも市民ランナーの参加が多いがシドニーは違うんだと思った。

来年は9月に変更しようかと検討しているという。僕としては、このマラソン、継続して出てみたいと思う。何よりもオーストラリアに惚れたから。

□コメント ・3キロごとに水とスポンジがありこれは大変良かった。 ・応援はすくなく、シドニー市民から見放されているマラソンであった。 ・マッサージは100人位ずつ出来るので早くてしかも丁寧で大変良かった。 ・完走メダルをもらったが、年、回数が入っていないのであとでわからなくなる?。

□シドニーマラソンを、良い◎、まあまあ○、今いち△で評価すると下記の通りである。

   参加費△、エントリー○、現地受付◎、カーボローディング○、交通の便◎、マラソン雰囲気○ スタート△、コース○、水など補給◎、ゴール◎、コース雰囲気○、応援△、マッサージ◎ 荷物預かり○、ゴールイベント△、メダル・シャツ○、エキスポ△、天気◎、時期◎

(1995.9.15記)



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