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スダ カウィン! - 結婚しました

イナイ−指と手のひらを赤く染めました1996年5月、マレーシア ケダ州にある奥さんの実家で結婚式と披露宴を挙げてきました。

料理や会場の準備や後片付け、お客さんの接待や、そのほかいろいろな事をしてくださったマレーシア ケダ州 スンガバルのご近所の皆さん、親戚、そして家族に感謝します。マレーシアではそれが普通なのだそうですが、披露宴の間中、僕らはまるっきりお客さん状態でした。

最終更新日:


結婚までの長い道のり

4月30日

ダの田んぼはタバコの収穫の時期でした。僕らが真夜中にくたくたになってハニサの実家に到着し、最初に見たのは、庭一面にびっしりと干されたタバコの葉でした。結婚式を挙げるために、ついに僕らはやって来たのです。はるばる日本から家族を連れてマレーシアに。でも、それは全然「ついに」ではなかったのでした。

役人っていうのはどこの国も適当みたいです。スンガプタニのケダ州登録館のおじさんは、たとえ勤務時間中でも近くのモスクやなんかに出かける事が多いんだそうです。僕らが審査を受けに行ったときも、案の定、おじさんは外出中でした。しかも事務員さん達は誰も出先を知らない上に、お役所だから夕方4時にはクローズです。マレーシアにいるうちに結婚できんかったら、どないしてくれんねん、と怒ってみてもどうしょうもありません。とうとう閉店時間になってもおじさんは帰ってきませんでした。そんなわけで、僕らの結婚は、披露宴が結婚式よりも先になってしまいました。彼女の田舎の辺りはまだまだ昔風で、結婚式の前に披露宴をやったなんて知れると、あきれたりする人もいます。ですから、この事は今でも内々の人しか知りません。(このページを呼んだ方も、これは内緒にしておいてくださいね。 :-)

舎の生活は大体1〜2世代前の日本に近いような気がします。親戚や近所が皆でよってたかって披露宴の準備をしてくれます。おじさん達は庭の真ん中にあるヤシの木を切り倒してしまいました(あんまり庭木に愛着を持っているわけではないようです)。倒れた枝からはハチドリの巣が2つ見つかりました。しかもそのうちの1つにはヒナが入っていました(親鳥さんごめんなさい)。空だった方の巣は、みやげにもらって日本の実家の庭に取り付けてあります。誰か使ってくれるといいんですけど。

にはすでに兄貴夫婦や従姉妹達が集まっていて、ちょうど日本のお盆のようににぎやかでした。植物の葉を泥状に煮詰めて冷ましたものを女の人たちが指先に塗っています。真っ黒なパックは1〜2時間で皮膚を鮮やかな朱に染めます。イナイと呼ばれるこの伝統的な儀式は、結婚した証を体に刻む事で、他の男が奥さんにちょっかいを出さないようにするためのもののようです。実際、肌の部分は数週間で色が落ちてしまいますが、爪の部分は色がとれず、伸びて生え変わるのを待つほかありません。奥さんは両手の指の第一関節から先と手のひら(この丸は月を意味するそうです)、そして両足の裏の縁に、そしてそれにあやかって未婚の女性達も片手に、さらになぜか僕も左手の小指と薬指と中指にこれをしました。右手にすればよかったです。指輪とマニキュアのようなイナイの組み合わせが、日本でさんざんつっこまれる羽目になる事に、僕はこの時気づきませんでした(オカマ呼ばわりした奴に、憤慨のメールをどうぞご遠慮なく)。

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5月1日

解体された牛さんの田んぼで牛の解体が始まりました。解体者である7人の男の人が、牛の手綱を持って一人ずつお祈りの言葉を捧げます。僕も実際に解体はしませんでしたが手綱を持たせてもらいました。辺りには、楽しそうに、興味深く見守る女子供たち。2本のヤシの木に前後の脚を縛り付けられ横倒しにされた牛は、頚動脈を切られてビクビク痙攣しながら死んでしまいました。まな板の上の魚がピチピチしながらおろされるのを思い出しました。解体道具はサバイバルナイフと脂取り用のヤスリです。牛の胃袋は袋に中仕切りがついて、ちゃんと4つになっていました。お腹のたるんでいる部分は全て胃袋で、触ってみると、人肌の温もりながら、クッション入りのビニール封筒みたいでした。肺とか腸は、あばらや腰骨の奥の方に押し込められていて、心臓は握りこぶしぐらいでした。皮をはがれ、削ぎ落とされた肉は別工程で切り刻まれてカレーになります。

親戚や近所の人達で大賑わいでした.僕とハニサはスンガプタニへ身支度を整えに出かけました。帰って来たのは既にお昼近く、実家には大勢のお客さんが詰め掛けていました。庭先の特設テーブルでくつろぐおじさん達、家の中はちょっと渋めながらカラフルに着飾ったおばさんたちと、その子供たちでごった返しています。この日のためにお父さんが作ってくれた新郎・新婦の部屋は内装が王様の色である黄色に統一、豪華に飾り立てられ、ベッドの上には、皆が用意してくれたブンガ タロル(茹卵を使ったトラジェみたいな参加者へのお土産)や、若い従姉妹達からのプレゼントである素敵な形にたたまれた礼拝用の衣装や男性用の腰巻き、子供たちに配るキャンディ、KLのヤオハンで買ったというグラスセット(多賀君、クリスさん どうもありがとう)、そして新郎・新婦が互いに贈ったハンドバッグと時計等々、沢山のものが並べられています。窓の外にも人がいて、しかもたまにニヤニヤしながら部屋を覗いたりするので、おちおち着替えもできません。

郎・新婦の衣装は姉さんが作ってくれました。今年の1月に来たときに、布を選んでお願いしていたものです。奥さんの生地が色・柄共とても派手に見えたので、僕のは色だけ合わせて無地の素材を選んでいたのでした。ところが出来上がってみると、奥さんのは素敵なのに僕のはまるでパジャマ。しかも帽子のかぶり方も変でした(本当はもっと前側を下げるのです)。つまり、すっかり舞い上がっていたのです。やっとの事で支度が終わって、ついに新郎・新婦が登場したのは午後1時頃でした。

いとこや叔父さんたちがカレーを作ってくれました.レー語は、よくわからないのですが、みんながニコニコしながら握手を求めてきます。アパカバール(はじめまして)、テリマカシバニャバニャ(本当にありがとう)。これだけのボキャブラリで何百人に対応します。このおじさん、誰?奥さんに聞くと、多分、親戚、でもよくわかんない(そんなんでいいのか)。奥さんは皆への挨拶で忙しそうで、僕は殆ど金魚のフン状態です。若い娘たちの羨ましそうな視線や、おじさん・おばさんのもの珍しそうな視線を浴びながら、ニコニコしてるしかありませんでした。照れくさかったです。来てくれた人には誰でもカレーを振る舞い、新郎・新婦の部屋を見せ、ブンガタロルを配ります。田舎では日本人との結婚式なんて超珍しいものなので、多賀君達を乗せてきた、スンガプタニのタクシーの運転手のおじさんまで、この式のことを知っていたそうです。(運転手さんもカレー食べたのかな?)

方になると、だんだん人も少なくなってきます。慌ただしい一日はあっという間にすぎてしまいました。参加者の数は、僕らはそんなに来たとは思わなかったのですが、500個以上あったブンガタロルがなくなったので1000人くらいは来ていただろうとの事です。

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5月2日

一番に再びケダ州登録館に行くと、登録官のおじさんは、机の上でケーキを食べていました。言葉はわかりませんが、偉い人なので態度がでかいです。でも、双方の親が同席していた事で、思ったより簡単に結婚の許可が下りました。次は、いよいよモスクで結婚式です。と、今度はモスクの司祭さんたちが集まるのは昼すぎとの事。開き直ってタンジョンダワイという近くの河口を観光しちゃいました。ちょっとドライブするだけでも、パイナップルやバナナやマンゴスチンやランブータンやドリアンやライチがその辺に自生していたり、広大なゴムの林や日本とは一風変わった田んぼや、鶏や牛や水牛や山羊や羊が道路を横切ったり道端に寝転がっていたりして、下手に観光地を周るよりも、この辺りはずっとずっとおもしろいです。僕はここに来るのは3回目ですが、何回来ても新鮮です。

過ぎになって、実家の近くにある、ペンカラン カカッというモスクに来ました。古びた玉ねぎ頭のモスクを見ると、ちょっとだけ、そこに入る事にためらいを感じました。やっぱり礼拝堂で礼拝すんのかな?体を清める順番はどうだっけ?お祈りの言葉は最後の方がうる覚えなんだけど、どうしよう?心配事には事欠きません。司祭と2人の証人さんが、それぞれ奥さんと子供ををつれて待っていてくださいました。宣誓は、礼拝堂ではなく、風通しのいい入り口の辺りに ござ を敷いて行われました。お義父さんが司祭さん達に事の成り行きを説明します。司祭さんは奥さんにいくつか質問をした後、宣誓の仕方を教えようと、僕に話しかけてきました。私の言葉を真似なさい(奥さんの通訳)。わかりました。..........(20〜30語のアラビア語を二人で喋る、もはや再現不可能)。一通り終わって、では、今喋った言葉を今度は一人で言ってみなさい。...はい?(既に緊張して忘れている)。あわてて紙とペンを用意して、もう一度最初からやり直してもらいます。焦りました。奥さんはマレー語(アルファベットなので大体読めます)でそのアラビア語を書き取ってくれたのですが、宣誓はすらすらと読まないといけないというので、結局、また片仮名で書き直しました。いよいよ本番、まず司祭さんが僕の手を握り、宣誓の言葉を喋ります。司祭さんの合図で慌てて書いたメモを読み上げました(一同、どきどきしている)。心ではとても長い間の後で、司祭さんが証人の方たちとうなずきます。OKが出ました。ほっと一息。アラビア語の証明書に漢字でサインをして、無事、結婚式が完了しました。一時間弱ぐらいの時間でしたが、僕にはとてもとても長く感じられました。司祭さん達に厚くお礼を言って、僕らはモスクを後にしたのでした。

アク テリマ ニカニャ バギ ディリ アク

誓いの言葉の一節だけは、今でもメモが残っています。これは、「我が為にこの結婚を受け入れる」という意味だそうです。

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マレーシアでのスケジュール

4月26日(金)
NRT(成田)→KL(クアラルンプール)
イシャ兄宅泊
4月27日(土)
KL→JB(ジョホールバル)

日本での披露宴用ドレス受け取り

クリスタル クラウンホテル
4月28日(日)
KL→JB

新郎家族来日、ハリラヤ クルバン

イシャ兄宅泊
4月29日(月)
KL→PNG(ペナン)

レンタカーを借りる

ナズリ兄宅泊
4月30日(火)
在ペナン日本領事館にて婚姻届の用紙を受け取る

家族らの手により披露宴の準備が順調に進む

実家泊
5月1日(水)
実家にて披露宴
実家泊
5月2日(木)
ケダ州登録館にて結婚許可証を受け取る

モスクにて結婚式

実家泊
5月3日(金)
日本領事館に婚姻届を提出

PNG→KL

ホテル泊
5月4日(土)
市内観光

KL→NRT

飛行機内泊
5月5日(日)
未明、雨の成田に無事、帰国

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よく聞かれること

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情報源

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