パリ祭の男 中村健自伝 1−2

一、中国自動車道 福崎

中国自動車道福崎インターチェンジの料金所から私の生家の瓦屋根が見えた。つい数年前までのことである。 市川町の谷村という所にあった下級武士の家を、祖父が買ってきて改築したのだそうで、その付近では正木の本家という旧家に次ぐ古い瓦葺家屋であると祖母が自慢をしていた。 日清戦争の頃の改築らしいが、老朽化したので、十年ほど前に取り壊してしまって今はもうない。  大阪から福崎までは、車でちょうど一時間の道のりである。

その家で、私は大正十五年、即ち昭和元年に生まれたから、数え年では昭和と同じ年号になる。昭和元年は西暦で1926年になる。 戦前、その辺りは神崎郡田原村といった。 平安時代に俵藤太の荘園だったのでこの地名が出来たらしい。 俵藤太という武士には、瀬田の唐橋の大蛇を退治したという伝説がある。 そのとき、射った矢がどうしても大蛇の背に突き刺さらないので、一計を案じて、矢尻の先に唾をつけて射ったところ見事突き通ったという話が艶笑小話として有名である。
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