田原村は十二地区あり、その中の八反田という所が私の生まれた地区である。中世、さる帝が、北方約2kmにあり今は廃寺となっている神積寺(日本三文殊の一つと謂う)に、反田の地、八反を寄進したのが八反田の名のいわれらしい。地区の東はずれに、近年私の兄が家を新築したが、その辺りの小字(こあざ)が反田であるから、そこが昔はこの地区の中心だったようだ。

純農業地帯で、雑貨屋をしていた私の生家が、近隣のいくつかの地区でほぼ唯一の商家だった。福崎駅までは歩いて45分。 村の中央部の辻川地区にはバスの停留所があったが、そこまででも、歩いて二十分という不便さはいまも変わらない。 山はなく、広々とした平野の中に農家が点在しているだけという風景は今も昔もほぼ同じである。 戦前は、村の中心部の辻川地区を除けば、米と麦の二毛作農家が殆どで、工場と言えそうなのは数軒の瓦製造所か小さな藁工品加工場があるだけであった。
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