村の西よりに正木の本家と呼ぶ大きな古い家がある。 私がもの心ついた頃は既に逼塞していた。 私の家の、何件かの回収不能債権の中では横綱格で、毎節季ごとに五十円ほどの形式的な請求書を置きに出向くのが通例であった。 当主は痩せた老人で、広い玄関の土間は湿って苔が生え、薄暗く静かなその奥には古めかしい駕篭が置いてあった。母の命令で請求書を置きに行く私は、玄関へ入る前からもう恐ろしく、駕籠からお化けが出そうな気がして、無人の玄関先に請求書を置くと同時に一目さんに逃げて帰るのであった。最後の当主であったこの老人が長患いで亡くなった折、立派な表座敷の畳には数センチものほこりが積もっていた。 それを掃き除いたところ、畳はまだ青々としていた。 だいぶ長い間掃除がされてなかったようである。 世話をしている村人たちから命じられて私は葬式を告げる電報を打ちに郵便局へ走った。 その相手先は京都の医者や、加東郡の大西甚一平や蓬莱某など遠隔地の素封家が多かった。しかし、それらの人々が葬式に来たかどうか私は知らない。

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