私の勤めるお店に1週間に2回は顔を出すオバちゃんがいる。オバちゃんの名前はバーバラ。何の縁か、実は私達と同じアパートのコンプレックスに住んでいる。
私の仕事場は、アパートから道をはさんでお向いのショッピングセンターにある。だから、お店にやってくるお客さんは、ほぼこの近所に住んでいる人達ということになるのである。最近は、お客さんとも顔馴染みになってきたから、誰が何をどんな方法で送りたいのかも分かってきたし、また、彼等と世間話しをすること自体も仕事の一つになってきた。
さて。このバーバラが初めてお店にやってきたのは、9月になって間もなくのこと。強いアクセントのある英語を話すので、アメリカ人でないことは私にもすぐに分かった。そして、彼女の小包みや手紙の行き先が、すべてポーランドだったこともあり、『ポーランドの人なんだぁ。アメリカの方と結婚されたのかしら....?』などと、内心密かに思っていた。
初めの2〜3回目は、とりたてて会話をすることもなかったのだが、あまりに頻繁にお店にやってくるし、しかも、いつも送りたいものそれだけ(ある時は、ピーナツの缶を山のように。ある時は、ブーツ1足と履き古した靴下。またある時は、超厚手の冬のコート....などなど...)をそのまま持ってくるので、必ずお店で私がパッキングして、さらにそれを速達のエアメールでポーランドに送るものだから、そのうち顔馴染みの1人なり、話をするようになった。この頃には、彼女の方もお店に入ってくるときには、『It's me, again!!(やーん、まーた来ちゃったわっ!)』なんて言うまでになっていた。
バーバラと話をするうち、彼女の一人娘が現在ポーランドにいることがわかった。話によると、アメリカにやってきたのは今から11年程前のことで、政治的混乱の中、7歳になる一人娘を連れて、アメリカにいたポーランド人の旦那さまの所になんとかやって来た、ということだった。旦那さまが、どういったいきさつでアメリカにいらしたのかまでは知らないが、アメリカに渡ってくるまでの5年間、彼女は旦那さまにずぅーと会えずにいたらしい。....時は流れて、今年高校を卒業した娘さんがポーランドの大学に進学することを強く希望したので、泣く泣く一人娘をポーランドに行かせたのだそうだ。
そう、つまり、彼女がせっせと送る小包や手紙は、すべて娘さんあてのものだったのだ。ははーん、どうりで足繁くお店に顔を出すわけですぅ。まったくの外国ではなく、自分の祖国である国へ行かせているとはいえ、当時の政治的混乱の中、バーバラの両親はすでに亡くなってしまっており、向こうで娘のことを頼める身近な人がいないこともあって、それはそれは心配でたまらないと言った様子。大サービスで、娘さんの写真まで見せてくれたのだが、これがもう、すごい美人! 18歳になんて、とてもじゃないけど見えませーん! いやー、アメリカに来てからいろんな人に会ったけれども、彼女の娘さんほどの美人は、いまだお目にかかってませんです、ハイ。ほんとにスゴイきれいな方でした。ツンケンした様子もなく、まっすぐ素直に育ってきたって感じ。よーく見ると、バーバラによく似てる。彼女、今でもきれいな人だけど、その昔はかなりの美人だったはず。これじゃ、さらに心配は増すでしょうねー。大事な一人娘が手元にいなくなって寂しいらしく、電話は毎日アメリカからかけているとも言っていた。そして、この電話でリクエストされるものを、速達便でポーランドまで送っているのである。なんだか、親ゴコロを感じます...。
で、そんなバーバラを見ていて想うのは、やはり日本にいる私の両親のこと。きっと、バーバラと同じような気持ちで、何かにつけて、アメリカに住む私のことを心配してくれているんだろうなーって、ちょっぴり胸が痛んでしまう.....。今回アメリカに来る時には、以前、留学したときとは違って、『何かあったら、意地をはらずにいつでも帰っていらっしゃい! 故郷は日本なんだから。』と、笑顔で送り出してくれた。両親をはじめ、家族みんなにはほんとうに感謝、感謝です。でも私、今は1人じゃなくて、ダーリンと2人で力を合わせてがんばってるから、そんなに心配しない大丈夫だよーっ。そういえば、昨日小包みが日本から届きましたぁ。どうもありがとう! 嬉しかったです...。
娘に荷物を送り終え、ほっとした様子でお店を後にしてゆくバーバラの後ろ姿を見るたびに、心の中でいつも思っているんです。『んー、今日あたり、また両親に手紙でも書こうかなぁー....』って...。