97年4月8日

San Diegoで行われた全米都市計画協会のコンベンションから帰ってきた。イベント好きのアメリカ人と、4日間ずーっと一緒に過ごすのはあまりに濃厚で、ものすごく疲れた。以下、簡単にご報告。

土曜日、朝9時の飛行機でOaklandからSan Diegoへ。南カリフォルニアは日差しが眩しい!この日は、午後に参加登録を行い、手提げ袋と資料一式をもらう。UCバークレーからは、学校別では最多の25人の学生が参加。その内で外国籍は、自分の他にハンガリー、チェコ、コスタリカの3人。アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のためのイベントを楽しんでみよう。
会場のMarriott Hotelは巨大な施設で、宴会場の規模と数がものすごい。1万5千人(確か)の参加者がすんなり収容できるのにびっくり。その後、地下の展示ブースを回るが、特に面白いもの無し。セールスのお姉さん達が、気持ち悪い程の営業スマイルをふりまいてくれる。夜は、20人程でメキシコ料理屋へ繰り出す。1.5時間位待たされてしまうが、コスタリカのPがスペイン語で適当なおつまみを注文してくれて、何とかしのぐ。今日は、早寝。

日曜日、オープニング・セッションはMichael Mooreという映画監督。社会・都市問題を皮肉的にパロディにした毒舌は抱腹絶倒もの。会場から「イエー」とか「オー」とか掛け声飛ぶ。また、皆が一斉に笑い声を上げるのが、やらせかと思うほど揃っている上、声がでかい!まさに「奥様は魔女」のよう。
今日は4つのセッションを見たが、内容はどれも今一つ。大会議ならではの底の浅さに加え、しゃべり方がへたくそな奴が多すぎる。もっと勉強しろ、と言いたくなる。
その後、Horton Plazaというショッピングセンターを借り切ったレセプションへ。人間の洪水で、殆ど動けず。親友のDが耳打ちしてきて、酔った勢いで、新しい彼氏との関係をのろけ始める。うーむ、まさにただのノー天気なパーティー状態。その後、クラスメート20人ほどで、こてこてのアメリカン・バーへ。音楽は60sのギター弾き語り+リズムマシーン。しかし、Gは曲に関係なく盛り上がってる。勢いで、10人ほどで、怪しいクラブへ。何と、音楽はロカビリー!時計がすごい勢いで戻っていく感覚。カウンターでは、入れ墨だらけのマッチョな奴らがビールを片手に、いやらしい目で踊っている女の子を見ている。ここで私はリタイアしたが、タフな7〜8人は、その後さらにクラブを2軒はしごしたそう。体力有りすぎ。

月曜日、朝帰りの連中は朝起きれずに、昼まで睡眠。コンベンションに来て、コンベンションに出ず。本末転倒もまたよし。
朝のセッション「ハイテク産業の立地の規制と誘導」は素晴しかった。頭脳明晰で若い女性司会者が、4人のおっさんパネラーを見事にさばいていく。シリコンバレー、ポートランド、シアトルといった西海岸の産業発展の目覚ましさと、それに伴う問題点がよくわかる。「富士通」という名前がしばしば出てきて、少しびっくり。午後は3つのパネルに参加。「災害復旧/復興におけるプランナーの役割」「自然災害による被害軽減におけるプランナーの役割」と続く防災シリーズは、日本も学ぶ所が大。また、「サステイナブル・デベロップメント」は、最も話題の分野だけあって、会場全体が活気ムンムン。若手プランナーが流行をリードしていることが素晴しい。実り多い日だった。
夜は学生のレセプションへ。何と、会場は昨夜行ったロカビリー・クラブ!そして、プランナーだけで編成されたバンドが出てきて、ものすごい騒音をまき散らす。中西部の田舎から出てきた学生達が嬉しそうに踊る中、ほとんどの学生はしらけまくり。プランナーに音楽センスはないのか?そんな中、UCLA、オレゴン州立大学、中西部の小さい大学(名前忘れた)の学生とお話し。まったくこの国はでっかい。場所によって、都市問題も全然違えば、学校のカリキュラムも、学生の個性も全く異なる。自分のバークレー色を実感。
飲み直しに、親友DとSとHotel Del Coronadoへ。1年ぶりに訪れた超高級ホテルのバーは、贅沢な気分になれて嬉しい。生ピアノの演奏も心地よい。話題は将来のこと。Dは舞い込んだ仕事のオファーと別の大学院プログラムへの進学のどちらを取るかで悩み、Sは勉強を継続するための資金を工面するのに苦労している。こうして見ると、自分の現在置かれている境遇が、以下に恵まれたものかを痛感する。内容は異なるが、皆、今後へ向けて人生を模索中。あと2ヵ月したら、クラスメートは全米各地へ散らばってしまう訳だが、この連中とはずーっとつきあっていきたい。

火曜日は、「地域計画の重要性」のセッションで、先日面接をしてもらったポートランドのF氏が講演。彼の簡潔で力強いプレゼンテーションと、質問への明快な受け答えを見て、この人の下で働きたい、という感を強くする。特に、自分への面接の時と、大聴衆を前にした時の態度が、常に変わらず自信と余裕に満ちていたのが嬉しい。
昼食後、ホテルのプールサイドでもう一人のD(上記のDとは別人)と雑談。「太一は、この2年間でものすごく積極的になったし、英語も大変上達したね」という言葉は嬉しい。中国系アメリカ人としてのプライドが随所にのぞく彼女も、卒業後のことではいろいろ悩んでいて、いろいろ相談してくれる。最後の最後で、クラスメートとの絆が強くなってきていることを実感。
午後のセッションは今一つ。疲れもあり、時々うとうとしてしまう。その後、ホテルの部屋をシェアしたGとワイン&パスタで打ち上げ。彼と、もう一人のホテル・ルームメートのAは、韓国系および黒人のアメリカ人ということもあり、いわゆる白人的なアメリカ人の乗りとは一線を画している。文化の多用性への敏感さと、いつも団体行動していると息苦しくなるマイペース型である点が自分と似ていて、すごく気が合う。奴らとも、長いつきあいになりそう。2人ともテニスもすごく上手だし。

今回のSan Diego行きが、卒業前の最後の旅行。残る1学期はひたすら勉強あるのみ。明日のレポート作成から現実に戻ろう!

P.S. ホームページ閉鎖にあたっては、たくさんの励ましのE-mailありがとうございました。WWWおよびE-mailを通じて、多くの見知らぬ日本人の方とも接点ができたことは、留学生活の中で思いがけないボーナスでした。これからも、よろしくお願いします!

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