第1回:はじめに〜住民の価値観を反映したまちづくり

エッセイ第1回では、今後の伏線となる大テーマ「住民の価値観を反映したまちづくり」について、シンガポールの建築家リュー・タイカー氏の講演を引用しながらお話しします。同講演は、1996年10月に東京で開かれたTN Probe主催のシンポジウム「アジアが都市を越える」において行なわれたものです。リュー氏は1979年から89年まで住宅開発庁長官としてシンガポールのまちづくりの中核を担った方です。現在は建築家としてのお仕事が多いようですが、かつての経験に基づいて広い視野から都市問題を考えていらっしゃいます。

さて、リュー氏がまず始めに語っているのは、まちづくりにおける目標設定の大切さです。

...病気の人間を治すとき、あなたは病気の人間のイメージではなく、健康な人間のイメージを想定して治すでしょう。アジア都市の根本問題は、健康な都市というものがどんなものかをみな知らないところにあるのです。...

私は日本のまちづくりの問題もここに集約されると思います。「物質的に豊かな社会」という単一的なイメージを追い求めた高度経済成長期は過ぎ去り、社会の価値観が多様化している今こそ必要とされているのは、「まちづくりの目標=健康な都市のイメージ」を明確にする作業です。目標を持たない場当たり的な実践の積み重ねでは、今日の都市環境を効果的に向上させることは難しいのです。

では、どのようなまちづくりの目標を設定すれば良いのでしょうか?結論から申せば、まちづくりの目標=健康な都市のイメージは住民の価値観を反映したものでなければなりません。まちづくりは個人の集合としての「公共」の利益のためのものです。勿論、一部には同意しない人も出てきますが、大多数の人々が共有する価値観というものは存在し、それを高めていくことがまちづくりの目標です。ここで、私が完璧に同意するリュー氏の考えを引用します。

...まず最も重要なのは、都市計画と開発は市民のためにあるものだということを認識しなければならない、ということでした。それは経済のためでもなければ交通のためでもない、またアーバンデザインのためのものでもない、それは市民のためにあるものなのです。この点を見逃すと、都市計画全体の理念を見失ってしまいます。なぜなら経済も、交通も、アーバンデザインも都市のため、市民のための計画という大きな傘の下に収まるものだからです。そういうものは人々の要求を満たすための手段なのです。つまり、生活をし、働き、学校へ通い、買い物をするといった機能面の要求を満たす手段なのです。言い替えれば、市民のための都市計画という大前提の下で経済成長、機能性、環境の質、生活の質、美しい都市景観に貢献する計画を立てるべきなのです。...

まちづくりの目標は住民の価値観を反映すべきであるとすると、全ての都市が他と異なる固有の目標を持つことになります。なぜなら全ての都市は社会的、地理的、経済的な条件が異なりますから、住民の価値観も自ずと異なってくるためです。

「あなたの価値観は何ですか?」これは難しい問いです。自分が欲しくないものはわかっても、本当に欲しいものはわからないということはしばしばあります。個人の価値観を明確にし、それを集約してまちづくりの目標を設定する作業は大変困難なものです。では、誰がどうやってそれを行なうべきなのでしょうか?私の考える一般的な原則は以下のようなものです。

住民の価値観は住民の間から生まれてくるものであり、まちづくりプランナーの仕事はそれを明らかにする作業を支援することである。プランナーも個人的な知識や経験から自分の価値観を持っているはずであるが、それを住民に押し付けるような方法でまちづくりの目標を設定してはいけない。

これに関してリュー氏は以下のように述べています。

...都市計画者は神の役割を演ずるようだと言われそうです。民主主義の下では、計画立案の長たる人々は他の人々のためにそうした決定を行なうことを許されてはいないのだから、都市計画者には何が都市にとって良いかを決める権利はないはずだと言われてしまいそうです。

まちづくりプランナーも個人としての価値観を持っています。そして、プランナーが信じる価値観と大多数の住民の価値観が一致しない場面はよく見られます。リュー氏はこの問題を「願望の氷山」という概念図を用いて明快に説明しています。

...たいていの人は氷山のてっぺんの方、つまり水面から出ている上の部分を都市計画の目標として見てしまいます。つまり、美しい都市、文化的な生活、そして建築というものを口にするわけです。ところが家庭の主婦にとってはこれらはむしろ関心の順位で言えば。後の方になります。もし都市計画が本当に人々のためにあるものなら、一介の主婦が都市に何を望むかということを理解してみなくてはなりません。

主婦の優先順位に従えば、まず最初に来るのが手頃な住まいです。次が自分と自分の夫が働くスペース、次が自分と夫が楽にスムーズに職場に行けることです。そして、清潔な飲料水と電気。次が子供たちが良い学校へ行けることです。その次にどうやら望んでいるのはよりよい文化設備、遊び場所、映画館などのようです。その次にはたぶん新鮮な空気と水です。...都市計画が市民のためにあると考えるなら、こうした問題点を考慮しなければならないということになります。


勿論、ここに挙げた優先順位は一例に過ぎません。しかし、「主婦」というリュー氏の(ちょっとデリケートな)表現を「住民」という言葉に置き換えてみてください。彼の意味している「まちづくりプランナーは住民の基本的な価値観を見過ごして、目につきやすい華やかな部分に目を奪われがちである」ということは、一般的に言えることです。まちづくりプランナーはこのことを常に念頭に置いて仕事をすべきですし、住民は自分の求めている価値とは何かを考える必要があります。そうして初めて、「健康な都市のイメージ」を実現するための「良いまちづくり」が可能になるのです。

最後に、メトロのまちづくりに関する私見を少し述べます。メトロのまちづくりの核心は、初めに住民の価値観を明らかにした後それに基づく計画を進めていることであり、そのノウハウには驚嘆すべきものがあります。しかし、多くのプランナーや研究者はこの点の重要性を十分に認識せず、まちづくりの技術的側面ばかりに着目しがちだと思います。「広域行政」「都市成長境界線」「公共交通の優遇策」などは、全て住民の価値を反映したまちづくりを実現する技術に過ぎないのです。そして、私が日本のまちづくりに参考にしていきたいのは、技術よりもこのノウハウなのです。なお、メトロ成長管理局前局長フレゴネシ氏も、インタビューの中で同じ問題に触れていますのでこちらもご覧ください。

なお、リュー・タイカー氏の講演の引用部分は「TN Probe Vol.5 1997 アジアが都市を超える」92-96ページより抜粋しました。同氏およびTN Probeの勝山里美さんからは書面にて転載許可を頂いています。ありがとうございました。

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