MinMin's Diary


today's diary
Last week's diary

8月2日
気がつけば8月。
あっという間に1年も3分の1を残すようになりそうです。
楽しいことを探したいんだけど、なかなか思うようにはいかない。
ちょいと充電していた間にまたしても妙なことを考え始めました。
海を見たことのない山奥に住む民族と山から流れ出でる海の源流を見たことのない海辺に住む民族。
その二つの種族の話です。
日本人には「海の人」と「山の人」がいるそうです。
海幸、山幸の話も有名ですね。
きっと交通手段も発達していなかった古代なら、そういうこともあったろうと思ってました。
でも、きっと、今でもそういう人はいるんでしょうね。
海を見ないままに死んでいく山の人。
山を見ないままに死んでいく海の人。
どうしてそんなことを考えているのかというと、充電期間にそういう二つの地域を訪れていたからです。
山奥に住む人達に出会い、彼等の生活ぶりを見て、こちらは普通にバスに乗って海辺の町に出る。
すると、そこには海辺の町で生まれ、そこで暮すことを運命づけられたかのようなおばあさんが居たりする。
不思議な気持になりました。
まだ、この「海の人」と「山の人」ってものは続いているんだな。
山の深い緑と水のせせらぎに懐かしさを覚えたら「山の人」だそうです。
海の青さと波音に懐かしさを覚えたら「海の人」だそうです。
ずっと昔にフランス語の授業で使った小説の名前が「未だ見ぬ海」でした。
海に憧れる少年の話だったと記憶しています。
きっと「山の人」の中にも未だ見ぬ海に憧れていた人がいただろうな。
そんなことも考えました。
そして同様に「海の人」の中にも未だ見ぬ山に憧れていた人がいただろうな。
貴方はどちらに懐かしさを覚えるでしょう?
憧れと懐かしさを混同してはいけません。
憧れと懐かしさは決して同質のものではないからです。

それにしても...海水かぶれをまたしても起こしてしまいました。(;;)
今度はつけていた指輪の下です。
どうも塩っ気は天敵らしいです。

8月4日
台風が近づいているようです。
子供の頃は台風が近づくと、不謹慎にもワクワクした気持が湧き起こりました。
非日常が襲ってくるという興奮。
がたがたと揺れる窓、外には流れるように風にしなる木。
蝋燭やら飲み水やらを準備したりもしました。
でも、大人になってからは大変なことの方が頭に浮かび、ワクワクどころじゃなくなりました。
幸いにも、今回の台風は直撃しないようなので一安心です。
おまけに風が涼しくなっているのでクーラーもいらないし。
取り敢えずは焦らずにいられそう。
さて、最近、最も気になることはインドネシア情勢です。
パプアニューギニアの津波も大変ですし、色々と各地で災害が起こっていますが、インドネシアのは人災なだけに不気味です。
インドネシアではかねてより中華系住民を排斥する傾向にありました。
30年以上も前に華僑学校は封鎖され、中華名を使用することは禁止され、インドネシア風の名前に切り替えられました。
政治や軍事に携わることはできず、ひたすら経済部門だけで頑張ってろという国策に則ってインドネシア経済を支えてきました。
それが、今回の暴動で、タガが外れた暴徒の標的とされ、いわれなき迫害の対象となっています。
特に中華系婦女子に対する性的暴行にはすさまじいものがあります。
10歳から50代に及ぶ女性が強姦、輪姦の対象となり、衆目の中、あるいは家族の目の前で被害に遭い、時には殺害されました。
大都市の一つであるバンドンでは、8月中に中華系女子学生1000人近くが休学し、1年近く中国、マレーシア、オーストラリアなどに留学を名目にして滞在することになったそうです。
しかし、全ての女性が出国できるという訳ではなく、中華系住民は日々を不安の中で過ごしています。
5月の暴動は新大統領就任で収まったかのように日本では思われているようですが、中華系住民の生活は良くなるどころか、1965年の中華系住民弾圧時よりも無軌道な暴徒による迫害が続けられ、窮地に追いやられています。
インドネシア名を名乗り、インドネシア語を喋り、インドネシアの習慣を尊重して、国民の一人として生きているインドネシアの中華系住民なのに、国策の中でスケープゴートにされ続け、今回も混乱の中で多大なる犠牲を払っています。
また、ある情報によると、暴徒の犠牲となった女性の9割近くがマイノリティの中華系住民の女性で、残りは外国人女性とのことでした。残りは外国人女性という言葉に他人事ではないものを感じませんか?
私がジャカルタに行った際に、中華系の友人と一緒にいて、恐い思いをしました。乗っていた車がエンストを起こし、小さな漁港の傍で止まってしまったのです。幸い、車には日本人男性も乗っていましたが、見る見るうちに男達に取り囲まれました。
小柄な華僑の女性である友人は渾身の力を振ってドアを開けて、走って電話のあるところに向かいました。絶対に車から出たらいけないよと言い残して。
男達は中にいる私達を不躾にじろじろと見て、ガラス窓を叩く人もいました。
しばらくして彼女は帰ってきました。電話で家に連絡がついたようです。
車に乗る直前、彼女は何か鋭い声で叫びました。
車を囲んでいた男の誰かが彼女の身体を触ったのです。
にやにやする男達。
しばらくして、血相を変えた彼女の父親と弟が、使用人と修理工を連れてやってきました。
後で聞いたら、その漁港の付近は大変に治安の悪いところだったそうです。それにしても、私達に対する、なんとも言えない不気味な視線は今でも忘れることは出来ません。
日本人は彼等から見たら華僑に似ているようです。インドネシア人と結婚してインドネシアに住んでいる日本女性もいます。こうした女性にも同じ危険が迫っていると言えないでしょうか。
インドネシア華僑だから放っておいていいとか、日本人だから助けなきゃいけないとか、そんなこと言うつもりはありません。ただ、自らもがインドネシアに行き、インドネシアのマイノリティである中華系住民の女性と同じ目に遭う可能性が全くないとは言い切れなかった思い出があるために、彼女達の受けている辱めが他人事とは思えないのです。
そして、彼等が受けている痛みや屈辱が、自らのものになったかもしれないことを考えると、何かしないではいられないのです。
私に何が出来るのか。
何も出来ない無力さを感じます。
彼等の為に祈ることくらいしか出来ません。
しかし、一人でも多くの人に、この事実を伝えられたらと思います。
8月7日には全米で盛大な抗議集会が開かれます。
台北ではインドネシア代表処に抗議の卵が投げ込まれましたが、あそこに勤務している多くの人は華僑なので、どちらかというと被害者の側の人だけに、見ていて複雑でした。
いつになったらインドネシアに平和は訪れるのでしょうか。

8月5日
某MLにインドネシア華僑女性暴行に関する問題を提起したe-mailを転送しました。 もしかしたら皆さんのところにも来ているかもしれない"Yellow Ribbon Campaign"というメールです。
そうしたら、ある人に「自分のところにも来てるし、日本語訳もあるのでつけますけれど、自分自身は転送はしませんでした」なんていうコメントを頂きました。
別に転送するしないは個人の自由と思います。
その人はインドネシア華僑迫害に対する華人社会からの抗議やクリスチャンの抗議(インドネシア華僑はクリスチャンが多く、弾圧している人達は主にイスラム教徒)を民族や宗教による問題になりかねないという見方をしているのかもしれません。
確かにそういった観点から、この問題に関わっている人もいるでしょう。そうしたことで、問題の論点がすり替えられる可能性もあるでしょう。華人やクリスチャンの中にはこれを利用して何かしようとする人もいるかもしれません。確かにそうした危惧はあるでしょう。
断っておきますが、私はクリスチャンでもなければ華人でもありません。
しかし、なんと言われようとインドネシア問題を提起し続けます。
このインドネシアの事件は民族、宗教などという垣根を越えて、捕えなければいけない問題だと思うのです。
それは日本でも、かつて同じような事が起こっているからです。
例えば、関東大震災の後に広まった流言飛語の為に多くの無辜の韓国人が生命を落しました。
私の祖母の知人はその犠牲になっています。彼はドモリだったので、韓国人か日本人か見分けるための言葉を言えと強要された時に、どもってしまい、日本人であるのに竹槍で刺されて殺されました。
これは、つまり、多くの無名の無辜の韓国人が日本史の中で無残に殺された証拠であるとも思います。
インドネシアのこの集団ヒステリーのような状況下における華僑迫害は、各国で多勢を占める人間がマイノリティに対して起こしうる問題だと思います。
何か社会的不安が起った場合、必ずその社会におけるマイノリティが槍玉に挙げられます。
ですから、全ての国に起こり得る問題として、私はインドネシア華僑に対する迫害を一人でも多くの人に意識していてほしいと願う次第なのです。
今、私達がこうしている時も、いつ踏み込んでくるかもしれない暴徒に脅えながら、それでも、その土地に生きていかなければいけない人々がいるということを忘れないでいてほしいと思います。

8月6日
今日は広島に原爆が投下された日です。
今から23年前、原爆投下から30年経った広島に私はいました。
今から30年前というのは既に私がこの世に生を受けている頃です。
つまり、それだけ近い過去に原爆が投下された23年前のこの日に私は広島にいたのです。
毎年、このことを思い出させてくれたのが夏の高校野球でした。
今から20年前、60回記念大会の時に高校野球のスクラップを作り始めて以来、夏と言えば高校野球に始まり、高校野球に終わる青春時代でした。
今年はどういう訳か本日が開会式でした。
恐らく80回記念大会で出場校が多いためでしょう。
私がよく見ていた頃は、大体、今日あたりが組み合わせ抽選日でした。
この日、広島代表は抽選会場に向かう前に黙祷を捧げ、それが毎年のように報道されました。
当時は被爆2世がチームにいるのが普通でした。
第二次世界大戦、原爆、終戦、甲子園。
これは私の心の中、目に見えないような糸でつながっています。
甲子園出場選手が全て戦後の生まれになった年に私は生まれました。
阿久悠という人が書いていた甲子園の詩の中に、こんな一節がありました。
うろ覚えですが。
「野球が出来る時代はいい」
戦争で甲子園大会も中止になりました。
甲子園で勇姿を披露した少年達の中には戦地へ赴き、帰らなかった者もありました。
そんな時代を越えて、今年も甲子園の夏がやってきました。
うだるような夏の暑さ。
人々のざわめき。
夏空に響く球音。
コンバットマーチ。
歓声。
セミの声。
風鈴の音。
かき氷。
朝顔。
ひまわり。
今年出場する選手達は私が身を入れて高校野球を見始めた頃には未だ生を受けていなかった少年達です。
戦後生まれの少年達ばかりで初めて行われた大会の年に生まれた私と、その年に出場した少年達の年の差は15歳から18歳。
そして今年、80回大会に出場する少年達と60回大会に出場した少年達の年の差は20歳前後。
そう考えると、本当に第二次世界大戦がとても身近な存在に思え、決して日本史の教科書だけで知るような過去のものでないと改めて認識するのです。
今年も甲子園ではどんなドラマが繰り広げられるのでしょう。
残念ながらBSが入らないので、こちらではニュースで結果を知るだけに留まっているんですが...。

8月7日
素敵なBGMをいただきました。
MinMin連合の目黒MinMinさんの常連さんの裕子さんからです。
私の大好きな「ブンガワンソロ」です。
この曲の調べのように、インドネシアが一日も早く平和になりますように。

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