MinMin's Diary
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8月9日
本日は長崎が被爆した日です。
人のいたみには宗教も民族も性別も年齢も関係ないはずです。
「いたみ」を生み出すものはひとつでも減らしたい。
もし、己がそのいたみを受けたのであれば、報復するのではなく、他の人に二度と与えないようにするよう動く。
多くの人が他人のいたみを自らのいたみとして感じることができれば...
随分と世の中も変わるのではないでしょうか。

8月10日
ずっと昔、まだ中国語を習い始めた頃、ぞろっと勢揃いした華僑と一緒に御飯を食べました。
その時、ある日本人が彼等に質問をしました。
「君達は皆、華僑と呼ばれているけど、気持の上で、なに人?」
彼等は何のためらいもなく、自分の国籍を名乗りました。
「アメリカ」
「カナダ」
「フィリピン」
「スイス」
「インドネシア」
この時に、日本の華僑だったら、こうは言えないんだよなと思いました。
何しろ、日本国籍じゃないですから。
フィリピン華僑の青年が言いました。
「確かにチャイニーズであるという自覚はあるよ。家の習慣にも中華文化が染付いている。でも僕の生活はフィリピンにある」
その言葉を思い出しながら、今のインドネシア情勢を考えています。
「私達の国」とインドネシアを呼んだインドネシア華僑の優しい伯父さん。
吐き捨てるように「あいつらがこっちをインドネシア人って認めないんだ。それならこっちだってインドネシア人だなんて思わない」と叫んだインドネシア華僑の青年。
住む土地に定着したいという気持は誰にでもあると思うのです。
そこに暮すと決心した場合、自分もそこの一員として生きていきたい、同じだけの権利を享受したい、そう思うのは当然でしょう。
その立場を獲得するためには、その土地の言葉を覚えるでしょう。
その土地の習慣を学ぶでしょう。
その土地の一員として認めてもらいたい一心で頑張るでしょう。
でも、それなのに、数年、いえ、数十年、数百年にも渡って「よそ者」扱いされたとしたら...。
逆に「いいよ。そっちがその気なら、こっちだってもう認めてもらう気はない」と開き直ってしまう人もいるでしょう。
「よそ者」
嫌な言葉です。
この人生で何度も言われました。
そして、今も...。
流石にはっきりと言われませんが、態度に、言葉の端々に出ています。
先日、警察に電話をしたら、わざと変な発音で答えられました。
よくいるんです。
外国人が相手だと、わざと「ガイジン風中国語」を喋る人。
つまり、日本で中国人相手に、相手が多少のアクセントはあっても、きちんと喋っているのに「おぉ、そうあるか。気にしないあるね。このもの、みんな美味しい、美味しいあるから、食べるといいあるよ」なんて答える馬鹿者を想像してくださいな。
その馬鹿者が警察官っていうんだから...
いっくら「台湾の警官はレベルが低いから」と台湾人が言い訳しても、私は納得できないぞ。
あいつらは、私らが支払った税金で暮してるんだから。
どんなにこっちが努力して、相手の社会に入っていこうとしても、受け入れてくれない社会的強者(majority)がいれば、やがて悪戦苦闘する社会的弱者(minority)は、自らの努力が無駄であるような脱力感に襲われるのです。
でも、そこに生活の基盤が移ってしまったものは、その脱力感を克服しながらも生きていかなければならない。
今、聞いている深夜放送はアメリカ人で中国語が得意な男性がDJをしているラジオ番組。
英語が喋れるという前提があるから、彼の中国語は「可愛い」だの「親しみやすい」だのと肯定的に評価されています。
しかし、一方で、今は昔の千葉美加ちゃんは、さんざっぱら笑い者にされていました。
さながら日本におけるビビアンスー以上のお笑い者扱いです。
一所懸命に下手な中国語と英語とボディランゲージで意思を伝えようとしているのに対して司会は「なんだい、トイレにでも行きたいんかい?」なんて突っ込むも、彼女はその意味が解らず、懸命にひたすら何やら言い続けている。
それを大笑いする観衆。
美加ちゃん、もういいよ。哀しいよ。
最初はそう思っていたけれど、最後は彼女が出ているものは全て見ないようにしました。
そこまで笑い者にする台湾の芸能人や観衆にも腹が立つし、笑い者にされても、取り敢えずは商売繁盛の美加ちゃんのおかげで、私達まで彼女と同じような扱いを受けたので、ええ加減にしてくれやって心境になってしまったのです。
「日本が何を輸出しても構わないから、千葉美加だけは輸出しないでほしかった」
日本人留学生が呟いたのを覚えています。
彼女が笑い者にされても平気でいるので、日本人はこうやって笑い者にされても構わないといった風潮が出来上がってしまいました。
今は中国語名を名乗っている日本人女優がいます。
ヌード写真集で売り込みをかけた人です。
彼女の記事にしても、いっつも「下手な中国語」での失敗談ばかり。
それがご愛敬とでも言いたいようですが、典型的なハリウッドの馬鹿な金髪娘の役割を演じています。
でもね、どんな頭が悪かろうが、なんだろうが、他人の言葉を喋ってるんだよ。
それを笑ってる貴方達は何者?
彼女達のために怒ってるんじゃないんです。
いいんです、彼女達がどう扱われようと。
あの人達は台湾で有名になって、日本に錦を飾るつもりでございましょう。
芸能人は一般人である私達とは違います。
ここにおける普通の生活者でもありません。
特別扱いされる存在です。
笑い者にされたってトントンでしょう。
特別扱い大歓迎でしょう。
でもね、生活者でありながら、よそ者扱いされるってのはどんな気持か、社会的強者の立場にある人達には解らないでしょう。
そんなことでブリブリ怒っていたところ、本日の「中国時報」に目からウロコの記事があったと友人が教えてくれたので、さっそくコンビニに買いに行きました。
まずは台湾でも話題のインドネシア問題を、民族やら宗教やら国籍やらとは関係なく、これは人権問題であると訴える論調に、一回目の目からウロコ。
おぉ、華人の同胞を救えっていう、なんとかの一つ覚えのような一般の論調と一線を画する聡明な発言。
更に、筆者は畳み掛けるように、「自分達の国をよく見てご覧なさい」と続ける。
二度目の目からウロコ。
外国人労働者の劣悪な待遇、医療の欠如、外国人メイドに対する性的虐待、さらには外国籍妻に対する暴力などなど、自分の国にも問題は山積みと指摘する。
人権は平等に与えられているものであり、国籍や民族や宗教で基準が動くものではないと訴えている。
私は感激し、あっちこっちに連絡しましたよ。
最後には新聞社に電話して、筆者は何者?とたずねてしまいました。
筆者は女性で、中国時報の記者でした。
電話口に出た彼女に「ありがとうございました」と思わず言ってしまいましたよ。
「よそ者」として暮すことの不可解さをいくら訴えても解ってもらえないと思っていただけに、地獄に仏の心境でありました。
いきなりの外国人読者の電話に驚いているようでしたが、台湾では外国人問題が、それほど一般人に身近な問題として扱われていないことを教えてくれました。
先日のアホ警官の事件を吹き飛ばすくらいに痛快な記事でした。
「よそ者」扱いされている人にも関心を向けている人もいるということです。
その場合、多くは民族、宗教、国籍を越えて、人としての良心によって動いているのです。
「よそ者」として暮し続けてきたインドネシア華僑達が、「よそ者」故に受けている不当な待遇に疑問を投げかける人がインドネシア国内に一人でも多く登場するように祈ります。
そういう人は、きっといます。
私は人間の醜さが世の中にあるのと同時に、人間の善良さがあることも信じたいです。
「私はインドネシア人」
そう言い切ったインドネシア華僑のことを思い出し、彼女が今、どこでどうしているのだろうかと考えてしまいます。
彼女のそばにも、中国時報の記者の女性のような人がいてくれますように。
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