MinMin's Diary
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Last week's diary
7月7日
七夕様でしたねぇ。
こちらは旧暦なのでまだそういう話は出てないけど。
さて、最近は色々なことが目白押しでぶっとんでます。
死んではないのですが...
身は細る思いでも本当には細っていないぞ。
そんなこんなで7月もスタート!
暑さに負けずに頑張りましょう。
あぁ、やること沢山(T_T)
何から始めたらええかいな(こらこら)
まるで部屋の片づけをさせられてどこから手をつけたらいいか解らない状況に似てるぞ...
7月14日
パリ祭ですね。
ずっと昔、大学1年の時、生まれて初めてのフランス語の試験もこの日でした。
一風変わったクラスメートの男性がフランス語の出来る人に頼んである一文を書いてきました。
「今日はパリ祭ですね。小粋なパリジェンヌもギャルソンも、麗しきマダムも、気品溢れるムッシュウも、みんなワインで乾杯してますね。」
これを暗記しておいて、何もかけなかったフランス語のテストの解答用紙に書き込んだというではありませんか。
唖然...
私達のフランス語の担任は巷では「クリスチャンディオール」と呼ばれていました。
ディオール製品を愛用しているのではありません。
CとDしかくれないという恐ろしい伝説によります。
この文章を書いた彼がいったいどういう評価をもらったことか...
それにしても、この人って得な性分でした。
何をやっても「ったくしょうがないんだからぁ」って感じで見逃してもらえる。
人間って身体から発しているイメージってあるんでしょうね。
例えばあることをしても、それがちっとも嫌に見られない人がいます。
嫌どころか好意的に解釈される。
ところが一方で、その人自身はそんなことはしないし、考えてもいないのに
「この人ならさもありなん」
という目で見られてしまう人もいます。
私の好きな漫画の主人公が悩むシーンがあります。
どんなことをしても悪く思われない人のことを
「人から悪くいわれるはずはない。あの人には天性の人徳があるから」
と思った瞬間に自らを思い、
「わたしにはそれがない...?むしろ人がないか悪い噂を流しても「あの人ならやりかねない」と思わせるなにかがわたしにはある...?」
と考え込みます。
「わたしが人に与える印象が...そうなの?」
「なにもしていないのにああいわれる...これからもなにかがあるたびにわたしはそういう目で見られるだろう」
こういう印象ってどうやって生まれるのでしょう?
身体的な特徴もあるでしょう。
顔立ちや声、立ち居振舞い、氏育ち。
私の友達に要領の悪い男性が居ました。
クラス中が騒いでいる時には大人しくしているのに、そろそろみんなもやっているから僕も参加しようと騒ぎ出すと先生が振り向いて
「こら!○○!!」
と彼の名前を呼び、
「さっきから何をうるさくしてるんだ!」
と怒られるのだそうです。
それ以外には大阪に居た時代の隣の家のガキ大将。
彼はリーダー格なのでみんなと同じことをやっても目立ちます。
例えば始めたのは彼でなくても彼がそこに居ると彼が中心になってやっているように思われるのです。
そこで相づちを打っていても彼が言ったかのような誤解を受けます。
相づちを打たなくても何かの話を彼が聞いていただけで彼が言ったと思われます。
誰かがイタズラをしても彼の仕業であるかのように思われます。
担任の若い女の先生はクラスをまとめるために彼を「怒られ役」にしました。
彼を怒って言うことを聞かせれば子分達も自動的についてくると思ったからです。
これで、少年はぶっつりきたみたいです。
ある日の試験で彼は白紙回答を提出しました。
そのことで先生が彼の家をたずねると
「俺が何言うても聞いてくれへん。みんな悪いのは俺や。そんなら先生に何も言うことないわ。だから先生が出した試験にも何も答える気はないわ」
と理由を述べたそうです。
私にも彼と同じような経験があります。
まったく知らない人の名前を持ち出され、
「あんた、あの人と私が今、仲悪いなんて言ってるんでしょう?いい加減なこと言わないでよね」
とだけ言われてさっさと去られてしまったのです。
「いったいそりゃ誰じゃ?」
そうたずねる余裕もありませんでした。
私はどうもよく喋ると思われているみたいです。
だけど、そういうゴシップネタには興味ありません。
喋るやっちゃというイメージ以外にも重要なポイントがあります。
当事者の近くにでも立っていたら私の方が目立つのです。
だから、例えばその噂を流している人が私の隣の席に座っていたら、私が「噂を流した」と思われます。
こういった類のものだけではありません。
「え?そういうことしてなかった?」
とよく言われます。
あたしゃ、そんなことしたこと一度もないよと言っても相手はなかなか信じません。
そばに居る人のしている行為が私がしたことに見えるらしいのです。
「乗馬部だったっけ?」
なんて言われたこともあります。
私なんかに乗られたら馬がぎっくり腰になるかもしれないって。
「この人、なんでこんな話ばっかりするんだろ?」
って思う人のそばにいたら、端で見ていた人に後から
「あなた、なんであんな話ばっかりするんですか?」
と聞かれたこともあります。
あたしがしてるんちゃうっていうに!
人間の記憶力なんて曖昧でいい加減ですからね。
誰が言った発言かなんて1日経ったら忘れてます。
内容は残っていても、それがその時一緒に居た人の誰が言ったかなんて、なかなか記憶に残りません。
実際に私が言ったことを翌日になって「誰ぞやが言ってたけどさ」と言われ、「そりゃあたしじゃ」と答えた経験もあります。
それはその人以外の数人がまったく同じ部署に属していたから、どの人が言ってもおかしくない発言だったからなんですけど。
逆に「絶対に君が言った」と知りもしないことについて断言されて、「知らんぞ!そんなこと!おいら野球は好きだがサッカーはとんと知らんぞ!」みたいなこともありました。
女なのに野球にやたら詳しいから、じゃ、きっとサッカーも...と勝手に思われたのでしょう。
状況の受け止め方の違いにも関係あるかもしれません。
数人の友達と一緒にいて、私は隣に居た人と二人で話しているつもりが全員の話の中でしているように受け止められたりもします。
逆に全員に言っているのに自分に対してだけ言われたと思う人もいます。
「おいおい、私はみんなに言ってるんだよ」
焦って言っても言い訳みたいに思われるだけです。
人間の記憶や感じ方の曖昧さ、いい加減さ。
こういうことはきっとこの人が言っただろう。
こういうことはきっとこの人がしただろう。
印象で他人を決め付ける。
第三者に対する印象を別の人に聞いて、はたして本人に会ってみると全然違ったということもよくあります。
第三者の印象を語ってくれた人も相手の印象で決め付けていたのでしょう。
印象で相手を決め付ける。
それは赤の他人に対してはあまりしないことです。
むしろ、ちょっと知り合いになったら陥り易い罠。
「きっと解ってもらえる」
そんな甘えが生じ始めた時も危険です。
貴方の見ている相手と、別の人が見ている相手はまったく違うかもしれない。
どう見られているか気になったらどうにもなりません。
どう見られていても構わない。
最近はそう思えるようになりました。
もし、相手が「こいつはこんなことをしでかす」と思うのならば、「そんなことしない!」といくら反論しても無駄です。
それがもとで刑に服さなければならないとなったら別ですけど。
そう見られていた自分の人徳のなさだと反省するのみでしょう。
そして、そう見られたくないのならば、極力、そう思われる行動を慎めばいいだけです。
「あいつ、道でかぁーーーーーっぺっ!って唾吐くんだぜ」
なんて思われてしまったら、道ではクシャミも極力しないようにする努力をしましょう。
人間、自分自身ですら自分が解らないのに、他人まで解るわけないんです。
だけど印象はついてまわる。
そんなもんは気にしないって人もいるけど、お互いが誤解したままでいるよりも、少しでも良い印象に変えられるように努力することはできるでしょう。
やってないことであっても、もし注意されたら不徳のいたすところだと素直に反省しましょう。
やったことで、注意されたら「よくなってもらいたいから言ってくれてるんだ」と素直に感謝しましょう。
印象なんていう曖昧なものに左右されるほど、人間っていうもの自体があやふやなもんなんですから。

7月17日
夏風邪をひいてしまった。こういう時にはプリンがイチバンだとか。
子供の頃に風邪をひくとプリン、ヨーグルト、アイスを食べさせてもらえた。
だけど、台湾では絶対にいかんと言われる。とにかく白湯を飲めと言われる。
あぁ、食文化の違いというか、文化の違いというか...。
「台湾人と結婚してここに住んでいる人は好きで住んでるんだから構わないんでしょ」
みたいなことを言う人もいます。
確かにここに住んでいて別にたいした不満はありません。
どこに住んでいたって気持の持ちようです。
だけど、先日の日曜日、台湾人と結婚している日本女性3人+日本から来た日本女性1人で大手日系デパートの食料品売り場に足をのばすと...。
「うそ!チーズよ!チーズ!」
「甘くないマヨネーズがある!」
「あんなでっかいフランスパンがある!」
狂ったように喜ぶ3人を見て日本から来た彼女は唖然ととして笑うしかなかったみたい。
日本製品を見て我を忘れて喜ぶ私達でも、普段は別になくても大丈夫なんです。
ここは台湾なんだから日本と同じに行くわけない。
砂糖の入っていないヨーグルトはいっくら探しても見つかりませんでした。
そして最終的には自分で作るという手段に出ました。
乳酸菌を日本で購入してくるのです。
砂糖の入っていない缶のお茶はかなりの間ありませんでした。
美味しいとか何とかというのではなく、無糖という言葉に引かれて道地というとこの烏龍茶を飲んでました。
「これは低カロリー紅茶よ。日本で今、大流行」
なんてCMを見ると
「なにが大流行じゃ!んなもん、10年以上も前から常識じゃ!」
と叫んでしまいます。
日本のものがないからといって、「なにもないんですね」と言い切れる日本人に出会うと悲しい気持になります。
日本に行った台湾人が言います。
「日本には台湾のものが何もないですね。でもしょうがない、日本なんですから」
日本留学を描いた台湾の漫画では台湾から仕送ってもらった食料が異常な高値で取り引きされている場面を面白おかしく描いていました。
みんな、自分の口に合ったものを食べたいでしょう。
だけど国外にいるからしょうがないと割り切っているのです。
それをどうして日本のものがないとまるで駄目みたいに言うのでしょうか。
そんなに日本文化はどこの国に行っても尊重されなければいけないものですか?
確かに台湾にいる理由は同じ日本人であっても千差万別でしょう。
だけど、「外国に住んでいる」という点では同じです。
外国に住むということは革靴を履いたままでベッドに入って休んでいるようなもんです。
つまり、常に身体のどこかが緊張しているということ。
まったく自分の自由にはならないということ。
日本のものが探しづらいのは事実です。
だからこそ、先週の日曜日に私達3人は人目もはばからずに歓喜の声を挙げたのです。
倍の値段がしても「うぅ...」っと言って手を出してしまうのです。
家計をちょっと切りつめてでも買ってしまうのです。
だけど、なければないで普通に暮しています。
砂糖入りのヨーグルトでも食べています。嫌なら作るまでです。
「ヨーグルトに砂糖が入っているんですね」
と日本人に言われて、そう言えば来たばっかの頃はそれが気になってしょうがなかったなぁと思い出しました。
今じゃ日本に帰った時に食いだめして、後は乳酸菌を購入して戻ってくるというパターンが身についてそんなこと気にもなっていませんでした。
でも、思い出したのは間違っても台湾人の友達や、台湾人を配偶者に持つ人にそういったことを私は言わなかったなということです。
そんなこと言っても状況は変わらないし、かえって言われた相手が嫌な気持になるだけなのですから。
「ヨーグルトがなくても豆花がある!」
発想の転換をすればいいのです。
日本に帰ると最後の方には豆花や焼仙草が無性に恋しくなります。
私もかなり味覚が台湾に取り込まれてきているなとそんな時に感じます。
台湾だけじゃなく、外国に行ったら外国に日本のものがないと嘆くよりも何か代替物が転がっていないかと探せばいいのです。
ココナッツゼリーをゴマ豆腐と間違えて醤油をかけて食べそうになったおじさんもいました。
豆腐をチーズと間違えて買ったフランス人もいました。
最初はこうした間違いから未知の食べ物とのつきあいが始まります。
それを受け入れるか受け入れないかは自分次第でしょう。
外国で日本の生活を100%続けるのはほぼ無理なんだから、100%続けようとするのではなく、アレンジして自分流に暮していこうと考えてほしいなと思うのです。
ヨーグルトが甘いくらいで人間死にはしない!
烏龍茶に砂糖が入っていても人間死にはしない!
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