MinMin's Diary


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Last week's diary


11月2日
いよいよ11月です。
別に最近になってから、と言う訳ではないのですが、「歴史」に興味を抱いています。
よく「歴史に翻弄された」だの「時代の流れの中で流転の運命をたどった」といった形容詞が使われます。
これを見ると「そう言ってる貴方も、もしかすると後々には、そう言われるような運命をたどるかもしれないわよ」と思うのです。
歴史は繰り返すって言います。
人間は歴史から学ばないのだろうか、と思うこともあります。
いつも思うのは、人間以上の何かの力がかかり、その為に、人間はどうしょうもない運命に対峙しなければいけない時があるということです。
「台湾と中国の緊張した関係」から「台湾に住んでいて怖くない?」と言われることもあります。
でも、それを言うなら、どこに住んでいても「怖くない」はずはないと思うのです。
私が日本に帰っていた時に北朝鮮がミサイルを飛ばし、見事に日本の上空を飛び越えていきました。
これって「怖くない」ですか?
まさか来るわけないと思っていたものが、突然にやってくることってあるんです。
当時のアメリカ政府は知っていたと、今では言われていますが、多くのアメリカ人が、まさか日本がアメリカの国土まで飛行機でやってくるとは思っていなかったでしょう。
でも実際に真珠湾攻撃は起こった。
別に戦争のことだけを言っているんじゃありません。
インドネシア華僑が受けた攻撃は、彼等を「華人」だからとか、「キリスト教」だからといった見方で見たら説明できず、逆に別の差別や、誤った主張や主義を増やすだけでしょう。
これは、それぞれの社会に居るマイノリティが、国難に際して、往々にしてスケープゴートにされる典型例だと思います。
関東大震災の折には、同じようにして、多くの在日韓国人が犠牲になりました。
何か違うところを持つ人を攻撃して、団結力を強める。
これはどこでも使う手口です。
いつ、どこで、それが起こるか。
それに日本人が気付いていないだけでしょう。
だからこそ、外国で起こるこうした問題を、「邦人の安全」のみを主体にして報道するのではないでしょうか。
思うに、私達はそれぞれの船に乗っています。
ちょうど「タイタニック」のように。
1等客室の客もいれば、3等客室の客もいる。
安全に航海されている時には、それなりにみんな楽しくしている。
けれど、ひとたび、有事となれば状態は一転する。
必死で逃げようとする者もいれば、自ら留まることを選ぶ者もいる。
3等客室の客を船底から出さないようにするということも起こる。
この時、国籍も年齢も性別も関係無く、人々には同じように災難は降りかかってくる。
でも、その時に取る反応は様々。
また、取れる措置も状況によって違います。
「タイタニック」の映画では、私は主人公の二人よりも、同じ船に乗る様々な人に目が行きました。
船に残り、手を取りながら祈り続ける老夫婦。
子供達をベッドに寝かせ、話を聞かせている若い母親。
船長室に閉じこもる船長。
留まることを決意した設計士。
逃げられるのに、敢えて残る決意をして、誰も聞いていない音楽を演奏し続けた音楽家達。
神の言葉を説き続ける牧師。
金の力で救命ボートに乗り込もうとする若い男。
救命ボートが降りる瞬間に飛び乗った男。
「パパも後から行くよ」と言って幼い娘達にキスする父親。
沈みゆく船の上で、絶望的な瞳をして、下へと滑り落ちていく若い娘。
北海の海に浮かびながら、なおも生きようとする人達。
私は、救命ボートに飛び乗った男達を責めることはできません。
人間のとっさの判断は、それまでの生き方を覆すことをします。
そして、今後の人生を決めてしまうこともあります。
彼らは生き残りながらも、どこかに傷みを抱いていくことになったでしょう。
思想は長い年月をかけて、その人の身体の中に構築していくものです。
しかし、瞬時の判断は思想とは無関係でしょう。
私が昔、読んだ本にアメリカの日系2世部隊を扱ったものがあります。
「生きたい」「母のもとに生きて帰りたい」と念じ、部隊の仲間から卑怯者呼ばわりされても、生きたいと思っていた青年の話がありました。
彼は、死んだふりをしていたドイツ兵が転がした手榴弾に気付き、とっさの判断でそれを自分の身体で防ぎます。
仲間は救われましたが、彼は犠牲になりました。
「母さんを」という言葉を残して。
彼は「生きて母さんのもとに帰る」という信念を抱き続けていました。
でも、とっさの判断で手榴弾の爆発による被害を食い止めようとし、自らを犠牲にしたのです。
おそらく、その逆もあるでしょう。
それぞれの人生です。
どう生きるかを決めるのは自分自身であり、その生き方に責任を持つのも自分自身でしょう。

私が今住む台湾という土地は、船に喩えれば「台湾丸」と言えます。
私が「日本丸」から乗り移ってきた先です。
どう進むかは乗っている誰も知らない。
それは「日本丸」にしても同じこと。
歴史という流れを進む船の行方は誰も知らない。
ユーゴスラビアがあんな風になるなんて、10年前は誰も予想しなかった。
国際情勢を眺めていて、いつも思うのです。
10年前と比べてどう変わっただろうかって。
変わってないこともある。
変わってしまったこともある。
でも、どれも10年前には予想していなかったこと。
だから、どこの土地にしても予測不可能ってことです。
ただ、思うのは、そこに乗っている人が船の進路を決め、それが結果的にどうあろうと、しょうがないと思うのです。
それは歴史の流れの中で抗いがたいことです。
「台湾丸」だけじゃなく、「日本丸」ひいては「地球号」の進路だって誰も予測できない。
もしかしたら明日には宇宙から突然、UFOがやってくるかもしれません。
だからこそ、将来のことを色々と憶測して何かをするよりも、今、目の前にあることをした方が有意義だし、大事なことだと思うのです。
運命論者的かもしれないけれど、自分が与えられた範囲で精一杯やるように努力し、目の前にある問題から取り組んでいくこと。
変にイデオロギーや政策に振り回されることなく、やるべきことをやる。
それが大事なんじゃないでしょうか。
イデオロギーも政策も100年経てばズレてきます。
文明の発展と共に、科学も農業も工業も変わってきます。
そうすればイデオロギーも政策も変わってくるでしょう。
政治形態だって変わります。
足利幕府のやり方で今の日本は治められないでしょう。
だけど、一人一人の人間が幸せになる権利はいつの時代にでもあるはずです。
かつて、「個」という存在が認められなかった時代にも、人々は「個」として精一杯に生きてきました。
その生き方は、今の私達とは違うように映るかもしれません。
でも、心の奥底では「個」としての己があったと思います。
名もない人達が握りしめた道具などを目にした時、彼等が温もりをもって、この世に存在したことを感じます。
歴史は教科書の上だけではなく、街のそこかしこに息づいている。
そのことに気がつかず、大きな歴史的事業にばかり意義を見出している人達が多いこと。
自分達も、大きな歴史の流れによって流されている、船の上にいるのだという自覚を持っている人が一人でも多くいることを願います。
意図的に事物を変えようとすると、歴史によってしっぺ返しを受けるかもしれません。
そんなことを思いながら、私が通っていた学校の有名な門が取り壊される話を思い出していました。
歌まである有名な門です。
老朽化してた訳でもない。
別にそこにあるから、キャンパスの発展の邪魔になっていた訳でもない。
ここから昭和18年、多くの先輩達が学徒兵として戦場へと旅立っていきました。
多くの教職員達は、彼等の背中をその門のところからずっと見送っていたそうです。
この門がなくなってしまう。
21世紀を前に古いものを無くしてしまおうということなのでしょうか。
必然で無くなっていくならば、まだ納得いきますが、ただ壊されるのでは哀しすぎます。
でもしょうがない。
私の心の中で、この門は生き続けるしかないのでしょう。
誰がこの門を壊すことを決めても、私の心の中にまでは入ってこれない。
こんな心境になると、またしてもかつての人達の中に、似たような心境になったであろう人達がいたことを思い出してしまいます。
人の心はどんなことをしても、他の人が支配できない。

こんな風に、考えていることが、いちいち「歴史」とつながってしまうのです。
歴史という大きな流れの中にある、ちっぽけな人間の生き方。
様々で面白いなと思います。

11月7日
本日は玉蘭荘の音楽会でした。
元気一杯のじじ様、ばば様が声張り上げて、表現力一杯に歌を歌いました。
おばあちゃん達はみんなおシャレしてきてて、微笑ましかったです。
私もああいう風に年取りたい。
そんなこと思って家に帰り、日本のニュースを見ると中国残留孤児について報道していました。
「残留」って響き、私はあまり好きではないのです。
中国残留孤児に関しては「残留」かもしれません。
彼らに自分の意志で決定する能力はまだなかったはずです。
この言い方が定着してから、日本のマスコミは「残留」という言葉をよく使います。
北朝鮮の日本人妻についても「残留日本人妻」と呼び、あまつさえ、台湾に住む玉蘭荘に通うおばあちゃん達をも「ここにも居た!残留日本人妻」なんて書いた人もいる。
私はね、北朝鮮に居る人のことも「残留日本人妻」と呼ぶことはできないと思います。
彼女達は自分の意志で北朝鮮に渡りました。
残留したのではなく、新しい国家の建設を夢見た夫と共に新しい人生を拓きに渡ったのです。
「残留」ということは他の人達が引き揚げるのに、それが出来なかったということが前提にあります。
しかし、北朝鮮に渡った日本人妻の場合はそういうことはありませんでした。
台湾にしても同じです。
確かに日本人が台湾から引き揚げていきました。
しかし、これらの日本人の妻達は夫と共に新しい人生を歩むために台湾を選んだのです。
人生の半分以上を台湾で過ごした彼女達を「残留日本人妻」というのは見当違いでしょう。
音楽会が終わった後のおじいちゃん、おばあちゃん達の顔は成功させた喜びであふれていました。
「ありがとう」と言いながら手を差し出してくるおばあちゃん、おじいちゃん。
平均年齢70歳弱であっても、自分達自身で何かをすることができるという自信に満ち溢れていました。
この人達を必要以上に惨めなものに見せようとする表現を私は嫌います。
私もいつかこんな風になりたいと思う人達のことを、どうか心無い表現で語らないでほしいと思います。

あ、そうそう。
某日本語ミニコミ誌@台湾に変なもの発見。
台湾に観光ビザで入り、居留証もないのに「在台ライター」と称している人。
工作証もないのに大手企業で働いていると語っている人。
事情を知っている人は「あ、この人達はね」と解るけど、知らない第三者が見たら、台湾での就職が案外簡単みたいに思われるので困ります。
自分の肩書きをかっこよく見せたくて「海外就職」に憧れる人達が多いですね。
困ったもんです。
日本できちんと就職できない人が、どうして外国だと就職できるって思うのでしょう。
中国語が出来るだけで、台湾で就職できると思われては困ります。
「何か」が出来てプラス中国語。それに加えて運の良さ。
ま、運も実力のうちと言いますからね。
先日、お会いした某ミニコミ誌を発行されている女性達は本当に実力者揃い。
会社まで設立してしまったほど。
コネを頼ることなく、自分の力で、きちんとした会社を建てている人がいるだけに、「ひとかど願望」でひょこひょこ登場するような人達の方にスポットライトが当たるのを困ったもんだなぁと思います。
ま、もっとも、きちんと会社を建てるような人って、あんまりああいう雑誌に載りたがらないんですよね。
だから、台湾で手に入れたミニコミ誌などに載っている人物の話を読んでも、話半分で理解していた方がいいかもしれません。
在台ライターを名乗る方に関しては、JAROに報告したいなぁと真剣に思ってしまいました。

私の大好きな曲にジョンレノンの「イマジン」という曲があります。
彼のこの歌に込められた意味に感動したのですが、その歌を聴いたのが、彼が暴力の前に生命を奪われた為の追悼放送ででした。
「国境も宗教もなければ、戦う必要はなくなる」
ここで言う「宗教」とは「神を信じること」ではなく、ともするとイデオロギーに変質する「宗教」のことなのでしょう。
そんなことを考えました。



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