新学期もようやく軌道に乗った、、、と言いたいところだが、どうもそうではない。最終学期は修論に集中、そしてコースワークはやや軽めにして、カリキュラム以外の活動を楽しむつもりなのだが、どうも何をするにも気が乗らない。うーむ、、もう少し焦ったほうが良さそうだ。
履修しているのは、「都市計画および環境法規」と「土地利用計画」の2コースのみなので楽勝、と思ったらとんでもなかった!法規の授業は最悪。アメリカ人でさえ判例を読むのはつらいのに、自分にとってそれを英語で読むのは苦痛この上なく現実逃避したいほど。また、アメリカ人の生徒は、あーでもない、こーでもない、と理屈をこねるのが大好きなのだが、訴訟社会に育っていない自分はこれにも違和感を感じる。将来のためと思って、頑張って付いて行くべし。それに比べて、土地利用計画の授業は最高に面白い。これまでに経験および学習した内容の総まとめといった感じで、都市計画の真髄ここにあり、と歓喜。一方、修論は難航中。少しずつやるしかない。
先々週に2泊3日でアーバンデザインのシャレーに参加してきた。(注:シャレーとは、缶詰状態になり短期間でコンセプトをまとめるワークショップのこと。日本語には無い概念?)プロジェクトは、モントレーと「怒りの葡萄」のサリナスの間にある、閉鎖された軍事基地の跡地利用。4つのグループが土地および施設の利用権をめぐって衝突し、郡の計画は暗礁に乗り上げて膠着状態。そのため、バークリーの選抜生徒11名+教授3名+デザイナー3名のアーバンデザインチームが、現状打開の為の計画案を作成するべく招かれたという次第。衝突しているのは、アメリカン・インディアン、芸術家団体、州警察訓練学校、そして馬術クラブという、全くばらばらなグループ達。これでは郡政府の手に負えないはずだ。敷地はかつて軍事的な要所だったそうで、特に太平洋戦争当時は日本攻撃の基地になったそう。戦後50年、この土地に日本人の手で図面が書かれるとは何の因果か。周囲はうっそうとした木々に囲まれ、ふくろうが飛ぶこの敷地は静寂と野性の聖域といった感じ。
シャレーには各グループのメンバーおよび一般市民が50人ほど参加した。初日は、全員による敷地見学とブレインストーミングが行われ、都市計画プロセスにおける市民参加を目のあたりにして感動。人々は想像以上に「まとも」で、議論の仕方を心得ている。その後の1日半は、デザインチームによる集中作業およびプレゼンテーション。我々が提案した3つの代替案は、グループ間の話し合いを再開させたようで、よかったよかった。プランナー冥利につきる。やっぱり人々が好意的に反応してくれるとやりがいもあるというもの。
こうして2泊3日はあっという間に過ぎ、デザインチームの仲間達とは本当に仲良くなった。どいつもこいつも一癖あるけど、その賢さと腕前には一目置いてしまう。でも、今回のシャレーで一番印象深いのは、アメリカン・インディアン達の生活そして思想に直に触れられたこと。移住民達の傲慢さを、歴史で知っていた以上に痛感。思わず彼等に肩入れしたくなる。プランナーに中立の立場はありえない。
もう一つ。先週、面白かったのは、約40人の日本人のバークリー見学ツアーを通訳&説明係としてお手伝いしたこと。相手は日本企業の人事採用者達で、アメリカの学生を採用するには現場を知らねばならない、という趣旨。ツアーコーディネーターは、日本の広告代理店を退職後サンフランシスコ近郊でお仕事中のHさん。もう一人、Jというバークリー卒業生で日本への留学経験者も一緒。ちなみに、彼はジュニア当時はサンプラスに2勝1敗だったそうだが、今の外見からはまさかスポーツマンには見えない。
今回の件は、Hさんがバークリーの日本人学生を探してネットサーフしていて、私のホームページに出くわしたところから始まったのだが、顔を知らない相手にお仕事を依頼する彼女の積極性にびっくり。アメリカに本拠を移す人の根性は筋金入り。ちなみに、「バーチャルに知り合った人がまともな人で良かった」とツアー後に2人して盛り上がったのだが、やはり日本人(語)同士、E-mailの文面からもお互いの人柄が伝わったのは確か。見知らぬアメリカ人からコンタクトされても、何に巻き込まれるか分からないから無視するのが普通なのと比べると、ものすごい違い。
ツアー自体は、日本の企業社会とアメリカ生活の「未知との遭遇」といった感じで、自分の中に両方との接点があるのを発見。初体験の通訳はすごく疲れたけど、日米の橋渡し役としてのやりがいは十二分に味わえた。バークリーの素晴しさを、もっと多くの人に伝えたい!