97年5月7日

終わった!終わった!終わった!本日、ようやく修士論文が完成&提出。朝から晩まで毎日よく頑張ったもんだ、と自分のことを褒めてやりたい。教授陣、市役所のプランナーなど大勢のオフィスを走り回り、Macの前で目を真っ赤に腫らした日々が懐かしい。親友Sには英語チェックと合わせて、全文を通読してもらい、数多くの鋭い指摘をもらう。尊敬。しかし、あんなに真っ赤に添削されて返されると、2年間経っても不完全な自分の英語文法力にちょっと挫折感。中学校、高校であれだけ"the"と"a"の違いとか勉強したのに。ともあれ、アドバイザーのR、P各氏には「wonderful!」と言われ、J氏には「君は大学で学べないことを随分学んだね」という世辞をもらう。今は、製本された170ページを前に、満足感で一杯。後日、読み直したら、いろいろと気に入らない点が出てきそうだが、それはその時考えよう。

そんなどたばたした生活の中でも、4月17日の槇文彦氏のセミナーは欠かさず出席。いつもの教室に世界の建築家を取り囲んで、生徒25人ほどが質問を浴びせるが、知性溢れる紳士の槇氏は堂々たる受け答え。人徳が漂う。彼のコメントの中で、「アメリカ人は他国の人を潜在的アメリカ人だと考えるから、人に自分の主張を押し付けがち」という部分には、思わず同感。こんな大物ならではの台詞、私には怖くてクラスでは言えない。夕方のプレゼンテーションでも、日本の建築文化の奥深さを説得力を持ってお話ししてくださり、今日は、日本人であることに誇りを感じた一日であった。

4月20日には、Hさんが誘ってくれた「日本語をしゃべる人々のブランチ:JAPLISH」に顔を出した。総勢約20名の内、日本男児は自分一人!約5名の日本女性は、皆さんお仕事または勉強中。特に、結婚後も、自分の世界をしっかり切り開いているAさんとJさんには感心。また、居合わせたアメリカ人達は皆日本語が上手!発音は勿論、敬語の使い方から挨拶のお辞儀まで、すっかり日本人。聞けば、日本で働いた経験がある人ばかり。コンピュータエンジニアのJは京都に5年以上住み、リスクマネジメント・コンサルタントのRは滋賀で働き、Sは鹿児島の高校で英語の先生をした後に京都で2年過ごしている。弁護士Aは東京びいき。その他の皆も、日本が大好きで嬉しい。美味しいフレンチトーストとシャンパンを肴に、月並な「日米文化比較」から「太平洋を越えたローマ字E-mail恋愛」まで、話題は尽きない。大学では味わえない社交が出来て幸せ。でも、もっと早く知り合いたかったのに!最後に、改めてHさんの社交性に敬服。あなたが渡米してから1年経っていないとは信じられません。

卒業が見えてきて、クラスメートも皆遊び熱心になってきた。4月27日は、もの静かなインドネシア人Cの幹事で、サンフランシスコのインドネシア・レストランへ。中国人夫婦WとM、韓国系アメリカ人のA、韓国人J、そして賑やかなインドネシア人兄弟AとNの総勢8名は、思いきりASIAN!カラオケが好きとか、日本のポップス吹替版は最高だ(カシオペアを知っていた!)とか、やはり文化的に似たもの同士なのだろうか。アメリカ文化の悪口を言うと異常に盛り上がる。料理はタイのものに似ていて、日本人の自分の口に合って美味しい。でも、お願いだからドリアンのジュースをぐいぐい飲むのは勘弁して欲しい。

卒業後の進路もようやく固まり、すごくほっとする。ポートランドのメトロという地域政府の都市計画に1年間従事することになり、念願成就。メトロの皆さん、大学の教授達、そして日本の敬愛するおじ様達、いろいろとご支援ありがとうございました。もう、心は既にポートランド飛んでいる感じ。希望7割、不安1割、そしてバークレーを離れる寂しさ2割といった感じ。
コンベンションで出会ったオレゴン州立大学の学生と、インターネットを通じて知り合ったポートランドの日本人駐在員の方と、メールの交換をしながら、今月に入り新居を探しはじめる。今の家も、後輩が引き継いでくれることになり、解約手続きを始める。あー、本当にあと2週間程でこの街を離れるなんて!素晴しい天気と、美味しい食事、そしてフレンドリーの友人達と離れるのがすごく寂しくなってきた。JAPLISHで親しくなったSと、サンフランシスコの湾を見ながらブランチを食べていて、本当にその感が強くなってきた。残りの時間、精一杯楽しもう!

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