(その2)
リマへ戻る。クスコの空港ではセキュリティチェックが無かった。おいおい、大丈夫か?テロ多発国家だろ。ともあれ、低地のリマに着くと頭痛は解消。やはり高山病だったか?しかし、お腹は相変わらず悪い。
リマの第一印象は冴えない。タクシーはメーターがなく運賃は交渉次第。いきなりふっかけられて、バカヤローと思ってしまう。市内に入ると汚い空気におんぼろ車。交通ルールは存在せず皆クラクション鳴らし捲り。道の両側にはスラム。うーむ、これはタフな街だ、と思っているとホテルのある新市街ミラフローレスに到着。こちらはきれいな典型的南米の大都市。妙な生活感がある。 羽を延ばしにランチは海に突き出した高級シーフードレストランへ。店は豪華、お洒落した紳士淑女がカクテルを傾ける、そして美味しい食事。ああ、途上国の金持ちはこういうところにいるんだ。スラムの対極を始めに見られてよかった。ああ、リゾットが美味しい…そして、トイレ直行という愚行。 しかし、巨大な街だ。詳しい地図を持たずに徒歩で博物館を目指したが、結局みつからず。尋ねた人には嘘を教えられるし、全く先が思いやられる。
リマ2日目は旧市街セントロへ。とにかく治安が悪いと聞いていたが、それほどではなさそう。でも、あちこちにピストルを持った警官がいるのは気持ちの良いものではない。こうでもせねば治安は保てないのか。 フジモリ大統領官邸、カテドラル、ペルー版CIA、市役所、サンフランシスコ教会など、どの建物も植民地時代のそれはそれは立派なもの。当時の栄華を偲ばせる。その後、目抜き通りを抜けて名門ボリバール・ホテルへ。何と1階にはケンタッキーフライドチキン!驚きながらパンフレットをもらうと5つ星が塗りつぶされている。そりゃ、格も下がる。 ランチは魚の酢漬けセビチェ。旨い!お腹も少し落ち着いたし、パクついていると…ああ、トイレ直行。どうせお腹が壊れるならアメリカで壊れてほしい。 午後には黄金美術館。プレインカの遺産がすごい。しかし、この収集家は節操の無い成金親父だったようで、日本の鎧なんかも置いてある。さては何でも集めたな。こういう奴が盗掘を助けるんだな、考古学の敵め。 そう言えば今日は大晦日。爆竹が鳴り花火が上がっているが、全然「年越し」という感じはしない。テレビで黒澤明特集をやっていて、「雨月物語」と「乱」を続けて観る。こういう映画はペルー人に受けそう。貧困、野心、人生のむなしさ、道徳臭さ、どれもペルーの貧困層の心を捉えるに違いない。勿論、純粋に映画としても面白いのだが。
元日、街中がお休みなので、ナスカへの日帰りツアー。小型機、セスナとも落ちないことを祈る。生まれて初めて見た砂漠の風景は圧巻。その中にたくましく集落があるのは驚き。やがて、セスナは地上絵の上へ。宇宙飛行士、ハチドリ、猿、手、木、ペリカン。写真ほどはっきりは見えないが、やはりこの目で見た感動はこの上ない。もっとゆっくりしていたかった。 しかし、ナスカ文化は興味深い。地上絵のロマンは勿論だが、陶器や織物に見られる可愛い模様なども、不思議な魅力を放っている。ペルーではインカ文明くらいしか知らなかったが、プレインカも勉強すると面白そうだ。
最終日、リマ近郊のパチャカマック遺跡へ。石造ばかり見てきたので日干しレンガが新鮮。途中の高速道路沿いのスラムには悲しい気分にさせられる。これだけの歴史と伝統のある街、そして高級レストランへ来る金持ちがいる街なのに。
途上国の旅行は苦労が多いが、先進国にはない感動がある。「ああ、楽しかった」とマイアミ行きの便に乗ると、隣席のペルー人親父が私に向かってこう言った。「やあ、お前もリマで働いてるのかい?」「…」
アメリカに着くと全てが整って見える。現代文明のありがたみ。しかし、その後飛行機が遅れて、デンバー空港のロビーで夜明かしをすることになるとは、全く最後まで苦労が多い。 それでも、中南米は素晴しい。次はアステカだ。
追伸:お腹はようやく治ってきました。