98年2月27日

寒さも緩み桜(桃?)の花も咲き始め、春が近づきつつあるのがわかる。私の生活も上昇気流に乗りそうな嬉しい予感。ふと息抜きで出かけたオレゴンシンフォニー。イツァーク・パールマンのバイオリンはピアノと組んで、オレゴン的なアットホームな雰囲気。叙情豊かな音色に身障者の希望を感じる。アンコールでガーシュインの早弾きが出たのはアメリカならではのご愛敬か。

2月は運動系。草サッカーのリーグ戦が再開され、冷たい雨の中で90分走り回る。社会人になって全身泥まみれになるとは思わなかったが、童心に帰ってすごく楽しかったりする。ボールは止るし、足は滑るし、もう大変。こういう条件でもプレーできるプロはやっぱりすごい! そして、本職のテニス。USTA(全米テニス協会)のクラブ対抗の試合に、テニスクラブの人々でチームを作って参加。レーティングというレベル分けがあるので誰でも楽しめる仕組みだが、アメリカでは素人が楽しめるスポーツ大会が本当によく整備されている。そして、いざ緒戦。久しぶりの心地よい緊張感を楽しむも4-6、4-6の惜敗。うーん、相棒のNさん、今度は緊張せずに楽しんでね。頑張りましょう! そして、アメリカに来てから初めてのスキーをしにカリフォルニアまで飛んで行く。バークレーの懐かしい人々に再会。そして、パウダースノーに感動!そして、快晴の日のタホ湖の景色は最高!そして、懐かしいカリフォルニア人の人なつこさ!「あー・ゆー・すとれっちんぐ?」と話しかけてくる5歳くらいの女の子に、両親が「このお兄ちゃんを見習わなきゃ」と応えて皆で仲良く体操。コブ斜面に行くと「怪我したみたい、救助を呼んで!」と美人のお姉さんに頼まれる。本当なら自分が助けたいところだが…技術伴わず。

民間事務所での仕事がいよいよ本格的に開始。初日からいきなり様々なプロジェクトや雑事に追われて大忙し。しばらくはボスと自分の2人で全てこなさねばならなかったので大変だったが、もう一人相棒の女性が入社してくれて大助かり。苦労を共にする人がいるのは嬉しい。感心するのはボスがやる気を出させるのが上手なこと。「太一、あの提案書、僕は感動したよ!」とまで褒めちぎり、翌日には「太一、言ってなかったと思うけど、あの短時間であの提案書を作ったの、僕は感動したよ!」と念押し。褒め殺しか?と思いつつ、やはり素直に嬉しいものである。この人と頑張ろうと自然に思うようになる。 でも、一番嬉しいのは都心の真ん中で働くこと。スーツの人々が濶歩し、車のクラクションが鳴り、美味しいカフェやレストランが一杯!やはり、こういう空気が好きだと再確認。 こうなると、スローペースで停滞ぎみだった役所での仕事も効率良くこなすようになる。受動態から能動態へ、提案の連発。うーむ、反応は鈍い。深い井戸に石を投げた感じ…。そんな折に新しい女性局長着任。とりあえず、気合いがみなぎっていて希望が見える。今後の展開は如何に?

CBSのオリンピックの中継は最悪。開会式では各国入場は途中を飛ばすし、歓喜の詩も途中を飛ばすし、試合の中継はほぼ1日遅れで結果はわかった後だし、中継中はコマーシャルだらけだし、閉会式は始まるまでに1時間以上もコマーシャルとインタビュー。文句を言ったら切りがない。アメリカの商業主義を見せつけられて悲しくなる。どうして、そうなるんだ? ちなみに肝心の試合の方は、日本勢大活躍で至上の喜び。清水格好良すぎだし、原田のお兄ちゃんも最高。アメリカのテレビも「やったぜ、ハッピー・ハラダ!」を連発。しかし、どのメダリストも喜びの表現にお国柄が出ていて面白い。寡黙なロシア人、浪速節の原田、そして「イェー」と叫び続けるアメリカ人。 同僚達は、ポートランド在住のピカボ・ストリートの金メダルでクライマックス、その後男子ホッケーの敗戦でお通夜状態に。元気なのは自分とオランダ系カナダ人のBだけである。 さあ、オリンピックも終わったし、いよいよフランスを見据えてサッカーの応援だ。

バークレーの同級生達と、シーサイド、サクラメント、ポートランドでそれぞれ再会。皆、進路を模索しつつ頑張っているところ。苦労を共にした友人達がいるのは心強い。思いがけない旧友からもメールが来たり、多くの見知らぬ人ともメールを交換しながら仲良くなってきた。持つべきものは友である。 時を同じくして、日本との連絡が増えてきた。大型出張について、夏以降の進路について、ポートランドへの視察について、などなど。深夜までの連絡は体にはきついが、心地よい疲労を覚えつつ眠りが深いのが嬉しい。

来月は、もっと楽しいことがありますように! (欲張り?)


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