メトロ勤務を終えてコンサル事務所に職場を一本化した件では、あまりに突然の出来事だったので、久しぶりに動揺してしまった。しかし、親友に泣きの電話を入れて叱咤激励されると、現金なものですぐに立ち直り前向きに。上司とも円満に話し、その後同僚達が歓送ランチを開いてくれる。アメリカでは転職は日常茶飯事。湿っぽくならず、キャリアアップのチャンスと励ましの言葉ばかり。洒落の利いた手作りのプレゼントまでもらい感激。ランチ後も、一緒に仕事をした人々は個別に話しに来てくれたりする。今後も友達として続く人が何人かいるのは嬉しい。そして、事務所のボスからは、「うちを選んでくれたことには一生感謝しきれない」というお言葉。あなたは人心掌握がうますぎる!
しかし、驚いたことに、翌週に1人、翌々週にまた1人、メトロの同僚が辞めることを発表。9人しかいなかったチームから月に3人いなくなるのは、ちょっと今後のメトロの仕事に不安が残る。日本であれば慰留されそうなところであるが、アメリカでは個人の意思再優先。そして、別に数人辞めたところで、何事もなかったように世の中は回り続けるものである。
生活に変化があると何故だか社交的になるらしい。出版の仕事をしているMさん、ランドスケープデザインをしているTさん、旅行コンサルタントのMさん、建築学科の大学生のKさんなど、積極的に新しい人々と出会い刺激を受ける。また、テニスチームのメンバーとも随分と仲良くなった。先々週の試合で足を捻挫して全く動けないのに、気合いだけでファイナルセットの泥試合に勝ってチームを3-2の勝利に導くと、それまではあまり心を開かなかった40代のおやじまで、「おー、太一、感動したよ! まあ、呑もう!」とビールを奢ってくれて歓談。久しぶりの大応援団の前でのプレーは心地よい。スポーツの感動に文化や年齢の壁は無いのだ。しかし、アメリカまで来て「おら、来いよ〜!」と叫んでしまった自分は少し恥ずかしい。せめて「カモン」と言いたいところである。
気がつくとポートランドもすっかり春。気候が良くなったのに合わせるかのように、日本からのまちづくり視察団の訪問が目立ち始めた。長野や石川などからの人々とのミーティングに同席したり、夕食をともにしていると、日本でもまちづくりのやる気に溢れる人々がいることを感じ勇気づけられる。興味深いのは、同じ街を観察していても、その人の出身地によって見方が大きく異なること。大都市の人はポートランドをこじんまりしていると言い、小さい町の人は大都会と表現する。こういう異なった見方の人が集まると、面白い発想が生まれそうに感じる。
視察といえば、私自身も超大規模なものを行なうことになった。5、6月(フランスワールドカップ直前。惜しい!)に約1ヵ月をかけてヨーロッパ各地の街を一人でまわり、自治体や民間のプランナーへのヒアリングを行なうというもので、現在はその準備に大忙し。研究テーマ設定、訪問先の選定、予習、アポイント確認、航空券からホテルの手配まで、全て自分でやらねばならないのは大変。バークレーの友人、現地で働いている日本時代からの友人、インターネットを通じて知り合った現地在住の方々など、こういう時には友人の存在が本当にありがたい。多謝。しかし、英語でどこまで押し切れるか一抹の不安。特に、フランスとスウェーデンはどうなることやら…。日本経済が不況に喘ぐ中で、これほどの機会を得られたことには本当に感謝しているし、貧欲にいろいろ学んでこようと意気込んでます。
先週、視察の準備を兼ねてバークレーに行ってきた。たくましく頑張る日本人にも大勢会えたし、また、昔よく通った戸外のビール屋で大勢の大学時代の友人達と騒いでいると本当に幸せだった。インド人のAには、ニューデリーでの結婚式に招かれて光栄。でも、遠いのわかってる? まぶしい日差しと好奇心旺盛な人々、雑多な文化の混在、活気溢れるサンフランシスコのダウンタウン、やはり今の自分のルーツはここにあると再確認。日本に戻る日が来たら、ポートランドから直行ではなくバークレー経由で帰国することに決めた。