シカゴへ到着したのは、ブルズが優勝を決めて街中がマイケル・ジョーダンで盛り上がっていた日。昨日までイタリアでサッカー漬けだったので、まるで別世界に来てしまったよう。アメリカに戻ってきたことを痛感させられた。その晩、8月に東京に戻ることが決まった通知を電子メールで受け取る。こうなることは以前からわかっていたのだが、何もシカゴで聞くとは… ヨーロッパの夢世界は終了である。
さて、ポートランドに戻り1ヵ月ぶりに出勤。いきなり、新しい受付のおばさんが雇われていてびっくり。プロジェクトもかなりの進展を見せており、すっかり浦島太郎である。このタイミングで、あと1ヵ月で日本に戻ることをボスに伝えるのは、ちょっと間が悪いが仕方ない。実際問題として、引っ越しの準備を始めねばならないわけで、今から現場の最前線に立つのは難しそう。でも、何とか今後の仕事分担と、帰国後の個人提携に関する方向性を確認する。このボスには最後までできる限り尽くしたい。
運送会社の手配を開始して、この3年間で「物持ち」になっているのにびっくり。特に書籍が物凄い量。でも、本には執着があるから捨てられない。掘り出し物で見つけたコーヒーテーブルも気に入っているし。うーん、運送会社に無理をお願いして詰め込んで貰おう。並行して不要なものをリストアップ。ガレージセールのお知らせをメール、ホームページ、インターネット掲示板に出し、日本食スーパーにも貼らせてもらう。スーパーのおばさんから真っ先に連絡が入ってきたのにはびっくり。一種の役得である。
こういうどたばたした時期に限ってワールドカップ、ウィンブルドンと娯楽も忙しくなる。時差の関係で、朝7〜9時に試合を見てから出社する日が続く。結構疲れるが、真夜中過ぎに見ている日本の人よりはマシか? 日本対クロアチア戦は、友人Nさんの知り合いのK夫妻宅で応援。朝5時から手に汗握るが無念の敗戦。悲しいけれど、手づくりのシュークリームが美味しかった。 休息後、Mさんと合流してK夫妻とテニス。全員初対面という状況だが、全員テニス好きなので話しは早い。久しぶりのプレーはあまりにも下手くそで、Kさんの奥さんにまで捻られてしまう。要練習。K夫妻は週4回プレーするテニス気違いだから、鍛えて貰おう。
こんな状況であるから、ヨーロッパ視察のレポートがなかなか進まない(←本末転倒?)。とりあえず、600枚を越えるスライドと、各国でもらった膨大な資料を整理する。そうしていると、いろいろな思い出や考えが断片的に沸き上がってくる。とりあえず、思いついたことを書き留めつつ、イントロの見直しを行なう。そして、パリ編から徐々に書き始めるが、これが途方もない作業と判明! この後、他の都市の分もまとめて、比較考察と全体総括をして、さらに日本語訳せねばならないかと思うと、下手をすれば修士論文以上の作業量である。資料を船便で日本に送れば9月までは届かないし、8月下旬には東京での仕事が始まるし、一体いつ書けば良いんだ???? まあ、マイペースで少しずつ地道に進めて、秋までには終わらせよう。
そうこうしていると、離米まで1ヵ月を切った。ある晩、突然バークレーの親友Gから電話。卒業以来である。虫の知らせか? 「ヘイ、太一!どうしてる?」「いやー、いよいよ日本に帰るんだよ。」「え〜〜〜!お前が帰るなんて信じられないぞ。本当か?本当に帰れるのか?」「本当なんだよ(こいつ、本当に信じてないな)。帰国前にバークレーに立ち寄るから会おうよ。」「そう言えば、Pもコスタリカに帰るんじゃないか?よーし、お前とPをまとめて、『人気者外人送別パーティー』だ!そうそう、Aも8月からオランダに行くんだよ。太一、ラケット持って来い。お前とAのペアに、1度も勝てないまま海外逃亡されてたまるか。」ああ、持つべきものは友である。
帰国を告げると、「今、嬉しいか?それとも、悲しいか?」と必ず聞かれるのが面白い。不本意なのではないかと、本気で心配してくれる人も結構いる。Jには「メトロのポジションに空きがあるから応募しろ。残れるぞ。」と言われるし、「アメリカのことが嫌いになったのか?」とまで尋ねた奴までいた。「日本社会へ適応できるの?」「不景気で面白い仕事ないんじゃないの?」と言って不安を煽る奴も少なくない。悪友め(笑)。そういう中で「本当に惜しい人材をなくすわね」とか、「とうとうその日が来てしまったか」という名残を惜しむ言葉は、本当に嬉しくも切ない気分にさせてくれる。 でも、あえて一言。私は帰国に前向きです。そこに自分がやりたいことが待っていると信じています。いろいろ苦労することは覚悟してますが、「東京でまちづくりを行なう」ということが、自分の人生の柱になる予感がしてます。お金とか仕事とか名誉とか、そういう次元の問題ではないのです(←それも勿論ありますが…)。当面信じた可能性に挑戦するのが楽しみなのです。この数年は派手に飛び回っていましたが、これからしばらくは拠点を据えて頑張ってみようと思っています。
渡米してから丸3年。バークレーに着いた翌日に、サンフランシスコで見た独立記念日の花火は、「パンパカパーン!」と若い希望と可能性に満ちて感じられたのが懐かしい。それに比べて、今日のポートランドの花火は、しっとりと落ち着いていながら、底から静かに湧き出る力が宿って見えた。結構、良い感じ。