98年9月7日

8月2日、成田到着と同時に、うだるような蒸し暑さに「アジアの中の東京」に帰ってきたことを実感。何もしなくても汗が吹き出す世界。これは厳しそうだ。リムジンバスからぐちゃぐちゃの田園風景を眺め、ペンシルビルが林立する下町を首都高で抜け、快適で早い地下鉄に乗る。ポートランドとはまちのつくりが根本的に違う。新鮮だ。

仕事始めまで2週間のお休みを貰ったので、のんびりと「東京慣れ」する。が、いきなりイタリアでまちづくり事務所を開設したばかりの友人Fの来日。「太一の会社を見たいし、営業のために太一のボスにも会いたい」と言われ、休暇中なのに出社。帰国挨拶の前に打ち合わせで上司に会う気まずさ。おまけにFの準備は丸腰同然。いきなりイタリアと日本の文化の食い違いを見る。 翌日、別件で再び出社したところ、暑気払いのビールにつきあうことに。ほろ酔い気分の先輩達にお約束のお言葉をいただく。「お前は日本が不景気だってわかってねーだろ!」「まったく3年も好き放題遊びやがって!」ただ、うなずくのみ。日本企業社会の洗礼一発目である。

土曜は気楽に東京湾花火大会。会場のSさん邸は月島の長家。もんじゃ焼きの煙、ガラガラいう引き戸、美しい木彫り透かしの家具、風鈴のある畳の部屋。下町情緒たっぷりで最高。脂ののったトロの刺身を食べながら飲む一番絞りは格別。 集まった人々も、創作系の個性派揃いで面白い。京都のホテルから盗んできた浴衣を着ているイタリア男は黒い靴下を履いたまま。中野区の家からチャリンコでやってきた女性、プライバシーのない根津のアパートを愛する女性、などなど。 江戸の花火はオレゴンの花火とはひと味違う。Sさん、誘ってくれてありがとう。

翌日曜日、大学サークルの先輩に召集されてテニス。遅いクレーコート、重い日本のボール、皆の堅実な「しこい」プレー、そしてコート代に閉口する。アメリカンテニスとは別のスポーツか? ちなみにこの悩みはその後も続き、会社テニス部のオムニコートでも、F銀行のクレーコートでも悪戦苦闘。 唯一、中学卒業生のテニスクラブだけはハードコートで快適。旧知のT夫妻、Mさん、Kさん、Hさんなど大先輩から高校1年生のKくんまで、年令差30才以上の異色集団は、話題豊かでものすごく居心地が良かったりする。今後はここがホームコートになるか?

帰国2週目に入り、親友達との旧交を暖めはじめる。めちゃくちゃ蒸し暑いので冷えたビールが旨い! 中学以来の悪友Mは相変わらずだが、結婚したYは随分落ち着いたか?NYCが似合うHに東京で会うのは何だか不思議。もう一人、中学以来の親友Yは着実に地歩を固め、中高の後輩Mはアメリカ留学に胸を踊らせ輝いている。やっぱり、慣れ親しんだ仲間と「今」を確認し合うのは素晴らしい。 そんな中、唯一初対面だった準同業者のK。インターネットで知り合った人と直接会うのは何時もギャンブル。多少緊張しつつ話し始めたKはまともな人。ホッと安心して、「また会いましょう。」

御盆も明けて17日から仕事復帰。まずは机の整理から。 水曜日、全国から集まった100人ほどの部課長の前で帰国の御挨拶をすることに。ダークスーツばかり、男性ばかり、日本人ばかりの前に立つと、日本の大企業に戻ってきたことを実感。結構、緊張してしまう。 夜は官僚のYと再会。役所で毎晩遅くまでしこしこ働きつづけた彼女の3年間の話が身に染みる。そして、何時以来か忘れたくらい久しぶりに、スコッチをストレートで2杯飲んで御機嫌。酔っぱらってバタンキューの翌朝、目覚めるとお腹の様子がおかしい。 でも、サークル同期の帰国歓迎会はキャンセルできず、ウーロン茶で2次会のカラオケまで耐える(←最近の歌も歌手も知らないのばかりで、かなり苦痛)。

そして週末。土曜日、目覚めると物凄い激痛がお腹に走る。悶絶するような差し込み。胃腸の弱い私でも、ここまでひどい痛みは初体験。寝ていても激痛で目覚めてしまう。かなり、まずい。 土日と完全に自宅療養し、月曜の朝に医者へ。先生曰く「日本社会に適応するために、ストレスが無意識に溜まっているのでしょう。」体は心より正直なのかもしれない。午後と翌火曜日は無理せずお休み。薬のおかげで痛みは和らいだが、当面アルコールやコーヒーなどは厳禁。これも別の意味で辛い。

仕事は面白いものを沢山与えられなかなかの充実感。帰国したら理想と現実のギャップを覚悟していたが、許容範囲にゆとりを持って収まりそう。本質的な部分はOKなので、あとは細かいことを気にせず大らかに生きよう。 ようやくお腹も落ち着いてきたので、Kさんに招かれたパーティーへ。中へ入るといきなりAさんの引越し歓送会。初対面の人を歓送会に呼ぶフランクさ! 人々は握手をして挨拶。友人が友人を連れて来て膨らむ一方のこの集団、中核は国連大学、阿波踊り、建築・創作系で知り合った人々。そして話題は尽きない面白い人ばかり。日本にもこういう集まりがあったんだ、と痛く感激する。Kさん、Yさん、Iさん、その他の皆さん、体調が治った曉にはまたゆっくりお会いしましょう。

初めは違和感でいっぱいだった東京の生活にも、1ヶ月経ってようやく慣れて来た。人々も街並みも、変わったようで意外と変わっていない。と思い始めた先週末、子供の頃から行きつけだった床屋に行くと、可愛がってくれたおじさんが亡くなっていた。まだ若かったのに。大ショック。独りでお店を続ける未亡人としんみり思い出話し。やっぱり3年間の変化は大きい。もうしばらく観察&適応の日々が続きそう。

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