ロンドン、パリ、ベルリンと巨大都市の視察調査を終え、また、全行程の半分(←ようやく!信じ難い)を乗り切ったので、区切りをつけるべく今日は休息日。何もせず心身の疲れを取るべくリフレッシュである。
フランクフルトは見本市などの盛んなビジネス都市でホテルが取り難く、なぜか分不相応にも空港近くの高級ビジネスホテルに滞在することになってしまった(←緊張する程「超」高級ではない)。今日は、都心に出るのも面倒だし、ホテル内のアメニティ施設でも十分使いこなしてみることにする。 と言いつつ、昼過ぎにチェックイン直後から4時間も昼寝。ベルリンの寝不足を取り戻す。 夕方、腹が減ったのでケーキを食べてから、最上階のプールで泳ぐ。実に約1ヶ月ぶりの運動である。体が鈍りきっている上に、食事のバランスが旅行中は今一つだったので、手足を動かすごとに爽快な疲労感でいっぱい。悪い汗がしみ出して行く感じで、体が喜んでいるのがわかる。
シャワーを浴び、ついでに下着類を手洗い。ホテルのランドリーサービスは月曜(休日)までお休みの上、値段も高いのでビジネス用の服だけにしよう。 ヨーロッパのテレビのサッカー中継は充実。今日は、ドイツvsコロンビア、ドイツvsスウェーデン(U21)をやっている。ドイツチームは一体感が素晴らしい。地味だけどさすが本命だけのことはある。 ちなみに、ドイツのメディアはワールドカップ特集が続くが、サッカー気違いの旦那に反旗を翻す「サッカーウィドウ」主婦達のニュースもあって笑える。また、フランスの若い女性の70%はサッカーに関心無しだそう。これから1ヶ月、単純な男達は家庭で居場所が小さくなりそう。
夕食もホテル内。格下のレストランは伸び切ったスパゲティ中心のアメリカみたいなビュッフェしかない上に、値段もあまり安くないので、今日は奮発して格上のレストランでディナーと張り込むことにする。さすがに充実、ドイツに入って以来、(和食を除いて)最高の味である。 ドイツでは「コーヒー」と言うとアメリカンの2倍くらい濃いやつが出てくるが、エスプレッソよりも飲みやすく私は結構気に入っている。ケーキも多少甘過ぎるが許容範囲。 満腹で部屋に戻り、今度は全仏オープンテニスである。男はシード陣はほぼ壊滅し、地味めな奴ばかりだが、これが手に汗握って面白い。がむしゃらに頑張る姿は感動的である。 あと、ユーロスポーツは編集が上手い。音楽からカメラワークまで素晴らしい。アメリカのスポーツチャンネルとは文化的な違いを感じてしまう。放送されるスポーツが違うことも大きい。F1、テニス、サッカー、自転車、バイクなど、アメフト、野球、バスケ、NASCARなどに退屈してしまう私には嬉しいものばかりである。
おお、ニュースによれば物凄い円安進行中。視察代がドル建てでよかった。日本の貯金も全てアメリカに移すべきか? でも、南アジアで戦火が勃発したら、貯金もワールドカップも視察調査もヘッタクレも無く地球が消えてしまいそう。世紀末なりの生き方を模索すべきか?
98年5月31日:フランクフルト旧市街
フランクフルト・アム・マインの旧市街に電車で出る。あちこちからドイツ語ではない言葉が聞こえてくるのは、さすが人口の1/4が外国人という国際都市だけのことはある。 地下鉄の駅前にいきなりすごい人だかり。何かと思えば、大聖堂の日曜礼拝に来た地元人であった。おかげで私は聖堂内に入れず。 レーマー広場に出ると、そこはメルヘンチックなドイツの世界である。建物の表情が可愛らしい。(行ったことはないが)ロマンチック街道はもっと「ロマンチック」なのだろうか?見てみたい気もするが、見たくない気もする。
商店街は日曜なのでお店が閉まっていて活気がない。つまらないが、かえって歩きやすかったりもする。驚いたのは、予想以上にモダンな建物が多く街並がどことなく軽やかなこと。レーマー周辺などの歴史的な建物がすごく浮いて見える。戦争でコテンパンに爆撃されたため、「歴史的建物の再築」と「モダンな新築」に二極化してしまったようだ。とても神聖ローマ帝国の中心地だったというほどの歴史の重々しさはないが、観光でなく暮らすにはこの程度の街が良いかもしれない。 裏道に入りゲーテの家へ。思索家ドイツ人のイメージを象徴する人物の家は、思慮深さよりも優雅さが強く感じられてしまう造り。ボンボンの学問は極めると向かうところ敵無しである。「苦難を乗り越えて」タイプとは趣が大分違う。
マイン川を渡り博物館地区へ。第一のお目当てである応用美術館(←Applied Art Museumはどう訳せば良いのか?要するに産業デザインなど日用品の芸術である)は、何と臨時休館。明後日出直さねば。 もう一つのドイツ建築博物館は、開いてて良かった!でも、スウェーデン建築の企画展をやっており、ドイツ建築は皆無。まあ、面白かったのだが、何となく肩すかしを食わされた感じ。
午後の開館時間に戻って、レーマーの皇帝の間にある全皇帝の絵を見る。圧巻。軽やかに見えるこの街にも、長い歴史があった訳で、この辺りは昔の風情が消えた日本の街を思い出させなくもない(←実は全然違うような…)。 腹が減ったのでハウプトヴァッヘのカフェで遅いランチ。何と、2階はうどん屋!良く見ると、カタカナで「ユーハイム」と書いてある。うーむ、日本のユーハイムドイツ支店か、それともドイツのユーハイムが日本に進出していたのか?バウムクーヘンが懐かしくなるが、甘いものを食べ過ぎているのでサラダとビールだけにする。
ホテルに早く帰り、またプールで泳いだりリラックス。お腹が空いていないのと、お金の節約のため、夕食はスーパーで買ったバナナとヨーグルトだけ。 明日は早起きして遠足である。今日は早寝。
98年6月1日:エルランゲンとニュルンベルグ
おお、もう6月か!
エルランゲンとニュルンベルグへ日帰りをする。列車の時刻を昨日調べておいたので、早起きしてホテルのシャトルで空港へ出て、そこから電車で中央駅へ。空港駅で、アメリカ人らしき白人ビジネスマンに、イギリス人らしき黒人紳士に、自販機での切符の買い方を聞かれる。何故、観光客然とした私に聞く? 中央駅でエルランゲンまでの切符を買おうとして、お目当ての7:19amの特急は今日は運休であることが判明。そう、今日は休日だったのである。次の列車は1時間後。睡眠の大損。悔しいので駅でゆっくり朝食する。 今日は異常に寒い。しかし、私は何故か短パンとサンダル姿である。そんな格好の奴は、寒さに鈍いアメリカ人が数名いるだけで、セーターを着ている人も多い。電車を待っているうちに寒さで体が震え始める。追い撃ちをかけるように、列車がさらに30分以上遅れるというアナウンス。 耐えきれず、ジーンズでも買おうかとお店を探すが、休日なので開いていない。仕方なく新聞を買って、脚の上に拡げてしのぐ。列車がようやく9時過ぎに入って来た時は、心底ホッとした。
うとうとしているとロマンチック街道北端の街、ヴュルツブルグに到着。駅からも魅力的な街の様子がうかがえる。後ろに座っていた日本人カップルは幸せそうに下車。「どうして自分はここで降りずに、エルランゲンなどというベッドタウンに向かっているのだろう?」とふと空しくなったが、「まあ今回は仕事だし、観光は今度ゆっくり来れば良いさ。」と慰める。 ニュルンベルグでローカル線に乗り換えて、エルランゲン駅に到着。意外と大きな駅である。 エルランゲンはニュルンベルグのベッドタウン。ここのまちづくりの成功を書いた本が日本語訳されて以来、日本人プランナーの巡礼地となっているらしい(実際、日本人らしき集団もみかけた)。しかし、アメリカでは名前も聞いたことがなかったので、本当に素晴らしい街なのか自分の目で確かめたかったのである。 住宅地にも行きたかったので、あると聞いていた貸自転車屋を探すが見つからず(どうせ休日だからあっても開いているまい)、しょうがなく中心部だけを徒歩で回る。 お店は殆ど閉まっているが、元気で居心地の良い商店街であることは明白。きれいだし、歩きやすい。自転車が異常に多いのにはびっくり。また、「本物」らしき歴史的建物が多いのも嬉しい。どうやら、良いことをきちんと積み重ねてまちをつくっているようだ。そうと分かれば、住宅地も是非見たかったが…
ニュルンベルグに戻る。駅はバックパッカーで溢れており、アメリカはもう夏休みなんだと気付く。卒業した皆はどうしているかな? 都心部には、中世の遺産は戦争で壊滅させられたと聞いていたが、思ったよりも昔ながらの面影が残っている。裏手の建物は近代的なものばかりだし、頑張って上手に再建した感じ。とりわけ、旧市街を囲む城壁は見事である。ここがナチスのパレード、そして戦犯裁判の舞台だったというのはピンと来ない。 脚が痛いし腹も減ったので、路上のカフェでニュルンベルグ名物のソーセージを食べる。締まった味でとても美味しい。一緒に頼んだビールも爽快な味で(濃厚なやつは夜に飲みたい)、極上の組み合わせである。こういう何気ない注文がピタッと決まると、無性に幸せになれる。 帰りの特急では当然のように曝睡。
脚が参ってきているので、我ながらおやじだと思いつつホテルでマッサージを頼む。マッサーは何と若いドイツ人のお姉さん!当然のように年輩者を予想していたので、間抜けにも緊張してしまう。何考えてんだ、アホ。 心身ともにすっかりリフレッシュされたので、明日から再び元気に歩こう。
98年6月2日:プランナーと話すのは楽しい
連休が明けて、ようやく街が正常に戻った。観光客よりもビジネスマンが目につく。私も今日はスーツ姿である。 ブッハさんへのヒアリングは、いきなり凄いスピードで始まる。事前に送った質問リストを見て、「これだけ調べてあれば、前置きなしで核心に入ってよいですね。」と言うが、久しぶりのヒアリング(それも朝!)でこちらの頭は回転が鈍い。コーヒーを頂き、間を取ってもらう。話を聞いていくと、文献で調べたことと実情が随分違うのにびっくり。こういう発見があると、わざわざ足を運んだ甲斐もあるというもの。しかしブッハさんは話し好き。一通り質問を終えて礼を言って立ち上がると、「実は面白いプロジェクトがあるんだ」「屋上から街を一望しつつ説明しよう」「ロビーの模型で説明しよう」と、話は終わらない。いよいよ別れ際には、「私達の仕事について話すのは本当に嬉しいんだよ。日米との比較の話も面白かったし、来てくれてありがとう。」と礼を言われる始末。自分の仕事、そして街に愛情を持つプランナーと話すのは実に楽しい。病み付きになりそう。
レーマー広場のカフェで、名物リンゴワインとフランクフルトソーセージでランチ。日射しを浴びほろ酔い状態でボーッとしていると、隣の席の少し怪しいおやじが話し掛けてくる。ダークスーツ&サングラスで、昼間から赤い顔した若いアジア人というのが不思議らしい。「日本人か?」「そうだ」「仕事か?」「うーん、半分仕事で半分観光みたいなもんだ」「何を売っているんだ?」「いや、まちづくりの仕事をしているんだ」「おお、お前はスペシャリストか!」「うーん、まあそんなようなものだ(苦笑)」とりあえず、日本人全員が商社マンではないことは分かったようだから良しとしよう。「俺はチリのサンチャゴから出張で来てるんだ」「見本市か?」「いや、セールスだ。これからベルリンまで何箇所も回るんだ」「ワールドカップのフランスにも寄るのか?」「NO! どうせチリはダメだからいいんだ」「日本なんかアルゼンチンとやるんだぞ」「ははは…(同情の笑い)。でも、チリは全仏テニスには期待してるんだ」「リオスは本命だよね」「おお!リオスを知っているか!」しまった、もう止められない。それからテニス談義に30分近くつきあわされた。
地域政府連合のオフィスに飛び込みで行ってみると、「火曜日は午前中で閉まります」のサイン。がっくり。また、明朝出直さねば。 金融地区を歩くが、ただのオフィス街で面白くない。 ワインのせいで疲れが吹き出て来たので、ホテルに戻って昼寝。産業デザイン博物館は、あっさり行かないことにする。 夕方、空腹で目覚めたので、旧市街のザクセンハウゼンへ飯屋を探しに行く。戦災をまぬがれた地区だけあって、古い街の雰囲気が良く残っていて気持ち良い。でも、飯屋はビール屋とマクドナルドくらいしかなく期待外れ。 米が恋しくなったので、中央駅周辺の中華料理屋へ。安くて美味しい。途中で相席してきた女性2人がどう見てもお水系で落ち着かない。 お店の人は中国語で「ばりばり」働いているが、時折客と話すドイツ語が思いきり中国語アクセント。中国人の英語と同じに聞こえる。きっと、私が「シュプレヒェン・ジー・イングリシュ?」などと言っているのも、日本人そのものなんだろうな。
P.S. カズ、北澤、本当にお疲れさん。期待のできそうな1-6-3だが、ユーゴ相手にどこまで戦えるか希望と不安が交錯中。2-4-4へのシフトはうまく行くのか?
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