友情警報発令中
[前編]
他人を好きになることなんて、考えたこともなかった。
魔精と呼ばれる、限りなく人に近くて、けれど人ではない存在である俺達は、執着心とやらがかけているらしい。だから、俺は人を好きになる事なんて、永遠にないだろうと、それが普通なのだと考えていた。
そんなとき、何気なく覗いてしまった水鏡の向こうに、見つけてしまったのだ。
蛍色の短めの髪の毛も、淡い緑色掛かった薄茶の瞳も、何もかもが俺の理想で――そして、それの見せた柔らかい微笑みにノックダウン。
その子がアーディル国の王子の婚約者だって事は、それから直ぐに知ったけど、婚約者って事は未だ結婚前。俺が入り込む余地はまだまだあるはずだ。
俺は水鏡ごしに彼女に、一方的に出会ってから数時間もたたないうちに、魔精界の俺の家を飛び出して、一路、人間界の彼女のもとへと向かった。
ってのが、十分前。
甘味処・数珠、なるところで、とにかく彼女に好きになってしまったんだって事を伝えていたら、俺の目的の人物のまん前という美味しいポジションをとっていた男が突然大笑いを始めた。
見た目からして、その男は王子ではないようだ。おそらく、少女の護衛か何かなのだろう。それにしては、横柄な態度をとっているような気はするのだが。
目の前の少女は、そんな彼にちらりと視線を送ると、何かを考え込むように、アイスクリームらしきものをスプーンですくう。
「流石はシャルちゃん、だな。さあ、どうする、王子様の婚約者殿?」
男はくつくつと笑いながら、少女を見た。
――シャルちゃんか。彼女にぴったりの可愛い名前だ。
「茶化すなよ、キール。――まあ、好かれるのは嫌いじゃないけどね」
シャルはアイスクリームを一口食べて、俺に探るような視線を向けてきた。
初めて会ったわけだし、俺という人物について全く知らないわけだから、警戒心を剥き出しにされるのも仕方がない事だろう。しかも、俺みたいないけてる男だったら尚更だ。
俺はこほんと一つ、咳払いをした。
「俺は影珠(エイジュ)。魔精界の紫眼族の長男だ」
紫眼族ってのは、俺の所属する一族で、魔精界では第四貴族にあたる。一般的に、紫眼族の持つ力は、並の魔精界の魔精達に比べると桁外れに高いとされている。
俺が得意げに言うと、キールと呼ばれた男とシャルが、へぇ、と感嘆のため息をもらした。……感嘆だったと思う。……少なくとも、呆れたため息ではなかった。
「確か、紫眼族の直系は、水鏡の術を使えるんだったよな」
キールの言葉に、俺はぎょっとした。そんな俺に気付いて、キールはにやりと笑う。
「俺は、こう見えても王宮に仕える筆頭の魔法使いサンなわけだ。知識の量が普通とは違う」
と言っても、紫眼の水鏡についてに関しては、知識の量が多い、の一言で済ませてしまってもいいものなのだろうか。俺は、正直納得がいかなかった。何しろ、水鏡の存在を知るのは、魔精界の中でさえ、ほんの一握りの存在だけなのだから。
キールという男、侮れない。けれど、今はこいつではなくて、シャルだ。
俺はアイスクリームらしきものを食べ終わったシャルの手に俺自身の手を重ねた。そのまま、シャルの瞳をまっすぐに見詰める。
「シャル、結婚してくれ!」
ぴたり、とシャルとキールの動きが止まった。
それから直ぐに、キールが大爆笑を始める。シャルは、キールに目を向けてため息をつくと、今度は俺を見て苦笑を浮かべた。
「成る程。とっても一方的でストレートだよね。……けれど、エイジュ、どうやら君は、とっても大きな間違いを起こしているらしい」
シャルは俺の手を払い、苦笑を浮かべたまま立ち上がった。大爆笑を続けていたキールもそれに続く。
「エイジュ、僕の名前は、シャルズ・フェルン・コールストーム。可愛い顔立ちをしていることは、認めるけど……僕、男だよ」
俺は声もなく固まった。
固まる以外に、一体何が出来たというのだろう。
……理想だった。初めて見た時に、彼女しかいないと思った。その気持ち、無駄にはしたくない。無論、男と結婚などしたくはないが。
少し考え込んで、俺は素晴らしい結論に行き着いた。一方的でストレートに――シャルが誉めた俺らしい結論。すなわち、恋人が駄目なら、親友になればいい。
男同士の厚い友情はしばし、愛を超えるのだ。その事を俺は、親父から学んだ。
親父は、厚い友情をとても大事にしていて、『どうして、私というものがありながら、こんなお店へいくの』とお袋に怒られる度に返す答えは決まっていて――
『あいつに誘われたから仕方なく、だ。友情は大切にしないといけないだろう?』
とのことだったから。
そう兎にも角にも、俺はそんな厚い友情を手に入れるべく、甘味処・数珠を飛び出した。
街のことはわからないが、俺の水鏡の力が、シャルの居場所を教えてくれる。俺は人気のないところまで走った。
やがて、俺は立ち止まり、一応、周りを確かめる。――人の気配はない。
息を整えて、俺は頭の中で魔法の構成を組み立て始めた。水鏡なら、そんな面倒な構成を組み立てるまでもなく呼び出せるのだが、流石に他の魔法ではそうもいかない。
ジグソーパズルの最後のピースがはめ込まれたような感覚と共に、構成が組みあがる。俺は右手で簡単な陣を描いて、水鏡を呼び出した。映っているのは、もちろんシャルの姿だ。
組み立てた魔法は空間移動魔法。水鏡さえあれば、行った事のない場所へでも問題なくいけてしまう。つまり、シャルのもとまで跳ぶつもりなのだ、俺は。
俺は静かに組み立て魔法を解放した。発動させる為には、まず構成で縛られている魔法を解放する必要があるのだ。
ざわりとあたりの空気がざわめきを始める。ぐにゃりとあたりの空間がうねるような感覚がして、俺は水鏡を呼び出したまま、空間移動魔法を発動させた。