演習場と言うのは普通人里離れた山の中にあるのだが、ここは山の中にあるとはいえ割と近くに人家もあり、茶畑が隣りにあったりする。ひょっとして相馬ヶ原より都会かもしれない。しかしここの演習場に来て嬉しかった事がいくつかある。
1.屋根のある廠舎(演習場での宿舎の事))に泊まれる事
2.便所が水洗である事
3.売店があるばかりでなく、ジュースとビールの自動販売機もある事
4.暖かい風呂(もとは馬の水飲み場だったらしい)がある事
5.暖かい食事が配給される事
うーん、我ながらレベルの低い事で喜んでいるような気もするが、元々馬小屋だった上寝床も平らではないとはいえ、テントを張る必要が無いのは嬉しい。これで帰ってから天幕を整備しなくても良くなった。またビールが飲めるのは(時間的・スケジュール的に機会が無いとしても)心理的効果が大きい。水洗便所のありがたさは、説明の必要はない・・・よね?しかし演習に来て屋根はあるわ毛布はあるわ、共同とはいえバス・トイレ付きの建物で眠れるのは、先月の経験からするとものすごく嬉しい事なのだ。こうして新隊員は洗脳されていく(ヲ)。
今回の演習では、娑婆の皆さんが「自衛隊」と聞いてイメージするような事を一通りやる事になった。つまりは顔にドーラン塗りたくって、身体に草くっつけて、鉄砲持って匍匐前進というようなこと。こちらにしてみても、それぞれ単品では既に教育を受けたが、こうして全部まとめてやるのはこれが初めて。しかし身体に草つける「偽装」はやりだすと癖になりそう。訓練のたびに偽装が凝っていくのは自分だけか?最後の方では、茅やシダなどの草を身体とヘルメットに付けた上から葛の蔓を巻き付け、ほとんど映画「クリープ・ショウ」でのスティーブン・キング状態(分からない人ごめんなさい)。ウルトラマンにこんな怪獣出てきたかもしれない。
しかしこの演習場には剣のように鋭い夏草が生い茂り、匍匐前進していると袖と手袋の間の隙間から見える地肌を切ってしまう(特に左手)。この辺に出来た切り傷って・・・自殺未遂のためらい傷にそっくり。この傷を隠すためや予防するために、手首に包帯を巻く同期も増えたが、何やら余計に自殺未遂者に見えてくる。演習の疲労で頬がこけてきたり、ドーラン焼けで顔色が悪くなってきたのも誤解を招く一因かも。
他に発煙筒や信号弾の使い方も実習するはずだったが、当日ミルクのような濃い霧が発生したため一部のみ実施。特に危険な黄燐発煙手榴弾はしばらくお預けになりそう。また夜間の攻撃や偵察などもサワリだけ実習。今年の夏、またこの演習場に来る時に本格的に訓練する事になるそうな。
訓練は体力的につらかったし、何度も「戦死」したけれど楽しい事も無い訳ではない。演習の中日、迷彩服から制服に着替えて島原半島の研修に行く事になった。最初の目的地は長崎県千々石町の橘神社。「陸の軍神」橘中佐を祭った神社で、演習の安全を祈願する事になっている。前日までの雨も上がり、僅かに晴れ間がちらほら見えるのは橘中佐の御加護だろうか?山道を登ったり下りたり、二時間ほど行った辺りで街の規模に似合わぬ(失礼!)大きな鳥居と銅像が見えてきた。橘神社だ。
橘周太中佐は日露戦争の遼陽会戦で戦死した大隊長で、海軍の広瀬武夫中佐とともに軍神として祭られており、それぞれを歌った軍歌もある。もっとも広瀬中佐の方はロシアでの諜報活動などでも知られており、現代における知名度では陸の軍神の方が一歩を譲っているようだ。しかし橘中佐は教育に関する本を執筆しており、日露戦争勃発前においてはこちらの方が有名だったかもしれない(最近「教育者としての橘中佐」なる書物が出たという)。一の鳥居から本殿まで結構距離があり、その間にベンチなどが設けられている所をみると、公園としても市民に利用されているようだ。石段を登るともう本殿で、こちらの方は下の公園と比べると小ぢんまりとしている。巫女さんがいないのは減点1(マテ)。見事なあご髭の神主さん(元自衛官だと言う)に従い団体で参拝し、軍歌・・・もとい隊歌「軍神橘中佐」を、時間が無いので一番だけ合唱してお開きとなった。
次に向かったのは島原市。お参りが終わってから降り出した強い雨の中、雲仙普賢岳での災害派遣に関して講演を聞く。最近の災害派遣活動ではこの「島原大変」がもっとも長期にわたる活動であり、また活動内容もかなり評価が高いので研修にふさわしいとされたのだろう。その後災害派遣部隊の本部が置かれた島原城を見物・・・いや研修して、また演習場に戻った。この夜は(またマトンの)焼肉大会もあり、隊歌(「歩兵の本領」、「抜刀隊」、「出征兵士を送る歌」、「日本陸軍」他)の合唱で盛り上がりまくったが、焼酎で記憶が飛んでいるのであまり詳しくは書けません。しかしいつのまにか、同期が口ずさむ歌や鼻歌が、安室や宇多田じゃなくて軍歌になってる・・・。
さて演習の最後を飾るのは、20kgの背嚢かついでの31km徒歩行進。大野原演習場から嬉野〜武雄〜鹿島の「鎮西日光」祐徳稲荷までを踏破するこの徒歩行進では、準備を万全にしないとおそらく歩きとおせない。特に以前の行軍訓練で苦労した股擦れ防止には気を使ったが、これにはまた伝統の知恵が役立った。そう、股擦れ防止に絶好の下着「ステテコ」である。確かにみっともないかもしれないが、別に下着姿で行軍する訳じゃなし、最後に笑うのはこの俺だ、と言う訳で生まれて初めて着用に及んだ。実際このおかげで歩いている間は全く股擦れの症状は出なかったが、それでも完全防止は出来なかったらしく擦れた部分はあった。ただステテコの布地がその部分を保護して、痛みを感じさせなかったらしい。
それはそうと、この日天気は曇り時々小雨。いつかのようなピクニック日和ではないが、行軍するならばこの位の気温が絶好である。山道とはいえ、アップダウンも想像したほどではない。これなら完歩出来るかな?と思ったが、甘かった。ゴールまで後5、6kmくらいの地点で、頭がくらくらして足がもつれてきた。前半水を飲まなかったための脱水症状だろうか、それともずっとヘルメットをかぶっていたから熱がこもって、熱中りにでもなったのだろうか?この頃には両足に大きなマメが出来、靴擦れも出来ていたのだが、その痛みより意識が朦朧としてきたほうがダメージが大きかった。マラリアに苦しみながらビルマの白骨街道やニューギニアのオーエンスタンレー山脈をさまよった昔の兵隊さんの苦労が100分の1くらい理解出来たかもしれない。
それでも何とか足を前に出し、平地まで出てきた。すると前方に明らかに神社らしい大きな屋根が見える。ゴールの祐徳稲荷だ。ゴールが見えてきた事に勇気づけられ、もう一度気合いを入れ直す。ところが裏参道前まで進んでも、教官は神社の方へ向かうようには見えない。神社でゴールではないのか?と、ふらふら続いていくと、表参道大鳥居前の駐車場まで来てようやくゴール。はっきり言って、一歩ごとに期待を裏切られ続けたこの「神社の裏参道〜表参道」の1km足らずが一番つらかった。しかしゴールしてしまえばもう後は学校へ帰るだけ。たっぷりと水分を補給し、着替えてトラックに乗り込むとそのまま寝入ってしまった。どうやら他の同期も似たようなものだったらしい。こうして今回の演習も無事終了。めでたしめでたし。
なお学校に帰ってから体重を量ってみると、演習前より2s減っていた。10日で2sだから、思ったより痩せていないとも言える。しかし3日後には元の体重に復帰。喜んでいいのかどうか・・・。
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