なお同期とここを見学していて出た話題:
「ここの外壕、対戦車壕にも使えるな。」
「しかし俺達、個人用掩体(別名タコツボ)掘るのにも4人で3時間かかってるぜ。こんな外壕掘るのに一体何人時かかる事やら。」
「しかも当時の道具って、俺達が使ったエンピ(スコップ)やつるはしほど使いやすくなかったろうし。」
「メシだって俺達の戦闘用糧食よりまずかったんだろうな。」
「その点には同意するべきかどうか・・・。」
こんな話題で盛り上がるようでは、社会復帰はいつ出来るのだろうか。早く人間になりた〜い。
吉野ヶ里から少し行くと、筑後地区の補給を司る目達原(めたばる)駐屯地。ここの営門は吉野ヶ里の高楼を真似たデザインだそうな。今回案内してくれたT教官もかつてここで働いており、その頃何度も吉野ヶ里を見に行ったため従業員とすっかり顔見知りになったとか。自分もそのうちここで働く事になるかもしれない。
吉野ヶ里からT教官の住む狭い官舎までは、車ならそう遠くはない。結局それから夜10時まで、学生全員延々と飲まされ続けてしまった。T教官およびご家族の皆様、どうもご迷惑おかけしました。
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