Z君の父親が上がってきてZ君に一言二言話すと、Z君兄弟は立ち上がって何やら準備しだした。食卓の準備らしい。言い忘れていたが、Z君一家は客家人である。新竹は台湾の中でも客家人の多い地域で、市内はともかく田舎に行くと台湾語(福建系)はあまり通じない。また家族のあいだでも客家語か北京語と客家語のチャンポンで話すので、Z君親子の会話はほとんど聞き取れない。
Z:「そろそろ夕食だ。……ちょっと手伝ってくれないか?」
Q:「いいけど、何をすればいいのかな?」
Z:「今から物置に行って椅子を出してくる。それをダイニングキッチンまで運んでくれないか。」
Q:「OK。……ところでわざわざ椅子を出してくるなんて、今夜は自分のほかに客でも?」
Z:「うん、伯母さん一家と一緒に食べる約束なんだ。」
週末などにはこうして大勢で食卓を共にする習慣らしい。欧米のホームパーティーみたいなものかもしれないが、むしろ血縁関係の方で集まるようだ。ただ招待したりされたりで貸しを作らないようにする配慮はこちらでも同じ。原住民など漢人系以外の住民はそうした配慮に慣れていないので、自然と誘わないようになるとはZ君の弁。事の真偽は今の所不明。ともあれ準備が整ってしばらくすると、伯母さん一家が到着した。御夫婦と息子が一人、それに御主人の二親らしい老夫婦の五人だ。Z君の方は御両親とZ君兄弟、それに私で五人だから合計10人の大所帯が一つテーブルを囲む事になる。こうして大勢で集まり、食べきれないほどの食事をならべるのが中国人にとっての「幸せ」の具体的表現なのだろう。しかし旧正月や十五夜(中秋節)のようなイベントにみんなで集まって食卓を共にするというのは以前にも招待された経験があるが、週末の連休程度の休みでもこうしてわざわざ帰郷してホームパーティーを楽しむというのを目の当たりにし、中国人社会における「家族」の重要性を今更ながら実感した。
さて招待された伯母さん一家のうち、御主人の父親は戦前に日本に留学したことがあると言う。御主人も少し日本語が話せ、またZ君のお父さんも昔仕事の関係で日本へ派遣された事がある。前にも書いたがZ君の弟は大学の日本語科と言う事で、食卓の10人のうち半分は(程度の差はあれ)日本語を話せる人だったのだが、結局会話は北京語が中心だった。今にして思えばもっと日本語を話した方が、特に伯母さん一家の老主人には喜ばれたのかもしれない(この方にとっては日本語も北京語も別に「母語」ではないし)。
食卓には本当に食べきれないほどの料理が並べられたが、「いただきます」無しで皆が思い思いに箸を取るのは未だに慣れない。慣れないものと言えば料理のうちで漢方薬系の調味料を使ったものが2種類ほどあり、これもちょっと箸をつけられなかった。「医食同源」の思想からこのように漢方を使った料理で精力をつける習慣らしいが、この匂いがどうも……。苦瓜(ゴーヤ)と塩漬け卵の炒め物とか蟹と若いヘチマを炒めたものとか日本人の味覚に合うものも少なくないのに、どうしてまたこういう漢方が……。他に気に入ったものと言ったら金柑の皮を使った蒸し鶏用ソースがなかなか美味しかったが、これは客家人独自のもので同じ漢人でも台湾人などは嫌うとか。確かに市販されているのを見た事無い。これには各家庭で独自のレシピがあるそうだが、いつか比べてみたいものだ。
お酒の方は中国酒ではなく葡萄酒だったが、公売局(専売公社)製のもので僅か7度足らずというビールに毛の生えた程度のアルコール含有量だ。甘口で呑みやすく、後からくるといわれるが7度程度では後からきたところでどうといった事はない。むしろ困ったのは独酌が出来ない事。こちらでは盃を干す時に必ず誰かと乾杯しなければならないので、誰が今までどれだけ飲んだかを把握していないと盃の押し付けになってしまう。中国人にとってはせっかくみんなで食卓を囲んでいるのだから他人を無視して手酌する方が失礼らしいが、下手して相手をつぶしてしまったら大事だ。お年寄りもいることだし……。という訳で微醺以上には酔わずにお開き。まあもともと私の呑み方が汚いから、こう上品な酒では満足できないだけだろう。食後にZ君と高粱酒を酌み交わして埋め合わせ。
部屋に戻る前に、Z君が日本語の教科書を持ってきた。彼はこの秋から新竹のホテルに就職するため、日本人客への対応を学ぶ必要があるとか。「教科書」は台湾で出版されている”旅行用日本語”ガイドブック(原書は日本で出版された”旅行用英語”ガイド)で必要最低限の言葉しか載っていないから、台湾人が日本に旅行した時使うのには十分だが日本人客への対応には不十分かも。ともあれ無いよりはマシだろうから、載っている日本語のうち漢字の部分に読み仮名をつけ、必要なら解釈を加えていくうちに夜は更けた。
「其の四」を読む
他のレポートを読む
戻る