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3/31/03 ちょっと前に韓国人の患者さんが入院してきたのだが、彼の英語を聞き取れるスタッフが少なく、みんな困っていたらしい。「親分、韓国語わかる?彼と話してみてくれない?」ととんちんかんなお願いを何人かの同僚にされたので(笑)自分の受持ちではなかったのだが彼の部屋を訪れてみた。ちょっと英語で話してみたら、なぜか私には彼の英語は良〜くわかる。(笑)やっぱりアジア人独特の英語の発音はアメリカ人にはわかりづらいのだろうか・・・。しかも話をしているうちに、なんと彼は日本語が話せるとわかった。昔、三年間日本で学生をしていたことがあるらしいのだ。それをきっかけに日本語で食べ物の話や戦争の話で盛り上がり、それ以来彼は「親分サン!アリガトゴザイマ〜ス!キョウハ、ナンジマデ?」と私を見かけるたびに声をかけてくれるようになった。私も韓国語をちょっと教えてもらい、「アンニョンハセヨ〜!(こんにちは)」「カムサハムニダ。(ありがとう)」などの簡単な挨拶を、彼と彼の家族にするようになった。 戦争時代に日本が韓国にたいしてしたことについて、「本当に申し訳ないと思う、私一人が謝ったところでどうなることでもないけれど・・・」と言ったら、彼はニコニコして「昔のことだよ。もういいんだよ。」と言ってくれた。しかし、そのあとこうも言った。「でもね〜、私が日本にいた頃はまだまだ韓国人に対する差別が強くって、韓国人は公園にさえ入れなかった。学校でも、韓国人だということでバカにされたくなかったから、常に学年で1番か2番に入れるように、常に勉強していたよ・・・。」 確かに戦争は終わった。過去のことかもしれない。しかし日本に侵略された国に生まれ育ち、日本での辛い思い出を持ちながら、私に「昔のことだ、もういいんだよ。」と笑ってくれ、私のちょっとしたケアにも心から「アリガトウ」と言ってくれる彼の心の温かさに胸が詰まる思いだった。 3/30/03 私は今ドライバーズ・パーミットというのを持っている。こちらでは、日本の様に大金を払って自動車学校に通う人は少ない。簡単なペーパーテストに受かるとこのドライバーズパーミットというカード(2年間有効)がもらえる。これを持っていれば、すでに免許を持っていて運転歴が1年以上ある人が同乗してさえいれば、路上で勝手に自分の車で運転の練習が出来るのだ。最後に自分の車持参で路上テストを受けに行き、試験官を自分の車に乗せて街中を運転。そのテストに受かれば本物の免許証がもらえる。キヨシ君は去年の3月21日に免許を取ったので、私も彼さえ同乗していれば運転の練習が出来るようになったというわけ・・・。これまでにも何回か友達に同乗してもらって運転の練習をしたこともあったけど、やっぱりそんなにしょっちゅう頼めないし、ましてや冬はつるつるの道路を運転するのが怖かったのでろくに練習をしていなかったのだ。 ということで今日、キヨシ君に教えてもらいながら久々に自分で運転してみることにした。しかしうちの”トラック”を運転するのは初めて。いや〜、怖かったっす。っていうか、たぶん助手席に乗っていたキヨシ君の方がびびってた。(笑)だって道路がつるつるで、トラック右に左にぶれてたもんね〜。(笑い事じゃない。)やっぱり最初からトラックは無理でしょ。だから早く小さい自家用車欲しいっつってんのに!(←逆切れだよ。苦笑。) 3/29/03 喧嘩した相手に手を噛まれて、骨折と深い裂傷を負ったというティーンエイジャーを受け持った。なんと、病院に運ばれてきた時にはその傷に噛んだ相手の歯が残っていたとか・・・。いったいどんな喧嘩をしたらそんなことになるのだろうか?わからない・・・。 明日の日曜日はお休み!寝るぞ〜。(笑) 3/28/03 今日、明日の2日間、4月からERに移動になる先輩のCNAについて仕事をしている。彼は刺青ばりばりのおにいちゃんというかおじさんで、先週ついて習っていたCNAとはだいぶ雰囲気が違う・・・。でもいい人だったけどね。(笑)下痢でお尻がただれた患者さんのオムツ交換をする時には、シェービングクリームを最初に薄くつけて、ちょっと置いてから拭きとってあげると皮膚を刺激しなくてもすむし汚れも落ちやすい、とか、すごい裏技を教えてもらった。試してみたけど、本当だった。おぉ〜、これは使える!(笑) 今日は入院患者さんを取らされたり、いろいろ勉強になることが多かった。オリエンテーション期間ももうすぐで終わってしまうので、その前にできるだけ色々なことを学んでおきたい。 3/27/03 昨日の夜、寝る前にアウトハウス(外便所)に行く時にふと空を見上げたらものすごいオーロラが出ていた。キヨシ君を「ちょっと、ちょっと!」と呼び出してデッキで二人でゆらゆらと広がりながら色を濃くしたり薄くしたりするオーロラを見ていた。・・・が。数分もしないうちに、キヨシ君は「あ〜寒い、寒い。」と言ってキャビンにさっさと戻ってしまった。あ〜あ、出会った頃は「一緒にオーロラを見に行く?」などと言って寒ぅ〜い夜中にうちの寮(付き合い始める前後、私達は違う寮に住んでいた)まで迎えに来てくれたキヨシ君も、結婚しちゃうとこうだよ〜。(笑) 昨日今日は院内のオリエンテーションだったので一日中話を聞いているだけで良かったので楽と言えば楽だった。明日からはまた病棟での仕事に戻る予定。 3/26/03 ショック・・・。今日キヨシ君の耳から一本の耳毛が生えているのを発見してしまった。一本だけだったらいいけど、将来耳毛ぼーぼーになったらどうしよう・・・。 あ〜、モンブラン食べたい。(全然脈絡がなくてごめんなさい。) 3/25/03 今日はお休みだったので大学でシャワーだけ浴びて、キヨシ君に送ってもらって帰ってきた。二人でお昼(ラーメン。笑。)を食べた後、キヨシ君は図書館でのバイトのため大学へ戻り、私はごろごろ本を読んだりイニューと抱き合って昼寝したりしていた。キヨシ君は準夜を勤める私に合わせて、午後か夜の勤務に今週から変えてもらったので、今日も夜の10時までの勤務だ。悪いね、キヨシ君。これからキヨシ君が帰ってくるまで、ゆっくり食器洗いでもして、夕飯でも作って待ってようかな〜。 ところでキヨシ君は痩せの大食いなので、私はいつもなんでも大量に作る。二人とも大学の寮に住んでいた頃、夏休みは大学の食堂が閉まるので休み中は私が寮のキッチンで二人分のご飯を作っていた。ある時キッチンで一緒になった日本人の女の子に、「今日は何かのパーティーですか?」と聞かれたことがある・・・。こちらでよくある「持ちよりパーティー」の為にあんなにたくさん作っているんだな、と思われたのだろう・・・。「違うの。これ、私と彼の二人分。彼も私も一杯食べるから・・・。」というと、目を真ん丸くして、「え?彼って、キヨシさんですよね?キヨシさん、あんなに痩せてるのに!」と信じられないという顔をした。そうです、私達は大食いです。(苦笑) しかし私も日本にいた頃、高校時代からはずーっと「太り気味」だったのに(笑)、アラスカに引っ越してきてからするすると体重が減ってしまい、なんとトータル10キロも痩せてしまった。今では体格の良いアメリカ人の中にいることもあり、みんなから「もっと食べないとマッチ棒みたいになっちゃうよ!」とまで言われてしまう・・・。東京で一緒に働いていた看護婦仲間と久々に再会した時、「なんか、悪性の癌にでも侵されてるんじゃないでしょうね!」と言われたこともある。(ひどいよな〜。)日本であんなに苦労してダイエットしても全然減らなかったのに!な〜んにも苦労せずに痩せられるとはいったいどういう事?!アメリカでは一般的に、ほどほどに肉付きの良い方が魅力的、という感じだし、めっちゃ太っていてもチビTにローライズのジーンズなどを着て堂々と三段腹の三段目を見せちゃってる子もめずらしくない。それを見て、「あ、太っていても別にいいのね。」と安心したのを覚えている。(笑)それで「痩せなくちゃ!」というプレッシャーがなくなったのが良かったのかなぁ・・・。それともキヨシ君が言うように、アラスカは寒いので体温を保つために脂肪を燃やしてしまったのかなぁ・・・。でもやっぱり一番の原因は近くにコンビニがないこと、かもしれない。(笑) 3/24/03 今日はワード・クラークのクロストレーニングを受ける日。ナーシングアシスタントの業務からは外れて、クラークさんに一日中くっついてナースステーションの電話の前を陣取り、指示受けや他部門との連絡の仕方を勉強した。 申し送り中、新しい患者さんリストの中に、なんと私が老人ホームで学生として受け持たせてもらったおじいちゃん、Jさんの名前があったのでびっくり・・・。彼はエスキモーの痴呆症のおじいちゃんで、いつでも誰にでもニコーっと笑いかけ、抱きついてくるという愛すべきキャラの持ち主だった。受け持ち期間中は、私を見かけるたびに「あ、また会いに来てくれた〜。」と寄ってきて私の手をしっかりと握り、どこにでもついてきていた。「Jさん、どこか行きたいですか?ラウンジにでも行って、コーヒーでもどうですか?」と聞いても、「あんたはどこに行くの?どこでもあんたの行くところについて行くよ。」などというので、私はJさんがとっても好きだった。(笑)Jさんはその老人ホームで急変して、私が今働いている病院のERに搬送され、その後うちの病棟に送られてきたのだ。 Jさんは意識がなく、私は今日Jさんと話すことが出来なかった。看護の仕事は大好きだけど、こういうことがあるのでつらい。今はただJさんが良くなってくれることを祈るだけだ。 3/23/03 昨日の夜遅くに実家に電話をしてみた。日本とアラスカでは時差が18時間もあるので、向こうの夕飯後頃に電話をしようと思ったらこっち時間の深夜0時過ぎじゃないといけない。父親はいつものように一杯やって風呂に入っていたところだったので、母親と長話をした。母親は「あんた、アメリカ戦争になっちゃって、キヨシ君を取られるなんてことないんでしょうね!もし取られそうになったら仮病でもなんでも使って行っちゃダメ、ってキヨシ君に言ってよ!」と心配していた。その後も私の仕事のことや、二人目を妊娠中の私の妹、そしてその娘(私の姪っ子)について、いろいろと話がはずんだ。 母親が突然、「なんかさ〜、この間お父さんと”私達が貧乏なおかげで、うちの娘達にはなんでも自分達でやらせてくるしかなかったよね〜。あの子達は大きくなってからは親に何かをねだるなんてことがなかったよね〜。”ってしみじみと言っていたんだよ。お母さん、あんたが秋田の医療短大にいた頃、下宿先に遊びに行ったじゃない?あんたの部屋にあるちいさな空っぽの冷蔵庫に、ケーキと麦茶だけころっと入っていたのを見て涙がこぼれそうになったの思い出しちゃったよ。お金もないのにお母さんが来るからなにか用意しなきゃと思ったんだろうねぇ・・・。ケーキは買えたけどジュースを買うお金はなかったのかな〜とかいろいろ思ってかわいそうになっちゃって。」としみじみ語りだした。私はぜんっぜん覚えていなくって、「なんでそんなことまで覚えてんの〜!?しかもそれはきっと自分もケーキが食べたいから買っただけじゃないの〜?」と言って爆笑してしまった。母親は私につられて笑いながらも、「笑い事じゃないよ〜!なんか、振り返るともっと色々してやれたら良かったな〜って後悔することばかりだよ〜!」と言っていた。 私がアラスカに引っ越してきてしまってから、そういう話を良くするようになった両親。「なんにもしてやれなくて済まない。」と何度も言う。私はうちの親からたくさんのことを教えてもらったと思っているし、甘やかさずに自分でなんでも出来るように、とちいさな事に口を出さず、自由奔放に育ててくれたことにすごく感謝しているのだ。はたから見れば無謀なことでも、(たとえばちゃんとした仕事を突然辞めて、海外旅行にすら行ったこともないのにアラスカにエスキモーの勉強をしに留学に行く、とか。笑。)真剣に話せば必ずわかってくれる親だった。 心の中では絶対「そばにいてほしい。日本に帰ってきてほしい。孫が出来たらその孫とも遊びたい。キヨシ君とも一杯飲みたい。」等々いろいろ思っているはずなのに、「おまえとキヨシ君さえ幸せなら、それが一番!」と言ってくれる両親に、すごく感謝しているのだ。 親というのは本当にありがたいものだなぁ〜。 3/22/03 今週は土日が休み!久々にゆっくりできる〜。とは言っても、休みは休みでやることがあるわけで・・・。キヨシ君と大学に洗濯に行き、ゴミ捨て場にゴミを捨てに行き、1週間分の食料を買出しに行った。明日は私は家でゆっくりごろごろ本でも読んでぐうたらするつもり。キヨシ君は明日が春休み最終日なので宿題やら何やらで大変そうだけど。 話は変わるが、今回仕事を始めてから、アサバスカンインディアンの言語の一つであるグッチン語を勉強したいと思い始めた。私は大学でイヌピアックエスキモーの言語を1年間勉強した。短い期間ではあったけどすごく面白かったし、言葉だけじゃなくてイヌピアックエスキモーの文化や物の見方、考え方を学ぶ良い機会だったのでとても貴重な経験をしたと思っている。でも今働いている病棟に入院してくるネイティブの人々の中にはイヌピアックエスキモーはとても少なく、アサバスカンインディアンの患者さんがよく入室してくるのだ。イヌピアックエスキモー語を話せる人はどんどん減ってきているが、アサバスカンインディアンの人々やユーピックエスキモーの人々は今でも自分達の言語を大切に守り抜こうとしている。なのでお年寄りの方々はいまだに英語ではなく、自分達の言語を使っていることもめずらしくないのだ。 今受け持っている患者さんのなかにグッチン語を話すおばあさん、Aさんがいる。(普段は英語を話しているが。)私が自己紹介をすると、「どうして日本からアラスカまで来たの?」と息も切れ切れに聞いてきた。Aさんは肺が片方しかない。私は「アラスカネイティブの人々の文化や言語を勉強したかったので留学しに来たんです。Aさんの地域では”HELLO”ってなんて言うんですか?」と聞くと、すごくうれしそうに「私達の言葉の中には”HELLO”にあたるものがないの。でも一番近いのは”GOOD DAY!”という意味の”グウィンジィー”だね。」と教えてくれた。その後、Aさんの部屋を訪れた時に、「グウィンジィー!」と言うと、「あんた覚えてるじゃないの!これからはグウィンジィー、シツー(GOOD DAY、おばあちゃん)って言ってちょうだい。」とニコニコ顔で言ってくれた。とてもうれしかった。Aさんはいつも呼吸が辛そうで、ベッドの上で上半身を起こし、前かがみになって眉間にしわを寄せているのに、グウィンジィー、というその一言でパーッと表情が明るくなったのだ。 その後、Aさんは私の顔を見るたびに「グウィンジィー」と笑顔で言ってくれるようになった。言葉って、本当に大切だなぁと思う。仕事に慣れて余裕が出てきたら、大学でグッチン語を学びたい。どうせ私は準夜勤務なので、昼間、大学に出ようと思えば出られるのだ。ぺらぺらにしゃべれなくても、簡単な挨拶や話し言葉だけでも使えるようになれたらな、と思う。 3/21/03 ここ数日でなんとか病棟でのナーシングアシスタントの業務が自分1人でこなせるようになってきた。同僚の人達がとても暖かく「マイペースでいいのよ!あんたホントによくやってるよ。」という感じでせかさないでくれているのですごくありがたい。これは日本とアメリカの文化の違いかなぁとも思う。日本は叩いて(叱って)育てる、アメリカは誉めて育てる。ま、これは私個人の意見だけど。日本で働いていた時、最初に配属された救命救急センターの新人教育はほんっとに恐ろしかった。(笑)いまだに夢に出てくるくらい。(爆)あれは教育の域をちょっと越えていたと思う。「厳しさ」ということと「ただのいじめ」を取り違えていた先輩が多数いた。これは”女の職場”であるということも一因かもしれないけど・・・。もちろんそんな中にもすばらしい先輩ナースはたくさんいたし、その後の配属先、ICUの先輩達は本当に仕事の出来る、新人にもやさしい暖かい人達だった。私は絶対に新人は誉めて育てるべきだと思う。確かに厳しさもたまには必要だとは思うが、叱られてばかりいると萎縮してしまって学ぶことすらできない。 仕事をすべて覚えるまで辛抱強く、暖かくサポートしてくれている今の同僚のためにもがんばろう、と思う。 3/20/03 今日もキヨシ君と彼のご両親の為に夕飯を作りおきしてから仕事へ。今日は昨日ほど忙しくなく、比較的穏やかな勤務帯で助かった。明日またさらに勤務だけどそれが終われば土日は休み!イエ〜イ!(笑) 3/19/03 キヨシ君と彼のご両親に送ってもらい、再び仕事へ。今日はめっちゃくちゃ忙しかった。ボケたおばあちゃんが徘徊しようとするのを注意してみていなければいけない上に、ナースコールが鳴りっぱなしで、スタッフの雰囲気もぴりぴりしていた。そしてさらに緊急手術を受けなければならなくなった患者さんが、手術を拒否してなかなかことが進まなかったりと、さんざんだった。テレビでは戦争開始のニュースで大騒ぎになっていたけれど、それを見る間もなかった。 3/18/03 今日は仕事休み。4人で中古車専門店を回る。私の出勤用にどうしても車が必要だからだ。私とキヨシ君は去年のムースとの正面衝突事故で、キヨシ君のご両親からもらった中古のフォードを御陀仏にして以来、キヨシ君のお父さんが使っていたトラックをさらにいただいてそれを使っている。でもこれは私にはとても運転できそうにない大きさ(笑)だし、キヨシ君は昼間学校と仕事に行くためにそれを運転し、私は15時から23時半までの勤務なので彼が真夜中に私を迎えに来なければならない。それではあんまりなので、私が「仕事にも就けたことだし、早く自分用の中古車を買って運転の練習をして免許を取りたい!そして自分で仕事に行って帰って来れるようになりたい!」と言ったのだ。とは言っても車のことにはさっぱり明るくない私達。キヨシくんのご両親にアドバイスをもらいながら中古車を見てまわった。それにしてもアメリカ人の「トヨタ信仰」は厚いのね〜。 3/17/03 夜にキヨシ君のご両親が着く予定だったので、仕事に出る前に夕飯を作ったりといろいろ忙しかった。キヨシ君も私が仕事に出ている間にヘアカットに行き、大学で洗濯をし、家の掃除、食器洗いまでしてくれた。すまんのう〜、旦那!(笑)だって時間がなかったんだよ〜。仕事2日目もとりあえずなんとか乗り越えて帰ってくるとキヨシ君のご両親が寝ないで待ってくれていた。二人とも12時間のドライブと、イニューの「遊んでくれ〜」攻撃に疲れ切っていたし、私もくたくただったのでみんな早々に床に着いた。 3/16/03 今日から本格的に始まった仕事。今日はそれほど忙しい日ではなかったみたいだけど、勝手を知らない所での仕事というのは結構気を使うものだ。バイタルサインチェック、体位変換、配膳、食事介助、IN&OUTチェック、もろもろがアシスタントの主な仕事。その合間を縫ってRNから頼まれた検体をLABに持って行ったり、薬剤部まで薬を受け取りに行ったり、ナースコールの応対に追われたりする。このナースコールの応対が本当に憂鬱。(笑)だって、お年寄りで具合の悪い人ばっかりなので(患者さんなんだから当たり前だけどさ〜)声がもごもごしていて、小さいので全然聞き取れないのだ〜!午後11時半にようやく仕事が終わって、キヨシ君に車で迎えに来てもらって帰ってきた。疲れたよ〜。 明日の夜から金曜日の朝までキヨシ君のご両親が泊まりに来るのでさらに忙しくなりそう。日記の更新もままならないかもしれないけど、心配しないでくださいね。(だれもしてないって!笑・・・。) 3/15/03 チベットから訪れている僧の話を聞きに大学にいきたい、と土曜日なのに珍しく自分で早起きしたキヨシ君。私はもちろんそんなの行きたくないので(笑)布団でイニューと一緒にごろごろしながら、いそいそと出かける支度をするキヨシ君を眺めていた。そうしたらなんとキヨシ君、「僕、せっかくだからリカンベント・三輪車で行こうかな?」と言い出した。でも・・・外は−20℃だよ。キヨシ君は私の助けを借りながら、下ズボン、ババシャツ(男の人が着る場合はジジシャツとでもいうのだろうか?)ウールの靴下、毛皮付きの帽子、マフラーなどを次々と身につけた上からつなぎを着て「じゃ、行ってきま〜す。」とさわやかに三輪車で出かけてしまった。大学までは4マイルもあるのに〜。 イニューとお留守番をしながら、食器洗いを済ませ、ろくに朝ご飯も食べずに出かけていったキヨシ君の為にご飯を作って待っていた。午後3時過ぎに帰ってきたキヨシ君はホッペを赤くして「帰りは大学から50分で帰って来れたよ!あ〜、汗だく〜。」といいながら次々と服を脱ぎ捨て、なんと素っ裸でちょこんとキッチンカウンターのいすに座り、もぐもぐと私の作った「中華風ラップサンド(←またまたおやつ堂さんからいただいたレシピです。)を食べながら、そのチベットから来た僧がどんなお話をしたのか、ダライ・ラマがどうのこうの、と熱く語り始めた。私はその異様な光景がおかしくてしょうがなかったのだが、キヨシ君がいかにも自然にニコニコしながら普通にしゃべっているので突っ込む暇もなかった・・・。 3/14/03 来週の勤務の確認と鍵を無くしてしまった報告(トホホ・・・。)の為に病棟へ行く。月曜日から本格的な勤務開始という予定だったのに、私の指導者の勤務の関係で日曜日からということになってしまった。そして鍵はセキュリティーの人にマスター・キーで開けてもらい、新しい鍵をもらうことができた。しょっぱなからこんなドジを踏んでいて、大丈夫なのだろうか。先が思いやられるな〜。 そのあと、キヨシ君のいる大学にバスで戻り、彼が哲学の授業の為に論文を書き終えるのを待った。すぐ終わると思ったのに、夜の6時半まで待たされた!キヨシ君は期限ギリギリになるまで、いつも「書きたくない〜、書きたくない〜。」とお腹まで痛くなる始末なのに、(おまえは夏休み最終日の小学生か?!笑。)書き始めると、どんどんアイディアが出てくるのが楽しいみたいで、結局書き終えた途端に「僕の考え、先生がどう思うかが早く知りたい!」とわくわく顔なのだ。わからないヤツ・・・。キヨシ君は哲学専攻で、今学期は「東洋哲学」という授業を取っている。前々から興味があった分野だったらしいのだが、とくに今回インドの仏教の教えに興味を引かれたようで、なにかにつけて仏教のことについて聞いてくる。しかし聞かれても答えられないことの方が多い。一応、仏教に深く関わる文化の中で生まれ育ってきたにもかかわらず結構わからないことが多いものだなぁ。 キヨシくんの論文が書き終わった後、二人で水を汲みに行き、帰ってきたころには私はかなりくたびれきっていた。(ので、日記も今ごろ書いてます。ごめんなさい。) 3/13/03 今日から日曜日までは休み。来週の月曜日から本格的に病棟での勤務が始まる予定なのだ。そして来週は大学の春休みでキヨシ君の学校がない為、月曜日の夜から金曜日の朝までキヨシ君のご両親がうちに泊まりにくることになっている。すっごく忙しくなりそうな予感・・・。(笑)そういえば今日ふと気がついたのだが、なんと昨日病棟でもらった自分のロッカーの鍵を、スクラブ(術衣のような、あの青い上下。)のポケットにいれたまま洗濯籠に入れてきてしまったようなのだ〜!なんてマヌケなの!合鍵あるといいけどなぁ〜。っていうか、ないと困るんですけど。 ここ最近忙しくて適当な食事しか作ってあげていなかったので、今日は留守番をして料理をしていた。(もちろんイニューと昼寝もしたけど。)キヨシ君の好きなクリーム・オブ・ブロッコリースープとポテトサラダ、そしてレア・チーズケーキ。家事は出来る時にしておかないとね〜。今後仕事で疲れた時に、また快く助けてもらえるように。(笑) 3/12/03 疲れた・・・。準夜勤務(とはいっても私は今日は7時半には帰してもらったけど。)の流れをCNAの先輩についてまわっただけなのに・・・。私についていろいろ教えてくれた先輩はとっても親切なベテランのCNAで、RN達からも信頼が厚そうだった。いや〜、しかしやっぱり病棟初日は緊張するよ〜。どうしてもナースコールを受ける勇気が出ずに、結局みんな先輩方にお任せしてしまった・・・。ドクターには「だれだれさんのなんとかかんとかはどこにあるの?」なんて聞かれるし〜!ごめんなさい、わかりません、今日初日なもので、と繰り返すしかないのだ。そうそう、日本じゃ、申し送り廃止に力を入れているところもあるらしいけど、私が働いていた東京の病院ではまだまだナースステーションでの申し送りをしっかりしていた。ところがこっちではたいてい申し送りはテープへの吹き込みと再生で行われる!申し送られる方は勝手にそのテープを聞き、その間、前の勤務のスタッフは患者さんのケアや記録にあたれるというわけだ。なかなか合理的! そのほかにもいろいろ気づいたことがあったけど、今疲れててなかなか思い出せないのでまた明日。そうそう、キヨシ君に迎えに来てもらい、家に帰ると食器洗いが済んでいてびっくり!うちは水道がないので食器はしばらくためてからまとめて洗うことにしているのだが、今回の量は相当なものだったはずなのに・・・。(私がサボっていたから。)「どうしたの!?」というとキヨシ君は「親分に夕飯作ろうと思ったんだけど、良く考えたら僕ベイクドポテトの作り方さえ知らないし・・・。だからせめて皿洗いだけでもしようと思って。」だって。ありがとう、キヨシ君! 3/11/03 オリエンテーション2日目参加者はこれまたたったの4人。しかし昨日と違うところは今日は看護職従事者のオリエンテーションだということ。CNAは私1人で、あとの3人はRNだった。オリエンテーションでは、いっぱいいっぱい覚えなければいけない事を次々に頭に詰め込まなくてはいけなかったので、脳みそが爆発しそうだった。(笑)血糖値測定の機器なんかも、私が日本で使っていたようなシンプルなやつならいいのに、まるでゲームボーイをでかくしたような、液晶画面がついていてなにやらややこしそうな雰囲気・・・。ただ血糖値を計るためになんであんなに何回もボタンを押さないといけないの〜?それから点滴ポンプも最新で今まで見たことのないような代物だった。今じゃ日本でもこんなの使ってんのかなぁ〜。私が看護婦してた頃から比べたらずっと進歩はしてるんだろうけど・・・。 もう一つ感心したこと!日本では患者さんの抑制って看護婦の判断でせざるを得ないことがあるけど、こっちでは「医者の指示」が伝票ででない限り、抑制をすることは違法なのだ。しかもその「医者の指示」は24時間しか効力がない。まぁ、この規則の中で事故防止をしていくのにはスタッフの大変な努力があるんだろうけど、患者さんの人権を守るという姿勢は日本よりは進んでいるなぁと思った。 午後のスタッフ・ミーティングの時間ぎりぎりまでそのオリエンテーションに出ていたのだが、1時半から病棟のスタッフ・ミーティングに出席しなければならなかったので、仕方なく会場を後にした。スタッフ・ミーティングに参加していたのは約10人。自分が日本でRNだったということは、今後の都合上伏せておこうとたくらんでいたのに(だって「あ、あんたもともとはRNなの?じゃ、こんなこと知ってるはずよね?」とちゃんと教えてもらえなかったら怖いじゃん!)婦長さんがまんまと「日本から来たRNの親分です。こっちではCNAだけどね。儲かっちゃった、ウフ!」ともらし、年甲斐もなくかわいらしく笑っていた。ふ、婦長さん・・・。私の計画が台無しじゃないよ〜!(笑)スタッフはみんな年齢も経験年数も関係なく、それぞれが言いたいことをバンバン言っていてなかなか活気のあるいいスタッフだな、と思った。 でもさすがに新しいことばかり続くので気疲れする・・・。明日は初の病棟でのオリエンテーション。なんとか乗り越えられますように・・・。 3/10/03 今日は初出勤の日。朝8時から始まったオリエンテーション参加者はたったの4名。しかも看護従事者は私一人で、あとは検査技師さんと総務課と資材課の新人さん達だった。病院内のツアーや書類記入を済ませたあと、またまたツベルクリン反応をされてしまった。ここの病院では、本採用前に最低2回、新採用者が結核菌をもっていないことを調べる決まりになっているらしい。それから院内感染対策のための、やたらとカッチョイイマスク(笑)のサイズを調べるために、そのマスクをした上に変な帽子をかぶされ、頭全体を覆われてガスを嗅がされるというとんでもない実験をされた。そのガスの匂いや味を感じなければ、マスクがちゃんとフィットしている、ということらしい。ぜんぜん感じなかったのでそれで私のサイズがわかったはずなのに、私がマスクを外すと「たまに直接嗅いでもわからない人もいるから、念の為。」と直接ガスを嗅がされた!なんでだよー!?(笑)でもそういう風に、感染予防対策に力を入れていることはとても良いことだと思った。 休憩後はお給料と福利厚生のお話。ここぞとばかり、みんな人が変わったようにメモを取っていたので心のなかでちょっとだけ笑ってしまった。私もそのうちの1人だったけど。(笑)私は夜勤担当ナーシングアシスタントになるので、夜勤手当が出るらしい。イエ〜イ!あとは健康保険も数え切れないぐらいのオプションがあって、個人個人でプランを組めるようになっていたのはありがたかった。眼科でも歯医者でも薬局でも保険が効くオプションもあり、それを選ぶとなんと2年に1回はフレームただ、そしてレンズは1年に1回なら$25負担だけで、あとは保険が払ってくれるらしいのだ。このアメリカで、たったの$25でメガネが作れるなんて。すばらしい・・・。 オリエンテーションが済んだあと、ちゃっかり担当の人を捕まえて「産休はどうなってるんでしょうか?」と聞いてみると、フルタイムの職員であれば6ヶ月までOKらしい。これは日本と比べるとやっぱり短めなのかな?でも選ぶ保険のタイプによっては、うちの病院で出産すれば費用はたったの$25で、部屋代はただらしい。なんて太っ腹なの?あ、でも日本で看護婦してた時はそこの病院にかかればすべてただだった気もする・・・。 最後に病棟に寄って、婦長さんと今後のスケジュールについて話をしてきた。明日の2日目のオリエンテーションが済んだら、病棟のスタッフ・ミーティングに出て自己紹介。そして水曜日に初の病棟でのオリエンテーション。そして来週の月曜日から本格的に準夜勤ナーシングアシスタントとしての仕事が始まることになった。しょっぱなからスタッフ・ミーティングで自己紹介とは・・・。緊張してしまう〜・・・。 3/9/03 イニューには「決してロフト(2階)には上がって来てはいけないよ!」と小さい頃からしつけていたことと、もともと狭い階段を降りるのをイニュー自身が怖がっていたということもあり、ごく最近までイニューはロフトに通じる階段には決して近づかなかった。しかしなぜか最近、階段を昇ってロフトに行く楽しみを覚えてしまったイニュー。階段を降りるのも、何度か経験して怖さを克服してしまったらしいのだ。ロフトにいる間は「ごめんなさい、私、本当はここに居ちゃいけないんですよね、でもおとなしくしてますので・・・。」って感じで別に悪さもせず、上目使いで「悲しそうな顔」をされるのでま、いいか、と大目に見ていた。 ところがイニューはこれに味を占めたらしく、私達がロフトにいるときにはそろ〜りそろ〜りと階段を昇って会いにくるようになってしまった。夜はさすがに「ちゃんと自分のベッド(イニューはいつもソファーで寝る)で寝なさい!」と言うとおとなしく1階のソファーで寝るのだが、今朝も私達が寝坊をしてなかなか1階に下りていかなかったら、しびれを切らしたイニューがロフトに昇ってきてしまった。そして無理やり私とキヨシ君の間に陣取り、なぜか家族3人(2人と1匹?)「川」の字になって寝るはめになってしまったのだった。しかし私達と頭を並べておとしなく寝るイニューはめちゃくちゃカワイイ・・・。(←ホントに親ばか。) 3/8/03 のんびりした休日。仕事が始まったらこんなにのんびりもしていられなくなっちゃうのかなぁ。いつもの様に、洗濯、水汲み、食料の買出しに行った後は家でぼ〜っとして過ごした。 3/7/03 朝、第一希望の就職先だった老人ホームから電話があった。「面接の日程を決めたい」って・・・。今更遅いよ〜!!!12月から2回にわたって応募してきたのに、全く連絡がなかったからあきらめて他に就職を決めてきたのに〜。その直後に面接のお知らせが来るとは・・・。でも最終的にこれで良かったのだと思う。老人ホームでの仕事は楽しいとは思うけど、自分の勉強や経験のためには、病棟勤務の方がいろいろなケースを看ることができるという点や、理学、作業療法部、薬剤部、栄養部、その他もろもろの部門との連絡の取り合いが学べるという点でも良いのだと思う。レジスタード・ナースを目指すのであればやっぱり今頑張って色々経験しておかないとね。キヨシ君にも、「今病棟で頑張って、RNの資格が取れてから老人ホームに職場を変えるという手もあるから、やっぱりこれで良かったんじゃない?」と言われた。それもそうだよなぁ。取り合えず、新しい職場で精一杯頑張るしかない。 3/6/03 1年に1回受けることにしている検診の日。大学ヘルスセンターでいろいろチェックしてもらう。キヨシ君にもすすめているのに、彼は薬や注射や採血や、そういう関係のものが全然ダメなので怖がっていきたがらない。(笑) 3/5/03 キヨシ君を朝早く送りだし、イニューを外に出してから「もうひと寝しよ〜っと」と布団に戻った。しかしイニューが遠くで吠えている。いつもならすぐ止むのに、なかなか吠えやまず、イニューの声がだんだん近くなってきて家のまん前で吠えつづけるのでうるさくて眠れない。耐えきれずに一階へ降りて行き、「ちょっとイニュー、静かにしてよっ!」と家のドアを開けると、なんとそこには2頭のムースが・・・。まん前もまん前、うちのデッキのすぐ下に、でっかいお母さんムースと去年の春生まれたらしい子供ムースがいて、イニューの威嚇などなんともせずに木の枝をばりばり食べていた。 急いでビデオカメラを出してきてさっそく撮影開始!まずイニューのアップを取ってから〜、はい、ムース!とカメラを動かした途端、なんとでっかいほうのムースが私達を威嚇するようにデッキに向かって突進してきた。それまでは勇ましく吠えていたイニューは、途端に尻尾を丸めてさっさとデッキに上がってきておとなしく頭をたれていた。私はもちろんドアをしめて避難したけど、イニューにはもうちょっとしっかりしてほしかったなぁ・・・。(笑) 3/4/03〜3/1/03 ちょっとした手違いで消してしまいました・・・。(涙) 過去の日記: Feb 2003 Jan 2003 Nov & Dec 2002 |