Sendai仙台を拓いた伊達政宗の兜…
“夜食”?或いはこの日の朝食…スタッフが何やら仕事をしているが、客の姿が見当たらないカフェに「未だ開けていないのでは…」という不安とともに足を踏み入れると、「いらっしゃいませ」の挨拶で迎えられた。
ジャーマンドックというメニューと、エスプレッソコーヒーを頼んだ。早朝から歩き回り、少しだけ腹を満たしたかったこともあったが、珈琲が欲しかった。
地元稚内では、宗谷地区−稚内の市街から稚内空港を越えて宗谷岬へ向かう途中辺り−が早くから開け、「北辺警護のため」と称して武士が駐在していたことが伝えられている。厳しい寒さの中、彼らは一種の薬湯として珈琲を飲んでいたと伝えられる。カフェの前でそんな話しを思い出していた…
そうしている間に、新聞を片手にした、或いは携帯電話で何やら話しているビジネスマン風の客でカフェが込み合って来た。
特急 <スーパー北斗>カフェから札幌駅へ戻ってみると、函館行きの列車がエンジンを温めながら待っていた。信号機故障で早朝の列車が遅れた分、ダイヤに乱れが生じる懸念もあったが、この列車は問題が発生した路線とは関係無い個所での運行である…
列車は札幌と新千歳空港との間を結ぶ“快速エアポート”でお馴染みの千歳線を通り、苫小牧から室蘭方面を経て、有珠山で有名な洞爺を経て伊達に向かう。“伊達”だが、これから向かう仙台を開府した伊達家の、亘理分家関係者が入植し、その地を「伊達の衆が拓いた地」ということで命名したそうだ。北海道内の地名のパターンには、アイヌ語に当て字をしたものが一番多いようだが、入植した人たちの出身地などに縁の命名というパターンも存外ある…その伊達から長万部(おしゃまんべ)、森を経て函館に至る…
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