姓か名か
ドイツから、オランダに移ってきた時に、ある人から、プレゼントで本を貰った。 "How to be happy in Holland"という題。
これからオランダで生活を、始める外国人向けに、文化や習慣などを判りやすく英語で説明したガイドブック、いわゆるハウツーものです。
この本の結びに、いろんな国の人と付き合うには、ある程度の習慣の違いは認識しておかないと、誤解を招くから、あなどってはいけないとして、いくつかの例を挙げていた。
この本を人に貸したら、返ってこないので、手許にないが、こんな事が書いてあった。
Never expect from American to be called by family name
Never call Japanese by first name
Never expect from French to joke with their country
Never expect from German to joke with themselves
Never expect from Dutch to pay your bill
要するに、アメリカ人はやたらファーストネームで呼びたがる。日本人はファーストネームで呼ぶと失礼になる。フランス人は国に対する誇りが高いから、国を冗談のネタにしては行けない。ドイツ人は冗談を理解しないから、彼ら自身をネタにすると怒る。
オランダ人はケチだから、あんたのお勘定を払ってくれる筈が無い。
というような事です。
ここで一つ、思い当たる事があります。ヨーロッパの文化の多様性は、時には感動的な程にバラバラです。国が違うのだから当たり前ですが、地理的に目と鼻の先にある国でも、国境をまたぐと、全然カルチャーが違ったりします。
私もドイツとオランダの国民性なんて、隣り同志だから、似たようなもんだろうと思っていましたが、どうして全然違いました。
ドイツの人間関係では、姓が優先します。オランダは名が優先です。プライベートの友人関係は別ですが、ドイツだと、通常は姓で呼び合います。
男性であればHerr(ヘル)何某、女性であればFrau(フラウ)何某です。少女にたいしてはFraeulein(フロイライン)何某ですが、せいぜい使われるのは15,16歳くらいまででしょう。Frauは英語のMrs相当し、Fraeuleinは、Missです。しかし、英語では比較的、未婚既婚をはっきりさせる為の呼称ですが(Msというのも一般的になっていますが)一人前の女性になったら、未婚既婚を問わず女性はFrauで呼びます。
そもそも、ドイツもオランダも、結婚して入籍するということが、かなり形骸化しているので、実態は夫婦生活を送っていても入籍していないケースは、山ほどあります。
また、入籍しないカップルがあまりにも多いので、当たり前の事になってしまい、それで社会生活で不利を被るとかいう事はまったく無りません。日本から来た人が、必ず驚く事の一つでしょう。だから、職場の同僚の女性が、結婚してるか、してないかは、人によってはよく分からないこともあります。また、入籍してなくても事実上夫婦生活を送っていたり、籍はのこっているけど、事実上離婚して別居してる人も多いから、余計ややこしくなります。
皆、姓で呼び合っています。私の場合は、いつもHerrアザクラでした。何故かと言うと、ドイツ語では"S"は、濁音で英語の"Z"に相当します。Asakuraと書いた名刺を渡すと、99%のドイツ人が「ザ」で読みます。濁音にしないためには、"ss"と二つ続けるか、"ß"で表示するかです。
しかし、Assakuraと綴ると、英語ではassというのは、別な意味があるから使いたくないし、Aßakuraというのは、ドイツ人以外の人には今度呼んでもらえなくなるし、日本人の名前に、ドイツ的な"ß"をいれるのも奇妙なので、結局面倒くさくなって、自分から「俺の名前は、アザクラだ」、と済ませていました。
まあ、日本に行けば、ドイツ人の名前も出鱈目な発音になってますから、仕方ないですね。Goetheがゲーテ、Wagnerがワーグナーでは、本人が聞いたら怒るでしょうね。
職場での上下関係は、はっきりしていて、職位が異なる同志は姓で呼び合い、同格の同僚でも原則姓ですが、打ち解けてくると、名で呼んでいます。どちらか片方が出世して上司になった場合の対応は、私はまだ見たことがないので判りませんが、、。
私が、ドイツで仕事していたときは、毎日顔をあわせている同僚でさえ、正確な私のファーストネームを、知らなかったのではないかと思います。
姓で呼ぶと言えば、もうひとつドイツで困った問題がありました。Doppel-nameと呼ばれるダブルネームです。結婚してからも、旧姓を使いたいと言う人の為に、両方つなげてしまう制度です。手続き的には、いったん結婚して、配偶者の姓にしてから、Doppel-nameの申請を追加ですることで認められます。
職場にRickert-Löser(リカート レーザー)という姓の女性がおりました。これだけでも十分長いと思うのですが、彼女がHerdeさんと結婚することになり、更にDoppel-nameを申請しました。かくして、用がある度に、フラウ リカートレーザーヘルデ!と呼ばねばなりません。面倒なので、旧姓で呼ぶと、ドイツ人らしく、大袈裟に訂正してきます、「私の名前は何月何日付で、リカートレーザーヘルデです」と 。名のIngridで呼べば、一瞬ですむのですが、私は舌を噛みそうなこの長い名前で呼んでました。
しまいには、リカチャンという呼び方に落ち着きました。本人は怪訝な顔をしてましたが、「リカチャンというのは、日本で有名な人形の名前で、美人の代名詞である」と説明したら、納得してました。
オランダでは、職場では上司だろうと、ビジネスパートナーだろうと、みんなファーストネームの世界です。いわゆるアメリカ式ですね。現に、職場に名は知っていても、姓を知らない同僚が結構いる。
しかし、やはり私は日本人であった。気持ち悪いのである。私が彼らを呼ぶ方は抵抗ない、マイクだろうがモニクだろうが、名で呼んでいる。しかし、20そこそこの若造に「ヒロユキ」などと呼ばれたら、鳥肌が立つ。美人の受付嬢から「ヒロユキ」と呼びかけられたら悪い気はしないが、今度は逆にすけべ心をそそられてしまいそうだ。会社でセクハラ騒ぎは起こしたくないので、これも駄目だ。
しばらくすると、私がファーストネームを嫌がるのにきづいたようで、今では皆、姓で呼んでくれる。ただ、今度オランダ人にとっては、毎日一緒に仕事する上でMr.Asakuraと呼ぶのは、よそよそしくて、こそばゆいらしい。何かの折りに、「日本では呼び捨ては失礼にあたる」と私が説明したので、彼らも呼び方をいろいろ考えたらしい。
いまでは、アサクラサンと呼ばれている。意図せずに、日本的慣習を持ち込めた訳です。
仕事付き合いでも、オランダ式にファーストネームを使いたがる。ファーストネーム優先の文化だから、オランダ人は皆呼びやすい短い名前が多い。本名が長い名前だと、呼びやすいニックネームを使っている。
よくあるパターン:
(商談が終わり、レストランでランチを共にする)
登場人物:オランダ人Willem Janssen,日本人Hiroyuki Asakura
(ワインが来て乾杯)
WJ: prosit! お互いのビジネスの成功を祈って。Mr.Asakura
HA: カンパイ! 本当にいいミーティングだった、感謝してる。Mr.Janssen
WJ:ああ、Wimと呼んでくれないか、Mr Janssenはいいよ
HA:そうかい、ヴィム。ありがとう、僕はHiroyukiだ。
WJ:え? ヒロー、、(どこの国でも相手の名前を間違えるのは失礼だから慎重になる)
HA:簡単だよ、言ってごらん「ヒ」「ロ」「ユ」「キ」、「ヒロユキ!」
WJ: 「ヒーロ、ゴニョゴニョ、、」(この名前難しいらしい)
WJ:もっと簡単な呼び方ないの?
HA:(きっぱりと)ない。親にもらったのは、この名前だけだ。
WJ:よし、じゃあ俺が決める(オイオイ、名付け親になろうってのか?)
WJ:Hughでどうだ。近いだろ(全然近くないって)
HA:それで呼びやすいなら、いいよ、ヴィム
WJ:OK、そうしよう。じゃワインもう一本いこうか、Hugh
かくして、3ヶ月経って、もう一度Wimに会うと、本人はすっかりHughの名付け親になったことを忘れてる。このイージーな軽い感覚がまた、オランダ的で私は好きだ。
なかには、日本人でも洋風のニックネームを用意して、名刺に刷り込んでいる人も結構いる。アメリカを経験した人に特にこの傾向は高い。
テルオさんなら、テリー。タダシさんなら タッド。私は絶対こういう事はしたくない。
1997年7月17日
©1997 copyright Hiroyuki Asakura