-``あの時の忘れ得ぬ味、、、
誰にでもあるでしょう、忘れ得ぬ経験。予期しなかったところに感動があって、脳裏にやきついて離れないような思い出。
舌と胃袋の感動
私は、ヨーロッパに来てから特に、いろんな美食、珍味を試してきました。
旅先では貪欲にいろいろ地元の料理を食べたりしてます。ミシュランに載ってるレストランは当然美味しいです。決して嫌いではありません、不満はありません。でもだめなんです、それでは。
なぜならそんな立派なレストランに行くときには、既に気持ちも胃袋も身構えているのです。
「これから高級レストランで旨いものを食う、美味しくてあたりまえだ、楽しもう」とゆう先入観がすでに感動をそいでしまうのです。
私がどうしても忘れ得ぬ味は、イタリアのリビエラ海岸にある片田舎の保養地、Cinquetterreの海岸通りの、名もないレストランにあります。
ローカル線の鉄道がジェノバから一時間に一本でているかどうかの鄙びた村です。夏には観光客でにぎわうのでしょうが、私が訪れたのは冬でした。
ヨーロッパに来て初めての冬休みでした、ヴェネチアのカーニバルに照準をあわせたイタリア一人旅です。なにも予定を立てずにイタリア鉄道乗り放題周遊券を買って、気のむくままに移動する旅です。
最初に入ったジェノバで、あまり観るものがなかったので、朝食の後、衝動的に行き先もわからず、リビエラ海岸を東に走る列車にのりこんで、景色のきれいなところで降りました(Montenegroと言う名前だったと思う)。
冬とはいえ、天気がよく結構あたたかく、しばらく海辺の岩に腰掛けて、日本でもドイツでもみれない不思議なほどに濃い群青色の空と海を眺めて、たばこを喫ってました。
ずっと海の色に見とれていて、空腹に気がついたら午後3時くらい。
人通りの殆どない海岸どおりを歩いて、家族経営の民宿にレストランが併設されているのが一軒目につくくらいで他に店もなく迷わず入る。
客は誰もいない。店のおやじが出てきて「部屋か?」と聞いてきたが、「いや、まだ食事がとれるならなんか食わしてくれるか?」と尋ねかえし、OKだった。人のよさそうなおやじだが、英語が殆ど通じない。
メニューがイタリア語だけでよくわからないので、お勧めをなんか出してくれと頼むとRisotto Frutti di Mare(海の幸リゾット)が旨いぞとのこたえ。
Giappone(日本人)は初めてだとゆうような事をいって、相手も暇なのかこちらの一挙一投足を見てる。赤ワインをたのむと、その前にこれを飲めといって、甘口の食前酒をもってきた。ネグロッソとかゆう酒らしいが、空腹の胃袋をますます暴れさせた。
おやじも一緒にテーブルに着き、言葉の通じない同志でワインを呑んだ。
なにもないと間がもたないが、ワインがあるとなぜか話が通じてしまう。
待つこと30分、ピザをやくような鉄板にのって、蒸気をたてたリゾットが出てきた。
海の幸とゆうだけあって、ふんだんに魚介類がはいってる、イカ、小魚、貝、トマトソースがベースで米が赤くなってる。
一匙すくって口にいれたとき、耳の中でガーンと音が聞こえるような感動をおぼえた。
うまい!
刺激のある味ではない、しかし、本当に ガーーンとゆう衝撃的な味だった。海辺からぽかぽかキラキラ照らしてくる陽の光がまぶしくて、余計に視覚的な美しさも加わって呆然としてしまった。
あとはひたすら無言で食った。
ボリュームはあったが、食べても食べても足りない味だった。食べた後はもう何も考えたくなくなり、コーヒーもデザートも断って、もう一本ワインを頼み(イタリアでは大抵ワインボトルでもってくる、呑んだ分量だけ精算しているようだ)、こんな素晴らしい料理を食べた感動の余韻を味わって飲んだ。
あとにもさきにも、食べ物であれほど感動したことはない。物心ついてから口にいれたものの中で、迷うことなくダントツの一位である。
いまでもリゾットを食べるときには、あの時の感動を思い出す。もう味は忘れてしまったが感動はいつまでも舌がおぼえている。
あのリゾットを食べるために(ただそれだけのために)、イタリアにまた旅行に行こうかなと何度も思ったが結局思いとどまった。
もし行って、あのホテルレストランがなくなっていたら?
もし料理人が変わっていてもうあの味が出せなかったら?
あのときは空腹感から、うまいと思っただけで、実は、もう一度食べてみたら、全然うまくなかったら、どうしよう?
そんな事を考えると、臆病になって実行に移せないのです。あの感動は失われることなくずっと私の中に残るでしょう。
May.9.97
©1997 copyright Hiroyuki Asakura