都市の観察【Watchin' the city】
先日、都市の顔なる題で、もともと書こうとした事があったのだが、書きながら脱線していくうちに、別の話しになってしまった。
私が書く文章は、いつもそんな調子だ。
原稿料のタイトルで、以前書いたように、最初に書くべき内容を、決めてから、書き上げるのが、私は非常に苦手としている。
いつも、気まぐれに、PCに向かっていると、文章がかけてくる。
書きながら、考えているので、たまに、事前に何か書こうとおもって、PCに向かうと、結局当初思ったことを、書けずに、そのまま忘れてしまうのが、常。
一体、何を書こうとしていたかというと、映画や小説の舞台としての、都市を述べようとしていたのです。
極力バスや、市電などの、公共交通機関を使い、あとは自分の足だ。
すると、あれ?どこかでこれ見たかな?という、景色が飛込んできたりする。
映画のシーンや、スチール写真ポスターと同じ、光景なんかを発見すると、すごく嬉しくなる。
これが、タクシーに乗ってしまうと、景色が楽しめない。
車の中から、外を見ると、景色は活力を失ってしまう。
街というのは、人間の目の高さで、人間のあるく速度で見るのが、一番美しい。
車の中から、見た景色は、映画ではあまり、出てこない。
効果的に、車の中から見る光景と、外から車を見る光景を対比させて、意図的に演出していた作品も、例外的に、あるが(ロバートデニーロ主演の、「タクシードライバー」だとか、スピルバーグの 「激突」etc.)、街を印象的に、スクリーンに投影するのは、人間の目の高さで撮影したものです。
恋人が再会する場所は、やはりパリでなければならない(麗しのサブリナとかね)。
シンガポールや、サンディエゴじゃ、ダメなんである。
この場所は、セーヌ河にかかる橋が映るのが条件で、背景に、ピンぼけのエッフェル塔が入る。
この場合、凱旋門やモンマルトルである、必然性は、低い。
画家や、写真家が、涙する恋人に別れを告げ、旅立つ先も、矢張りパリなんだが、この場合、パリに到着した本人は、登場しない。
凱旋門とシャンゼリゼの入った、絵葉書が一ヶ月後に、恋人の手許に届くシーンに、切り替われば良い。
冷戦が終わって、出番が減ってしまったが、東西陣営の、スパイが、マイクロフィルムが隠された、ケースを抱えて、真夜中の石畳の道を、追跡するのは、ベルリンでなければならない。
当然、東側の腕利きスパイは、透き通るような、色白で冷たい目をした、チェコ出身の美女である。
この舞台は、マドリッドや、L.A.ではダメだ。
地下坑道から、銀行の金庫を破るのは、やはりロンドンのシティーでやって貰いたい。
絶対、ブダペストやホノルルの銀行を狙ってはいけない
しかし、この後、高飛びする逃走先は、必ずリオか、マイアミしか有り得ない。
ヘルシンキや、ワシントンDCは、逃走先であってはならない。
マフィアの親分は、シカゴで登場するのが、イタリア本国の、ローマよりも似合う。
間違っても、モスクワや、北京に登場しては、いけない。
勿論、復讐の報復を受けたら、葬儀はシシリー島まで移動する。
遺産相続した、大金持の未亡人が、滞在する先は、ジュネーブのホテルであり、銀行口座は、チューリヒにある。
アトランタのホテルで、サンパウロの銀行口座であっては、ならない。
上に列記したのは、あくまでも、私の持つイメージを象徴化しただけだが、東京が求められるシーンは何でしょう。
やっぱり、アレしかないですよね。
ゴジラが、霞ヶ関ビルを倒し、尻尾で東京タワーを、なぎ倒すシーン