Miracle and Other Christmas Stories | Connie Willis | Bantam Books | 2000 (1999) |
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White as Snow | Tanith Lee | Tor | 2001 |
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The Wooden Sea | Jonathan Carroll | Tor (New York) | 2001 |
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ジョナサン・キャロルのクレインズ・ヴュー三部作の最後。ただし『月の骨』四部作よりもっと相互の関係は少ない。クレインズ・ビューという小さな町を舞台にしているというのが共通点。
ニューヨーク州はクレインズ・ビュー、住民は互いの家族やペットまでよく知っているニューイングランドの典型的な田舎町。クレインズ・ビュー警察署長フラニー・マッケイブは48歳、タフで有能で情に厚く、仕事でも友人からも信頼され愛されている。実用本位の現実的なタイプだ。少年時代のフラニーは、筋金入りの強面て不良少年で喧嘩盗み放火とこなし、高校を放校になった。残酷で暴力的で街中のはなつまみ、生真面目な父親の失望の種。しかしベトナム戦争従軍の後、世界中を放浪、ロスで1度結婚して成功を味わったあと故郷にひっこみ、やりなおして堅実な生活に満足している、酸いも甘いもかみ分けた男。
しかしフラニーの元に持ち込まれた三本足の片目の捨て犬「オールド・ヴァーチュ」が、オフィスで死んだ時から、奇妙な出来事がフラニーの周囲に起り出す。川沿いの林に埋めた犬の死体はトランクの中に再び戻り、地下からあらわれた虹色の羽根が警察署長の立ち回る先に現れる。夫婦喧嘩の仲裁にいけば近所迷惑な夫婦は失踪し、生真面目な女子高生は高校のトイレでヤクを打ちすぎて死ぬ。死んだ少女は虹の羽根のスケッチを残し、三本足のマーブルケーキ模様の犬は、19世紀の絵の中にすでに描かれていたことを知らされる。誰かが何かをフラニーに示そうとしているのだ。そしてその誰かは、フラニーにある役割を果たさせようとしている。
ここから先は80ページ目前後の展開。ネタバレは避けて有りますが読みたくない人はストップ。
そして、過去からたちあらわれたある人物と共に、時間を超えてフラニーの前に示される、思いがけない未来と過去の自分の人生。驚愕すべき介入者たちの正体と使命。断片から、フラニーは、ヒントもあたえられず問題も知らない答を探し出さなければならない。『木でできた海をどうやって渡る?』しかし、ゲームのルールはめまぐるしく変わり、超自然の手助けも次々に捩じれていく。
タイムリミットは、フラニーが見出した「鍵」が、現在の愛する人の危機を示しているために、一転、せっぱ詰まったものになっていく。
フラニーは48歳の目から見た孤独で残酷な18歳の自分、70歳の老いた自分、1960年代の10代の、反抗的だが自由奔放な自分の目を通して見た48歳の「ふぬけな」自分、現在のフラニーと同年輩の真面目で愛情深い亡き父親の愛、自分の人生で愛する(愛した・愛するであろう)女たちの関係を見直し、かつて荒れ狂っていた自分も、一人の人間の一部として受け入れていく。
前2作の Kissing the beehive と The
Marriage of Sticks では、信頼できる助け手として登場した警察署長フラニーが主役となる。過去のキャロルの主人公が内省的な芸術家(俳優、建築家、小説家、稀稿本書店主、新聞漫画家など)を主人公にしていたのに対して、元ワルの現警察署長という賢明だがタフな男を主人公にすえているのは驚きでもあり冒険でもある。
なぜなら、物語の最初の時点で、愛する妻マグダと、ちょっと奇妙で10代らしい問題を抱えてるが、それなりにできた義理の娘アントニアとの幸せな生活を送っているフラニーは、奇妙な出来事の意味を探求して筋を通さなければならない内的な危機を抱えていないからだ。彼は、人生の最大の危機、荒れ狂う若さの暴力性と破綻をすでに乗り越えて、自分で納得している男だ。
だから異界の使者たちが繰り出す不思議による召喚は
どこか調子っぱずれで過剰な印象を与える。結局彼は愛する人たちのために、謎を追いかけ、時を越えた交錯にひとつの引導をわたし、敵も味方も入り乱れて足をひっぱる中で、やるべきことをやりとげ知るべきことを知るのだが、なんとなく神の虚栄の後始末をつけるヨブのような地道さも漂っている。これまででもっとも性格のまともなキャロルの主人公かもしれない。ただ最後に、フラニーの得る啓示と、やりのこした課題に与えられる再度のチャンスは異様に美しい。
ただなあ、SFであまりに使い古されたアイデアが無造作にほうり込まれているので、本気か冗談かよくわからない。謎を与える存在がどうして***でなければいけないのか?フラニーが助けることになる使命は言葉だけ聞けばトンデモなのだが、ひとつひとつの場面に、現実感と奇跡を生き生きと同居させる天才的なスタイルによってぎりぎりのバランスを保っている。もしくは保っているはずだったが、かなり危ういのか?その辺は一人一人の読者が判断するしかない。わたしはちょっとこけてるんじゃないかと思うんだけど。
「生きることのどうしようもない欠落を繕い、良い方向へ転回させるためには、もう一つの世界の謎を知り、それと共に生きなければならない」というスタンスは好きだし、キャロルの過去の小説はそういう方向で書かれていると言ってもいい。しかし反対に「世界の課題が解きほぐされるためには、すべての自分自身を受け入れて、よく生きなければならない」という命題は、現代の普通(の市民を主人公にした)小説の書き方では書かれ難い命題だと思う。最初にこれはSFなりファンタジーなり国際謀略ものだというジャンルフィクション的なラベルがついてて初めて受け入れられる。まあ極論だけれど。
その違いをあっさり飛び越えると、これは寓話なのか?と疑わせてしまうのだけど、それにしては the wooden sea の登場人物たちの生とクレインズヴューは、奇妙で愛おしく掛替えのないものでありすぎて、何か抽象的なものを指し示すもののようには到底感じがたい。「人生を織り成す要素を正しく並べる」ことを、迷う人間が切望するのはいいし、また過去のキャロル作品でその「答えを求める」リアリティの切実さは、他に代え難い凄みがあった。しかしこの作品では、どうなんだろう?神(>この話では別の存在だけど)は頼みもしないのにやって来て、難題と救済を与えるように見えるのだが、それは私がひねくれすぎてるからそう思うのだろうか?とりあえず、読んでから読者が決めることではあるだろうね。
例によって、奇跡めいた出来事がつぎつぎ起ろうが時間を飛び越えようが、ぶれのない一貫した主人公の視点で書かれていて読みやすい。キャロルは内容は奇妙だけど、文章の流れは手堅く安心して読める。
ところで以前も思ったのだが、ハードカヴァーでさえ、英語の小説には本文の章立てを最初に目次にしていない本がよくある。この本もそう。章は以下のとおりだが、ページをめくる以外、章名を知りようがない。もったいないので記しておく。
Old
Vertue
Ape
of My Heart
Cat
folding
The
Hangman’s
Shove
Holes
in the Rain
The
Wooden Sea
At
Home in the Electric Chair
The
Rat’s
Potato
Lions
for Breakfast
Dreampilot
Epilogue